37 はれときどきカイナ
二歩、三歩と進んでいくと、膝が抜けそうになってよろける。
やっと、病院の外に出られた――晃は夜空を見上げながら大きく息を吸う。
服役囚が数年ぶりに感じる娑婆の空気にも等しい、自由の味がした。
十秒ほど呼吸を止め、巨大な溜息を深々と、そしてゆるゆると吐く。
肌を包んでくる夜気は、真夏とは思えないほどに涼やかだ。
だが、緊張状態が生じさせている汗は、止まる気配がない。
振り返れば、優希とダイスケも空を見上げていた。
月明かりが照らす二人の様子から、ストレートな歓喜や安堵は伝わってこない。
各種感情が複雑に混ざり合った、表現の困難な表情が浮かんでいる。
「外、じゃん……」
「ああ、外だな」
声の震えたダイスケの呟きに、晃は素っ気なく返す。
トンマな発言と気付いてか、ダイスケは誤魔化すような咳払いを二つ。
窮地から解放されて気が抜けた、というのもあるんだろうか。
晃も「逃げられた」のを改めて実感しているし、優希もたぶん似たような心境だ。
しかし、ここでヘラヘラと突っ立っているワケにもいかない。
「どこ行くにしても……とりあえず、ココから動こう」
「どっちに、晃?」
優希の質問に指差しで応じ、正門へとつながる前庭の方へ歩き出す。
数分と経たずに、病院の正面入口付近へと到達した。
行きには不気味の極みと感じた光景も、今では特に何も感じない。
幽霊や怪異なんかより、狂人や暴力の方が遥かに恐ろしい、と実体験させられた今となっては。
そんなことを考えつつ晃が病院の建物を眺めていると、唐突に男の声が響く。
「いよぉ、遅かったじゃねぇか。あんな目に遭っといてダラダラできるたぁ、アレだ。オメェらはマジモンのノロマでマヌケ、略してノロマヌケなんだなぁ、オイ!」
無駄に通りのいいのが腹立たしい――この声は、クロのものだ。
二階か三階の窓から顔を出してそうだが、地上からは姿が見えない。
向こうからは、コチラがハッキリ見えているように思える。
暗視スコープとか、そういう装備でも使っているのだろうか。
晃はミニライトを上に向けたが、光量不足で何も照らしてくれない。
何はともあれ、関わっても絶対にロクなことにならない。
この場に留まれば、漏れなく、確実に、不愉快な目に遭わされる。
それは予定や仮定ではなく、ほぼ確定と言っていいだろう。
なので晃は、クロの雑言を無視して立ち去ろうとした。
すると、相手は聞き捨てならない感じの話を始める。
「テメェらの仲間にな、キチンとお別れさせてやろうかと思ったんだがなぁ……こう暗くちゃココから手を振られたって、全然わかんねぇだろ? だから逆にな、ココから手をふらせてやるわ! 直接バイバイできるのを喜べよ、なぁ!」
言っている意味が、サッパリわからない。
元からコイツはアホな発言ばかりだが、今回は特に酷い。
「えっ、どゆこと?」
「いや、ちょっと、何が何だか……」
疑問を呈する優希に、自分もわからんとしか返せない晃。
クロがいるであろう辺りを睨んでいると、何かが落ちてきた。
三人から少し離れている背後に、重量感ある塊が「どちゃっ!」と。
見ない方がいい、と直感的に理解はしていた。
だけど晃は、反射的にライトを向けてしまう。
「ん、うぅうう!? ばっ――あああああああおぉん!」
「えっ? うそっ、やだっ、ふぁあ! やだやだやだっ!」
ダイスケと優希が、疑問から驚愕に至って、ほぼ同時に叫声を上げる。
整備されず、波打っている石畳の上に転がった物体。
それは、ヒジで切断された人の腕だった。
「うぉ、お、おっ……」
叫んでいない晃は、自分でも不思議なまでに冷静でいられた。
人間の腕だけが地面にゴロリと投げ出された絵面は、非日常にも限度がある。
リアリティがありすぎるのか、それともなさすぎるのか、人体の一部ではなく『肉』と認識してしまう。
現実感に欠けるイベントの連続で、脳が思考停止しているのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ゆっくりと落下物に近づいて行く。
「手を『振らせる』じゃなくて『降らせる』、かよ……」
ギャグにもなってない悪ふざけに、血圧を急上昇する感覚があった。
晃は投げ落とされた腕を照らし、詳細に観察してみる。
小指と薬指に銀色の指輪を嵌めた、体毛の薄い男の左腕だ。
桃色の肉を晒した切り口は刃物によるもの、だろうか。
骨までは断ち切れなかったのか、関節で強引にもぎ取ったらしい。
「ね、ねぇ晃……それ、って……」
慶太も玲次も、こんな指輪はしていなかった。
腕回りも二人よりだいぶ細くて、それで佳織より全然太い。
となると、これの持ち主は――
どしゃっ! とっ、たぱっ
再びの落下音が、晃の右方向から発せられた。
前回は左腕だから、今回は右腕だったりするのか。
そんな冷めた気分で、落ちてきたものにライトを向ける。
予想した通り、そこにあったのは右腕だった。
小指と薬指のない、少し日に焼けている、筋肉質の太い腕。
「ケイ、ちゃん?」
ここにあるが、ここにいない相手の名を呼ぶ晃。
当然ながら、返事は返ってこない。
固まった晃を心配し、ダイスケと優希が駆け寄る。
そして、ライトが照らしている先にあるものを見た。
「うぁっ、またかよっ!」
「ヒィッ、うっ、えっ!? あのさ、これって……」
ダイスケは吐き気を堪えるように右手で胸を押さえる。
優希は両肘を抱え込むように、身を縮めて訊いてきた。
腕の持ち主を察し、引き攣った表情を浮かべる優希に、晃は無言で頷き返す。
これは間違いなく、切断された慶太の右腕だ。
理解の許容量を超えたのか、優希は虚ろな目で腕を見つめるばかりで、もう悲鳴も泣き言も漏らさない。
「うぐっ! この、指輪っ……これ、翔騎んだ」
「あぁ……」
一本目の腕を確認したダイスケが、持ち主の名前を告げてくる。
翔騎は既に死んでいる――だが、慶太はどうなのだろう。
既に殺されたのか、それとも生きたまま腕を斬られたのか。
麻酔もせず生きたままで可能なのか、との疑念がチラつく。
しかし、リョウの規格外な怪力ならば、大抵の問題を力ずくで解決しそうだ。
三人を衝撃から醒ますように、クロの品性ゼロの笑い声が降ってきた。
「ぱっひゃっひゃっひゃっひゃ! テメェらのリーダー的存在の思い出に、そのゴミでも持って帰れや! ただし生ゴミだからよぉ、冷蔵庫に入れるの忘れんなよ!」
糞みたいなアドバイスを語ると、また楽しげに不快な笑い声を上げた。
その声がフェードアウトした後、晃とダイスケは顔を見合わせる。
互いの目に、数分前までの感情とは別物の色合いが宿っていた。
恐れや怯えに染まった心に、怒りが急速に拡がっているようだ。
「……どうする?」
「俺に、考えがある」
ダイスケの断言ぶりは、今度こそ何らかの腹案がある様子だ。
それを信じてみようと決めた晃は、走り出したダイスケを追う。
優希は虚ろな雰囲気のまま、だけど意外にシッカリとした足取りで、遅れながらも二人について行った。
曲がりくねった下り坂を小走りで戻り、閉じたままの正門を乗り越える。
着いた先は、正門脇の駐車スペースに停まっている、ワゴンRの前だった。
荒い呼吸を整えながら、晃はダイスケに訊ねる。
「なぁ、それで、考え、ってのは」
「そっ、そいつは、こうだ」
やはり息を切らせたダイスケは、その辺に落ちていた拳大の石を拾う。
そして大きく振りかぶり、石を助手席側のドアウィンドウへと叩き込んだ。
思ったより小さな破砕音だけ残し、ガラスが粉々になって割れた。
意図がわからず戸惑う晃と優希に、ダイスケは出来損ないの笑顔で宣言する。
「あいつらに、反撃開始だ」
更新ペースが破滅しており申し訳ありません……
「面白い」「やっと反撃のターンか」「年が変わる前に更新できてえらい!」などと思ってくれたなら、評価やブックマークをお願いします!




