09 終わりと始まり
「はうぁああああああああああああっ!」
何者かの叫び声と共に、ダンボールの山が壊れた。
「フッキャァアアアアァアアアアァアアッ!」
「ヒェアアアアアアアアアアアゥアゥアゥ!」
佳織と優希の発する、長い悲鳴が混ざり合う。
「ふぬぉおおおおおおおおおおっ!」
崩落に巻き込まれかけた玲次は、奇声を放って飛び退いた。
慶太と晃は、事態を把握できずに絶句するばかり。
何事が起きたんだ、とグシャグシャな箱の山を慶太が照らした直後。
「むぁああああああああああああああっ!」
崩れたダンボールを乗り越え、何かが喚きながら晃に突進してきた。
相手の異様な勢いに固まりかけたが、モタモタしていて動きは鈍い。
よく見てみれば、突っ込んでくるのは怪異の類ではなく人間だ。
状況を認識して晃は我に返り、横っ飛びに避けて足払いをかける。
「なぁあああああ――あんっ!」
人影は情けない声を漏らして、見事なまでにスッ転ぶ。
そして、ヘッドスライディングの要領でホールに滑り出た。
晃は手持ちのライトで照らし、倒れている何者かの様子を観察する。
長めの髪を後ろでまとめているが、服装からして若い男らしい。
「うわっ! ちょっと、やだ、何なのこれ? 誰? 何?」
「はっ? ……えっ? へっ?」
唐突な新キャラの、お呼びじゃないタイミングでの登場。
佳織と優希は完全に混乱状態で、無意味な疑問の声を連発している。
慶太と玲次も、警戒心を露にした険しい表情で診察室から出てきた。
晃は土下座のような姿勢で動かない男を見下ろしながら、ここからの面倒な展開を予感して溜息を吐く。
「おい……おい、何なんだ? お前」
「はいっ、すいません! すいまてんすいっせぇん、ずんませんすいばせん、すいませぇええええんっ! ふぉんっとうに、しぃませぇええええええええんっ!」
慶太が誰何すると、男は土下座チックなスタイルを崩さず、噛み放題な謝罪を早口で繰り返す。
肩も背中も小刻みに震えていて、声はメチャクチャ鼻声だ。
今にも全力で小便を漏らしそうなまでに、とことん怯えきっている。
明らかな脅威ではなさそうだが、それでも危険なことに変わりはない。
そう考えている晃と同感なのか、玲次が緊張の滲んだ調子で訊く。
「いや、すいませんじゃなくて。アンタ何なの? あんなトコで何してた?」
「はぇ? 何、って……」
男は四つん這いのまま、恐る恐るといった挙動で顔を上げた。
驚きと怯みと戸惑いが、グチャグチャに混ざり合った表情だ。
パッと見の印象通りに若いようで、高校生か大学生くらいに思える。
メガネをかけた小太りの風貌と後ろで縛った長めの髪は、オタク系の典型といった佇まいだ。
なのに、ヒップホップとか聴いてそうな雰囲気の服装で固めているのは、ちょっとばかり違和感がある。
着ている服は上下共に埃塗れになっていて、白いフレームのメガネは左のレンズに大きくヒビが走っていた。
自分が転ばせたせいかなな、と晃は軽めの罪悪感に囚われるが、弁償がどうこうとなるのも面倒なので、とりあえず触れずにおく。
「もしかして……あんたらは、ちっ、違うのか? あいつらと……違うんなら、じゃあさ、じゃあ助けてっ! 助けて下さいよっ、お願いしますっ!」
「……はぁ?」
困惑する慶太を無視して、メガネの男は「助けて」を繰り返す。
状況が飲み込めないが、まずは落ち着かせるべきだろう。
そう判断した晃と玲次は、土下座しながら延々とSOSを訴える男を宥め賺し、近くのソファへと座らせた。
落ち着くまでしばらく待った後、慶太がライトを向けながら事情聴取を開始。
「それで、何がどうしたってんだ?」
「えぇっと、ですね……」
どう話せばいいか迷っている様子なので、晃はフォローに回る。
「まずは自己紹介。次に、何が起きてあの部屋に隠れたのか。最後に、俺たちにどうして欲しいのか。これを順番に説明してくれ」
「ああ……その、ボクは霜山っていって、高校三年生で。今日の昼過ぎ、友達のタケと話してる内に、廃墟探検に行こうって盛り上がって……それで、ここに来たんだけど、途中で妙なことになって……」
自分らに起きた出来事を思い出したか、肩がガクガク震え始めた。
深呼吸を何度か繰り返した霜山は、白っぽい顔色のまま話を続ける。
「病院の中を回ってる途中、ボクらと別の……何かいる、気配があって」
「それは幽霊とか、そういうやつ?」
佳織の質問に、霜山は素早く頭を振る。
「たぶんボクらみたいのがウロついてるんだろう、って思ってたんだけど……遭遇したのは変な二人組、だったんだ。一人は目付きの悪い、チンピラ丸出しのおっさんで……もう一人が、ホストみたいな雰囲気のチャラそうなやつ」
「肝試しに来るようなキャラじゃねえな」
玲次の感想に、霜山が首を縦にゆっくり振る。
「いきなり逃げ出すのも何だし、とりあえず挨拶したんだよ……『あ、どーも』みたいな感じで。したら、そいつらがいきなり追いかけてきて……絶対ヤバい、と思ってボクらは逃げたんだけど……タケは捕まっちゃったみたいで」
「みたいって、お前……ツレがどうなったか、確認してないのか」
霜山は今年一番の腹痛を堪えるような表情で、慶太に頷き返した。
そして肉の余った顔を何度か撫で、大きく咳をしてから説明を再開する。
「逃げてる最中、『ふざけんな!』とか『離せよ!』って声は聞こえたんだけど、怖くてそっちには行けなくて……で、その二人組がボクにことも探し回ってたんで、あの部屋に隠れてたんだ。でも、うっかりダンボールを落としちゃったら、誰かが入ってきたんでテンパって……」
「それで、飛び出してきたってワケか」
玲次が診察室Bのドアを照らして言えば、霜山は興奮気味に立ち上がる。
「そう……だから、お願いします! タケを助けて!」
「助けて、って言われてもなぁ……」
慶太が困り顔を向けて来たので、晃と玲次も苦り切った表情を返す。
霜山が遭遇した二人組は、こういう場所に来る連中を脅すのが目的だろうし、男なら捕まっても殴られるかカツアゲされる程度で――
そう思いかけて引っかかった晃は、念のために確認してみる。
「なぁ、友達の……タケだっけ? そいつは今日、どんな服を着てた?」
「えーっと、オレンジのシャツと黒の短パン……だった、かな」
晃の嫌な予感は、見事に的中してしまったらしい。
となると、さっき渡り廊下を走り抜けたのが、そのタケだろうか。
もし裸に剥かれて病院内を追い回されているなら、それは既に悪ふざけレベルを楽勝で通り越している。
どうやら、今回の肝試しはここで終わりのようだ。
「けっ、警察! 警察に連絡しないと! だよね?」
ずっと静かだった優希が、最も効果的であろう解決法を提案をしてくる。
だが、それを聞く五人の表情は冴えない。
「ユキちゃん……ここ電波入んないんだって」
「山を下りて連絡、ってのもだいぶメンドいし」
「呼んだら呼んだで、何でここにいんの、って話になるよ」
「説教で済めばいいけど、下手すると停学とか罰金とか」
「ボクも来年は受験なんで、できれば警察沙汰は……」
慶太、玲次、佳織、晃、霜山から、次々とダメ出しを食らう優希。
何も間違っていないのに全否定され、ぐんにょりと項垂れる。
澱んできた空気を祓うように、慶太がパンッと手を叩く。
「よし、こっちは六人で、男も四人いる。対する相手はたった二人だ。パパッとその……タケだったか? そいつを助け出して、ここを出よう」
「だな。その二人ってのは、見た感じどう? 強そう? ヘボそう?」
玲次に訊かれた霜山は、俯き加減で数秒考えてから答える。
「ガラは悪かったけど、背とか体格とかは普通だった、と思う。あとですね、ボクを頭数に入れるのはちょっと――」
「そうか、その程度なら問題ないな。そんじゃあ二手に分かれて、タケちゃんを捜すとしますか。Aチームが俺とカオリとシモヤマ、カピバラさんチームがレイジとアキラとユキちゃん、って組み合わせでいいか?」
貧弱さを主張する霜山の発言を聞き流し、慶太は組分け作業を進める。
めんどくさいので、チーム名については皆が聞き流していた。
「バランス的にもそんな感じだな。でもさ慶ちゃん、タケを見つけたり、大ピンチになったりした時、どうやって連絡とるんだ? スマホ使えないし」
晃が言うと、何も考えてなかったらしい慶太は固まってしまう。
気まずい沈黙が十秒ほど続いた後、清々しい調子で言い放った。
「まぁ……どうにかなるだろ!」
「そこがテキトーなのは流石にヤベェぞ、兄貴……俺のはサイレン機能ってのが付いてるみたいだから、見つけたらコイツを鳴らすわ」
玲次がライトの下部にあるスイッチを入れると、結構な音量で『ウゥゥウゥー』というスタンダードなサイレン音が鳴り響いた。
「あ、じゃあ慶太さんは、これ使って下さい」
優希はポケットからキーホルダーを取り出し、何かを外して慶太に渡す。
短いストラップの先に、卵形の銀色の飾りがぶら下がっている。
「それ、小さいけど防犯ブザーなんです。ボタンは底で……結構、音大きいですから」
「おう……じゃ、ピンチの時は鳴らしっ放し、アホ二人を軽やかに撃退してタケを確保した時は、鳴らしたり止めたりを繰り返す感じで」
慶太の言葉に全員が頷き、二手に分かれての院内捜索が始まった。
今回で物語の導入部である1章が終了です……
本格的に話が動き出す、次回以降をご期待ください!
今後の更新ペースは、基本1日1回を予定しています。
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