28 DEAD END
「だぁあああっ! ってぇな、クソがっ!」
「ぼぉっ!?」
口汚く吼えた慶太に撥ね退けられ、翔騎が床に転がる。
攻撃は外れたのか――と思った晃だが、その予想は外れたらしい。
慶太の左肩甲骨付近から、ナイフの柄が飛び出しているのが見えた。
刃の部分が丸々と食い込んでいるのに、慶太は割と平気そうだ。
他の痛みで相殺されてるのか、アドレナリンが仕事してるのか。
「んぎっ!」
不意に、地面に落下したセミが踏み潰されたような声が。
晃がそちらを見れば、慶太が自分に刺さったナイフを引き抜いている。
派手に血が噴き出るような、凄惨な絵面にはならない。
だけどシャツには、結構な勢いで濃い色の染みが広がった。
ナイフを適当に放り捨てた慶太は、鉄パイプを回収もせず、左足を引きずり気味に膝立ちで翔騎へと接近。
「やって、くれたぁあああ! ああ!? おぉい! おぉおぅ!?」
仰向けに倒れたままの翔騎に対し、マウントをとる形になった慶太。
怒声と奇声を喚き散らしながら、左の拳を連続して顔面に叩き込む。
「ふがっ――たっ、ぱっ! まぅ、ふっ!」
当然ながら翔騎はガードしようとするが、殴り合いには不慣れの様子。
まともに防御できず、何発も重たい有効打を食らっているようだ。
パンチの数が十を超えたくらいで、一発一発を静かに、そして丁寧に突き入れるように変化させる慶太。
自分の状態も限界に近くて、派手な動作をするのがキツいのだろう。
「シッ――フッ――シッ――フィッ」
「ぁぱっ……ごぇ、ぷぁ……ばっ」
呼気と共に鳴る打撃音に、水気が混ざるようになっている。
翔騎から出る呻きと喘ぎは、だいぶ濁ってきた。
空手の試合に出る慶太の姿なら、晃は何度となく見物している。
しかし、ここまで血みどろな光景を目にするのは初めてだ。
というか、慶太の行動に恐怖を感じるのも、これが初めてだった。
「もう……もう、いいんじゃないか」
晃の心境を代弁するかのように、玲次が呼び掛ける。
だが慶太は弟の声を無視し、拳を突き入れるのをやめない。
そこでリョウが、半笑いな感じでもって語り始める。
「さて、解説のクロさん。膝へのダメージ追加と、ショーキ選手のナイフアタックで形勢逆転になるかと思われましたが、ここに来てケータ選手が予想外のしぶとさを発揮してますね」
「やー、何つうの? この場合、金髪の無能ぶりが話になんねぇわ」
解説っぽいトークを完全に放棄したらしいクロは、捕獲している佳織の右乳をリズミカルに揉みながらリョウに応じる。
佳織は抵抗する素振りもないが、半ば首が絞まってそれどころじゃないようだ。
「ショーキ選手とケータ選手では、フィジカル面での基本性能に差がありすぎる、というのがこのミスマッチの原因でしょうか」
「どうだかなぁ……肉体的ってよりも、精神的なモンかもな、こりゃあ」
慶太と翔騎の声は殆ど消え、散発的に湿った雑巾を落としたような音が響く。
そんな状況で、クロはニヤニヤ笑いを浮かべながら滔々と語る。
「さっきの状況で金髪がやるべきだったのはな、メッタ刺しだ。グッサグサにやっとくべきだった。ホラ、殺人事件で被害者がメッタ刺しにされてたりすると、犯人の残虐性が由来みたいに思われがちだろ? だがな、そいつぁ大体が勘違いだ」
「ほうほう。では、実際には?」
「相手を何度も刺しちまう理由はなぁ……弱いから、臆病だからだ。反撃されませんように、生き返りませんようにって、そんなクソだっせぇ願いが込められた、弱虫ちゃんならではの行動なんだわ。だからヘボチンな金髪ボーイも、隙を突いてメッタ刺しとくべきだった、ってワケ」
クロの澱みない説明には、妙な説得力があった。
そのアドバイスは、今の翔騎の耳には届きそうもないが。
「ところでクロさん、『大体が勘違い』とのことですが、例外はどのような?」
「そりゃおめぇ、すぐに死なせないで長く苦ませるように、内臓とか太い血管とか外して、浅く刺したり斬ったりして、反応を繰り返し楽しむパターンだろが。そういう趣味のイイ遊びの結果も、メッタ刺しっぽくなるんだわ」
クロの説明に晃が顔を顰めていると、慶太がクソデカ溜息を吐く。
全員の視線が、左膝を庇いながらヨロヨロと立った慶太に集まる。
顔も髪も手足も服も濃厚な赤に染まり、両の拳からは血が滴っていた。
右手は失くした指からの出血だろうが、左手のそれは――
「おい……終わった、ぞ」
投げやりに言うと、左脚を引きずって翔騎から五、六歩離れる。
そして肩で息をしながら、ギクシャクした動きで床に腰を下ろす。
慶太の動作に合わせ、血痕が周囲へと盛大にバラ撒かれていた。
酔っ払いが嘔吐を我慢している時のような、荒く不規則な呼吸。
顔面の腫れも悪化していて、まさに満身創痍といった雰囲気だ。
「こっ……これでぇ! いいぃん、だろっ!?」
ヤケクソ感に満ち溢れた大声で、慶太が問う。
霜山に向けた指先が――いや、全身が震度3くらいで震えている。
興奮状態が治まっていない、というか今がそのピークかもしれない。
怪我の程度が心配になった晃は、状態を確認しようと慶太の方へ向かう。
その途中、翔騎の姿が目に入ってしまい、反射的に足を止めた。
「ふぐっ!? ……ぅあ、あぁあ」
腹の底の方から、無意識に奇怪な音がせり上がる。
床に倒れた翔騎は、全身を弛緩させていた。
瞳孔の開いた両目は、どこも見ていない。
鼻は完全に潰れて捻じ曲がり、骨らしいものが数センチ突き出している。
半開きの唇はズタズタに裂け、ポマードが弱点っぽくなっていた。
全体的に輪郭が歪んでしまった顔の周囲には、血涎に塗れた歯の破片が散乱している。
殴り続けられて発生した人工的な凹凸によって、数分前までの翔騎の面影はどこにも残ってない。
翔騎はピクリとも動かない。
名前を呼んでも、返事をしない。
苦痛に泣き叫びも、身悶えもしない。
呼吸で胸が上下することも、もうない。
死んだ。
死んでいる。
死んでしまった。
殺した。
殺された。
慶太に殺された。
自分の代わりに――慶太が殺した。
罪悪感と絶望感が綯い交ぜになり、晃はとにかく逃げ出したくなる。
慶太の言葉と晃の反応で、皆も何が起きたのか理解しつつある。
今ここで、この場所で、何かが終わった――終わってしまった。
決定的に損なわれた「それ」は、翔騎と同じく二度と元に戻らない。
今回で3章の終了です……絶望が深まるのか逆転が始まるのか、今後の展開を御期待ください。
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