幕間 ―黒羽部隊・作戦前夜―
―心を隠し、剣を握る少女―
夜、黒羽部隊の仮設拠点。
厚い鋼鉄で囲まれた作戦室の隅で、優奈は一人、無音の闇に沈んでいた。
机の上には、次の作戦資料。
「B級悪魔出現。捕獲不能と判断し、排除優先」
その文字が、淡々と紙に並んでいる。
(……まただ)
部屋の片隅にある小さな窓。
優奈はそこから、星ひとつ見えない黒い空を眺めた。
(私がレギオスの心臓を受け取ってから……何度目の任務だろう)
“共存”という言葉は、表では決して口にできなかった。
黒羽部隊は、「対話など無意味。悪魔は徹底排除すべき」と信じる精鋭で構成されている。
そして、彼らの多くは、悪魔によって大切な人を失った者たち。
(……もし彼らに知られたら。私が、悪魔の力を使っていることを)
彼女の心臓に宿る、あの優しい悪魔——レギオスの力。
それは、炎を浄化し、怒りや憎しみを静める“癒しの火”。
だが、そんな力を使うたびに、仲間たちは口を閉ざす。
明らかに異質なその魔法を、「見なかったこと」にする。
(私は、ただの道具なんだ。悪魔を殺すための……)
「……優奈」
静かに声をかけてきたのは、副隊長の冬馬だった。
かつて妹をD級悪魔に殺され、冷徹な判断を下す男だ。
「明日の任務、準備はできているか?」
「……はい」
「今回の目標、“ルド・グライア”。
B級の中でも知性が高い。会話してくる可能性があるが、惑わされるな」
優奈は、無言でうなずく。
「お前が迷えば、他の隊員が死ぬ。
黒羽部隊は、“情を捨てた者たち”の集まりだ。忘れるな」
「……はい」
冬馬はそれ以上何も言わず、部屋を出て行った。
(“情を捨てた者たち”……か)
優奈は小さく笑った。
(だったら、私はこの部隊にいてはいけない)
胸元に手を当てる。
そこには今も、鼓動を刻むレギオスの力が宿っていた。
(あの日、彼は言った——“怒りを焼き尽くす炎を託す”と)
(でも今の私は、それを人を殺すために使ってる。……私は間違ってない?)
ふと、窓の外に影が動いた。
一瞬、黒い羽が揺れた気がした。
優奈は立ち上がり、小さな声で呟く。
「拓也……あなたなら、どうする?」
答えは、どこにもない。
だが、彼女の手はそっと、自分の胸を抱いた。
(私は、“悪魔の心”と一緒に生きてる。
それを隠して戦うのが、正しいことなの……?)
—
次の日の朝、作戦が始まる。
優奈はまた、冷たい仮面をつけ、黒羽の名を背負って戦場へ向かう。
だがその瞳には、もう一つの想いが宿っていた。
「……私は、いつかこの部隊を裏切るかもしれない」
誰にも聞こえない声が、風に消えた。
―作戦宵、暗き森の対話―
森は静まり返っていた。
黒羽部隊は、南西第3拠点に潜む“B級悪魔ルド・グライア”の掃討作戦を開始。
隊員たちは銃と魔導器を手に、森の中を徐々に包囲していく。
その中で、優奈は“単独行動”を命じられていた。
——それは彼女が信頼されている証でもあり、同時に「一人で片をつけろ」という無言の圧力でもあった。
「……気配が、違う」
森の奥、かすかに煙の匂いがする。
歩を進めると、そこにいたのは、一本角の悪魔。
痩せた体躯、鋭い目。だがその背中は、どこか疲れていた。
「おまえが、“黒羽の魔導剣士”か。噂よりも、静かな目をしているな」
「……あなたが、ルド・グライア?」
「そうだ。そして、おまえのことも知っている。“心臓を食らい、力を得た少女”」
優奈の瞳がわずかに揺れた。
「……何を言っているの?」
「しらを切るのか。構わない。
ただ、私は話しに来ただけだ。——戦いに来たのは、君たちだろう?」
優奈は剣を構えながらも、すぐには動けなかった。
ルドは、敵意を見せなかった。
その代わりに、静かに言葉を重ねていく。
「私の親友は、君に“心臓”を与えた。
レギオスという名の悪魔だ。……彼がどんな想いで君にそれを託したか、君は本当に知っているか?」
「……! なんで、その名前を……!」
「彼は、最後まで人間を信じていた。
君のような者がいると信じて、“自らの命”を贈ったのだ。
なのに——今の君は、何のために剣を振るっている?」
優奈の手が震える。
「私は……私には……それしか、方法がなかったから……!」
「なら、今ここで私を殺せばいい。
私は戦う意思はない。けれど、“優奈”という人間が、この剣で私を殺すのなら——」
ルドは腕を広げた。
自分の胸元を無防備にさらす。
「……その時、レギオスの魂は泣くだろう。
だが、それもまた、君の“選択”だ」
優奈は叫びそうなほど、胸が痛かった。
目の奥に、あの日のレギオスが浮かぶ。
——君は、怒りで誰かを殺すために、この力を使ってほしくない。
——“癒しの火”で、未来を灯してくれ。
「……私は……っ」
震える手を、剣から離した。
ルドの目が、優しく細まる。
「……それでいい。君が、まだ“誰かの言葉”に耳を傾ける人間で良かった」
「私は、ただ……間違っていたのかもしれない……!」
「間違いではない。ただ、“選ばされた”のだろう。
そして今、君は自分で“選ぼう”としている。それが大事だ」
その時、通信機から割り込む声。
『優奈、応答しろ! 接触したか?』
優奈は少しだけ目を伏せ、深く息を吐いた。
「……いない。接触は確認できなかった。……周囲に痕跡だけあったと報告する」
『了解。付近を捜索しろ』
通信が切れ、ルドが微笑んだ。
「君の中に、レギオスは生きている。……その火を絶やすな、優奈」
そしてルドは、音もなく闇に溶けるように姿を消した。