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第一話

 フィナが《派遣おそうじ クリーニングポニー》に入った理由は、わざわざ語るほどのものではない。


 端的に言えば、冒険者をやめた。次の仕事がたまたまこれだった。

 より正確に言うと、酒場で途方に暮れていたら、背後から肩を叩かれたからである。


『うち、人手足りない。潜って掃いて帰るだけ』


 声の主は、後に直属の上司になる男――主任のホシノ(38歳)。

 第一印象は、眠そうな人。

 寝癖で跳ねた黒髪、雪みたいに白いマスク。まばたきは遅く、更に半分閉じている。黒いツナギの腰には色とりどりのゴム手袋。



「今日は三件」

「……わたし初日なんですが」

「溜まると面倒」

「わぁ……」


 一件目は、街外れの丘の裏に口を開ける小型ダンジョン。

 現場までは徒歩と手押し台車。台車にはモップや箒など、掃除道具がきれいに並んでいる。武器の類はない、掃除道具だけ。これがルールらしい。

 仮にこの時間通行人がいれば、ただの夜間清掃員に見えるはずだ。


 入口脇の《危険・立入禁止》札を横目にダンジョンへ進んでいく。

 浅層通路で突如止まり、台車から道具を取り出した。


 ホシノが手に持ったのは、ごく普通のモップ——に見えるが、柄のすぐ下に小さな銀色の筒が取り付けられていた。


「それは?」

「先端に《グライドク吸着液》が仕込んである。血や金属粉、油膜を絡めとるやつ」

「へぇー!」


 ホシノが袋を放る。


「拾い物係、新人の仕事だ。拡張袋、落とすなよ」

「了解です──わっわ!」


 言い終える前に、ぬめった地面に足を取られ、フィナはすってんと転ぶ。膝がぬるい。赤茶色の水たまりが、ゆっくり広がっていた。


「……ワイン?」

「んなわけあるか。《ヘモサラマンダー》の血、完全乾燥前だから滑る。浅層では珍しいな」


 ホシノはモップの銀筒部分を一度軽く押し、先端の布に緑がかった液を滲ませる。軽く撫でる動きだけで、厚めの血膜がぺりっと剥がれ、布に吸われていく。

 剥がした後には、淡い燐光のようなものが残っていた。


「血は染みると《腐食胞子》が湧く。拭くの手伝え」


 フィナが布で地面を擦ると、鉄臭さと共に甘い匂いが混ざってくる。血に長く含まれた魔素が酸化して出る匂いだ。

 布を二度三度変え、ようやく石肌本来の灰色が戻る。


「はぁ〜……落ちるもんなんですね!」

「そりゃ落ちなきゃ困るだろ——あれ」


 暗がりの奥を見つめたまま、ホシノが通路脇にある壊れた木箱を指差す。近づくと底にはうっすら黒い粉末——乾燥し潰れた魔甲蟲らしい。それと硬貨が何枚か。フィナは拾って律儀に袋に入れる。


「それ終わったら奥の通路。木箱持ってこい」

「壊れたやつですか?」

「木製は燃えるから。腐肉処理用」


 冒険者時代には見向きもしなかったものばかり。壁のランプに揺れる自分の影が、木箱を抱えているのが不思議だった。



 浅層をハイスピードで掃除した後、廃村にある共同浴場に移動。浴槽の奥にダンジョンが続いている。

 台車の車輪がタイルの上で小さく音を立てた。

 

 ダンジョンに入ってすぐ、浴槽の縁は《魔藍苔》が固着し、ところどころ白く結晶化している。

 ホシノは腰ポーチから細長いガラス瓶を一本取り出す。中は淡い青の液体。


「《イドク硝酸銀精》、苔と石鹸滓を同時に落とす。金属部には使うな」


 苔の帯にそっと垂らすと、シュウ…と泡立ち、苔ごとぴろりと剥がれる。

 フィナはそれを刃の丸いスクレーパーで受け取り、《封菌袋》に押し込む。

 袋の内側は薬剤で満たされており、入れられた有機物はすぐに分解が始まった。


 一つ下層の広い空間には宴会の名残――骨、潰れた木皿、革鎧、割れたタイル、生ゴミ。


「宴会跡は《魔甲蟲》が湧く。早めに片付け」

「はい」

 

 宴会跡は複雑だ。骨は獣のものと、二、三割は人骨で、噛み痕の深さが違う。

 タイルに付着した透明の膜は、《涎狼》の唾液に含まれる《カルチル酸》の固化物で、水だけでは落ちない。

ホシノは粉末薬——《シトライドク灰》を少量撒き、数呼吸待ってから布でこそげ取っていく。


 しゃがんだ拍子に、革鎧の内側に小さな封筒を見つける。油シミだらけで、宛名は『親愛なるあなたへ』。


「主任、これ……」

「記録係行き。中は開けるな」

「気にならないんですか?」

「気にして止まったら終わらない」


 そう言って、《防魔布》で包み、タグには《魔素残滓・鑑定要》と記したホシノは、バケツを持って奥へ消えた。

 フィナは黙々と、革鎧、割れた鍋、生ゴミ、誰かの髪飾り。拾って拾って、また拾う。


 ときおり遠くから水の音や金属音が響くが、二人は気にしない。



 三件目。市場裏の路地。板を一枚はぐと、そこから地下へ続く石段。

 ここも浅層なので徒歩。通路が狭いため台車は裏口に置き、道具だけ手に持って降りる。

 階段を降りきると広間。床は乾ききった泥の足跡だらけの広間。


「泥には二種類ある。外から持ち込まれた普通の土泥と、魔物由来の《腐泥》」


 前者は掃き集めて捨てるだけで済むが、腐泥は薬で中和が必要だと言い、ホシノは腰の小瓶から赤茶色の粉を指先でつまみ、腐泥と思しき濃色部分に振りかける。


「《イドク赤胆塩》。魔素ごと固められる。乾いたら割って捨てろ」

「了解です」

「泥以外は捨てるなよ」


 泥に混じって細かな木片や、豆粒のような物。拾い上げると、それは本当に豆だった。ところどころ歯型がある。


「主任、豆出ました」

「ダンジョンに喰わせるもんはねぇ……燃えるゴミ。まとめておけ」


 壁の低い位置では擦れた跡が帯状に広がり、《蛍砂胞》が点々と光っていた。

 

「これは放置すると夜間に飛び散って発光粉を撒く。《イドク硫漬布》で一帯を拭き落とす」


 拭くと布がじわりと熱を持ち、胞子が球状の黒い滓に変わった。


 その調子で作業を続け、地上に戻ると空が白くなり始めていた。フィナの袋はずっしりと膨らみ、靴底にはまだ薬品の匂いが残っていた。

 市場の人々はそんな足音に気づきもせず、一日の仕込みを始めている。


「ふー……けっこう足にきますね」

「慣れる」

「……明日も三件ですか?」

「可能性は高いな」


 短いやり取りのあと、二人は台車を押しながら事務所の方へ歩き出した。


 拡張袋の中の拾得物、重さを感じないのに重く感じる。フィナはふと、これからどれだけの階層を掃除することになるのか、ぼんやりと想像した。

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