兄妹 ③
「何だよ、この時のためって」
「もう危ないから降りてきな」
二人がそう声を上げたものの、リンはけたけたと笑ったままその場で浮いていた。しびれを切らした真純が声を強めた。
「おおい、もう降りてこいよ」
そうして一喝した途端、リンは急に全身の力を抜いた。そして地上三メートル程へ、音も立てず両足で静かに着地した。すると真純が再び声を荒げながらこう言った。
「おい、リン。どういう意味だ。この時のために生まれて来ただって、全然わからないぞ」
きょとんとして聞いていたリンは、再びにこりと微笑みそれに答えた。
「うん、あのねえ。もうそろそろわかるからって」
はぐらかすような妹の態度を見て、真純はさらにくらいつてさらに尋ねた。
「何だよそれ。誰がそう言ってんだ」
リンは微動だにせず答えた。
「誰って、お兄ちゃんだって知ってるはずだよ」
やがて季節は初夏を迎えて新緑が目の前に広がっている。夜には小さな虫達の音色や、裏山の清流の音が絶えず聞こえてくる。魚が飛び跳ねれば水面へ落ち、こうした光景というのはもはや生活の一部だった。日中、その川へ仕掛けておいた網の中にはヤマメやイワナたちがいる。今、それらがまな板の上で並んでいた。
「さ、今日は魚定食よ」
トクの声に子ども達がはしゃぎだした。
「あ、これ。俺が捕ったやつだ」
「違う、リンだよ」
トクはそうして二人が言い合う姿を見ると静かに微笑んでいた。
やがて調理を終えてそれらを居間へ運んでいると、やがてリンも後をついてやってきた。その様子を横目で見ていた香純は、ビール瓶を片手に持ち上げながらこう言った。
「お、こりゃ旨そうだ。トク、俺のつまみもあるかい」
と耳にして、トクは得意げに鼻息を上げて答えた。
「もちろんあるわよ」
そうして再度台所へ行き、持って来た皿を香純の前へすっと置いた。するとそこには見事な鯉の焼き物があった。
香純は眼を丸く見開くとすぐさまこう言った。
「おい、こりゃ凄いな。頂き物だろ」
トクは落ち着いて答えた。
「そうよ。実は、林松さんからなの」
あれから十年経った現在、当時の技術はさることながらも人々の精神性はかつてない程まで向上していた。ここまで紆余曲折あったが、今ではこうして穏やかな日常を送れるようにようやくなっていた。
「あの時、皆で力を合わせて立ち上がったからだ」
生きる喜びをこうして感じながら生活できるようなったが、そこへ至るまでは経験しなければ得られない多数のことがあった。家族全員はもちろん、林松や仲間達との連携を心から知ることになった。振り返れば林松の余命を医者から聞き、戻ってきた綾子の一言が今も胸に響いてくる。
「このままならひと月だって」
打ちひしがれてそう声を漏らす様を見た当時、香純は数秒後にこう呟いた。
「そうですか。でも、あと一か月はある。そう言う事でしょ、綾子さん」