05 錆びた扉の先
緩くカーブする道を抜けて、病院前の広い空間へと足を踏み入れる。
かつては入院患者の目を楽しませる庭園だったはずのそこは、自由奔放に成長した植木や雑草と枯葉の堆積――そして、それらに飲み込まれたベンチや石畳との粗雑なコラボによって、不穏でしかない荒涼を湛えていた。
そんな風景の先に、病院の本館らしきものが見えてくる。
先程の慶太の語りからの印象で、他のメンバーは巨大な建造物を想像していた。
だが目の前の実物は、高い部分でも三階程度までしかなさそうだ。
「あれ? 何ていうか……思ってたのより普通だ」
「そうだなぁ。もっとクソデカサイズの病院なのかと」
予想と違って拍子抜けだったのか、佳織と玲次がそんな感想を述べる。
晃も似たようなことを思ったが、三連続で指摘するのは慶太に悪い気がして、何も言わずにおいた。
「わかってねぇな、お前ら……規模がデカいからこそ、縦に伸ばす必要がねぇんだよ。金持ちの住んでる豪邸が平屋なのと同じ理屈だ」
慶太の怪しい説明を聞きつつ更に進むと、正面玄関らしき場所へと辿り着く。
ライトで照らせば、入口周辺は目の細かいパイプシャッターで覆われている。
ゴリラめいた怪力でも使わなければ、侵入は無理そうに思える金属製だ。
シャッターの向こうはガラスドアだが、その先は何だかわからない灰色の物体で塞がれていた。
「ココからは、入れそうにないな」
「だね。さっき言ってた……B棟だっけ? そっち、行ってみよう」
先導する慶太に晃が応じ、他のメンバーも歩き出したのだが、そこで「ヒュッ」という息を呑む音が。
「えっ、何っ? なん、何がっ?」
「いいいいいっ、今ね今ねっ、病院の、二階っ! 二階の辺りから、あああああああああのっ、ひかっ、光がっ!」
取り乱し気味に問う佳織に、もっと激しく取り乱した優希が答える。
こちらの話し声に気付いた先客が、外の様子を確認したんだな――そう判断する晃だったが、存在するのも口止めされているので黙っておく。
「ライトがガラスで反射したんじゃね? それか、自分が火事で死んだことに未だ気付いてない看護婦の霊が、今も夜な夜な巡回業務を続け――」
『ガコンッ』
玲次のふざけた軽口を咎めるように、大きめの物音がどこからか響く。
瞬間、全員の動きと呼吸が止まる。
十秒ほど無言が続いてから、半泣きの優希が喚き始めた。
「ホラホラホラッ! いるって! 何かいる! もうやだぁあああっ!」
「落ち着けって、いいから落ち着けって、な? ユキちゃん。タヌキとかアライグマだよ、どうせ……な?」
「田舎だしねぇ。まぁ、いても血に飢えた野犬の群れとか、子育て中で荒ぶってるヒグマとか、そんなんでしょ」
「そっちの方が、オバケなんかより一大事なんだけど?」
慶太たち男性陣は勿論、佳織もまぁまぁ大丈夫そうな気配だが、息の荒い優希はライトであちこちを照らし、見事なまでにテンパっている。
暗くてよく分からないが、きっと顔色も真っ青に近いのだろう。
状況を立て直そうと、晃は白々しいまでの軽さで優希に話しかける。
「大丈夫だって、優希さん。田舎の夜ってのは静かなイメージだけど、実はかなりうるさいんだよ。ウチのばあちゃんちなんて、夏は毎晩ウシガエルの大合唱だし」
「ゲッ、ゲコゲコ、って?」
「そうそう。他にも近所で飼ってるニワトリが、朝ってか夜中三時半くらいからもう、フライング気味に鳴くんだ。クックドゥルドゥルドゥーって」
「……何で欧米風なの」
やっと落ち着きを取り戻した優希に、微かだが笑顔が戻る。
そんな風に優希を宥め賺しつつ歩を進めると、通用口と思しきドアの前へと至った。
「ここだな」
慶太は手にしたライトで、鉄製のドアを下から上に舐めるように照らす。
元の色はよく分からないが、赤錆が迷彩柄みたく斑に浮いていて、無駄に危うく妖しい雰囲気を醸し出している。
慶太の前に出た玲次が、レバー型のドアノブをギュッと握り、数秒の溜めを作ってから下に回した。
ギショッ――と鈍い金属音が鳴って、数センチの隙間ができる。
ドヨドヨ井戸端の情報通り、鍵は掛かっていないようだ。
「おい、ホントに開いてるぞ!」
「何それ……ねぇ、こんなとこ開いてるとか、ちょっとオカシくない? マジでヤバいんじゃないの?」
大袈裟に驚いてみせる玲次に、佳織は低く小さい声で今更な不安を述べる。
優希はさっきよりも衰弱した感じで、佳織の背後でブラウスの裾を掴んでいる。
「最後にココ来た警備員が、閉め忘れたんだろ。カスみたいな掲示板なのに、そこそこ信憑性あるのがウケるわ」
不穏な気配を読み取ったのか、慶太がフォローに入る。
女性陣がイマイチ納得できていない様子なので、晃はフォローを追加しておいた。
「夏休みだし、前に侵入した連中が抉じ開けた、ってセンもある」
「でもさぁ……うー」
佳織は何かを言いかけて止め、短く唸る。
その隣で不安そうな優希に晃が笑いかけると、まだ強張りは残っているが弱々しい微笑が返って来た。
「まぁ、ヤバけりゃソッコー逃げるし、大丈夫大丈夫」
玲次は、説得力に欠ける「大丈夫」を連発し、握ったノブを手前に引いた。
粉っぽい空気が鼻腔をくすぐるが、長いこと換気されていない場所に特有の、澱んだような重たさは感じられない。
「思ったより荒れてない……か」
ドアの先の空間を照らしながら、慶太は感想を述べた。
入ってすぐの場所に、製薬会社らしき社名の入ったダンボールが、大量に積まれている。
その内のいくつかは開けられ、中身のガラス瓶を誰かがフザケて壁に叩き付けた結果の破片が、床のあちこちでフラッシュライトの光を弾き返す。
「ワリと出入りしてるみたいだな、人は」
玲次が懐中電灯を下に向けると、砂埃と土埃が積もった廊下に、多数の靴跡が残されているのが確認できる。
古い靴跡の上には薄く埃が乗り、それらを真新しい靴跡が踏み越えている。
ちょっと引っかかるものを感じ、晃は傍らの慶太に訊く。
「なぁケイちゃん、今ならココに入れるって掲示板の書き込み、いつ見た?」
「一昨日の夜だ。その日の午前中に立ったスレッドで、見つけた時にはあと何時間かで消えるってタイミング」
慶太の答えを聞き、晃は少し考えを巡らせる。
この場に来ているのが軽ワゴンの連中だけだとすると、ちょっと新しい足跡が多過ぎる気がする。
とは言え、他に先客がいればもっと騒がしいだろうし、何組もが同時にこの場所に来るには、情報が晒されていた期間が短い。
「んだよ、お前までビビってんのか?」
慶太はニヤニヤと笑いながら、黙り込んだ晃の肩を強めに叩く。
そして首に腕を回しながら、小声で囁いてくる。
「演技も程々にしとけ。じゃないとユキちゃん、ホントに帰っちまうぞ」
「ああ……いや、ビビってるとかじゃなくて、色々と違和感がさ」
「筋金入りの心霊スポットだぜ。ちょっと変なくらいで丁度いいだろ」
「……そういうもんかな」
「そういうもんだ」
脳裏に灯った警戒信号は消えてくれない。
だが晃は、それを無理矢理に掻き消すように強く息を吐く。
それから、慶太と肩を組むような体勢で前に進み、建物の中へ足を踏み入れる。
靴底からキリキリと、砕けたガラス片を更に砕く感触が伝わってきた。
「よっしゃ、行くぜ」
「とりあえず、酸素はある」
慶太の宣言と晃の半端な冗談に、佳織と優希はシラケた苦笑いで応じる。
最後尾の玲次は、女性陣の背中をトンと押して、強引に先へと進ませた。
全員が入った後で、玲次は内側のノブを引っ張って鉄の扉を閉める。
その勢いがあり過ぎたのか、結構な大音量が廊下に響き渡った。