予定調和
◇
「……ぷはっ! はぁっ、はぁっ……!」
俺は川から出ると、絵心有ちゃんも水のなかから引きあげた。
ここらへんには家屋もなく、石が転がる川原が広がるばかり。どうやらだいぶ下流に流されて、都の敷地の外まで出てしまったようだ。
思っていた以上に遠くまで移動することとなってしまったが、敵の追跡を免れることはできた。
……『白水面』の、『湖面』。
小瓶に詰められた液体は一見してただの清らかな水であり、川のなかに注がれたら全く区別が付かなくなる。
いざというときに身を隠せるように、湖水さんが小瓶1瓶分だけ分けてくれていたのだ。
『湖面』の奥に身を潜めれば、気配も完全に消すことができる。
俺は絵心有ちゃんの体を陸に横たえた。
……まずい。眠ったまま川へと飛びこんだから、たくさん水を飲んでしまっている。息をしていない!
人工呼吸と心臓マッサージをするしかないよな。緊急事態だ、ためらっている場合じゃない。
俺は胸ごしに彼女の心臓を手揉みし、必死に口から息を送りこんだ!
「はっ、はっ、はっ! ふーっ、ふーっ、ふーっ!」
「……ぷはっ! はぁ、はぁ……ここは……?」
「よかった、息を吹きかえしたんだね……ハッ!!」
……マズイ。これは実に、まずい。
ぽーっとした表情で、喘ぐ絵心有ちゃん。着物は水で透けて、ピッタリと肌に貼りついている。
おまけにこの子がみんなの憧れ絵心有ちゃんで、先ほどまで人工呼吸をしていた相手だと思うと……。
って、要らん劣情を抱いている場合ではないな。まずは濡れて冷えきった彼女の体を、暖めないと!
「絵心有ちゃん、体が濡れて寒いよね。今、火を起こすから」
「ん……ありがとなの……」
俺は火遁の術を小出力にコントロールして発動し、火を起こした。
絵心有ちゃんは寒さで震えていたが、服が乾くのとともに安らいだ表情になった。
……さて、これからどうしようか。
都内ではまだ追手がうろついているであろうから、彼女の家に送ることはできないだろう。
となると、アシュナさんの家に匿ってもらうか?
俺がそんな風に考えこんでいたら、彼女のほうから話しかけてきた。
「ねぇ、あなたの名前はなんていうの……?」
「俺ですか? 俺の名前は鳴瀬夜鷹、ギルド登録の忍です」
「あ! 鳴瀬夜鷹って聞いたことあるの。最近活躍してて、都で話題になってる人だよね」
なんと! 俺の名前は絵心有ちゃんにも知っててもらっていたのか! 忍やっててよかった……!!
向こうも俺のことを知ってるとなると、なんとなくタメ口でも許されるような気持ちにもなってきたな。
俺がジーンと感慨にふけっていると、さらに絵心有ちゃんは頼みごとをしようとすがりついてきた。
「ねぇ、夜鷹くん。お願いがあるの。私を、てれび局に連れていってほしいの」
「え、てれび局? なんで……??」
「私はてれびを通して、今回の事件のことをみんなに知らせるつもり。それが、私なりの戦いかたなの。影で脅してアイドル活動をやめさせようとするなんて、絶対許せないの……!」
彼女は、真剣なまなざしで俺へと訴えかけた。
……たしかに、それがみんなのアイドルである彼女なりの戦い方なのかもしれない。
いちファンとして、そんな彼女の活動を推さないわけにはいくまい。
「分かったよ、絵心有ちゃん。俺が君をてれび局に連れていく。でも、今はもうすっかり夜になってしまった。今晩はここに泊まって、明日の朝に都に戻ろう」
俺は『魂珀の腕輪』を通してひづきに頼みこみ、収納庫に入れておいたテントと食料を取りだした。
『……夜鷹。あなた、分かってるでしょうね? みんなのアイドル絵心有ちゃんに変な気起こしたらどうなるのか……』
「わ、分かってるよ!!」
この収納庫に保存しておいた食料は腐らず、風味も入れておいたときのまま。
俺は取りだした食料で玉子粥を作り、絵心有ちゃんに分け与えた。
「はいどうぞ、絵心有ちゃん」
「ありがとう。……おいしい! なの」
「本当? よかった」
ハフハフ言いながらお粥を食べる絵心有ちゃんは、実に可愛かったのである。
この笑顔を守って、輝きつづけてもらうために。明日はがんばって彼女をてれび局に送りとどけなきゃな。
◆
夜鷹と絵心有が出会った日から、数日前の夜。すでに都では、大いなる動きが起ころうとしていた。
それは商工会議所の大会議室で行われていた、商人組合の代表者たちによる緊急会議であった。
代表者のひとりは手に取った鉱石を手に取ってまじまじと見つめたのち、苛立たしげに投げ捨てた。
「くそっ、これもだ! いったいどうなってるんだ!?」
「粗悪な『桜導鉱』がこれだけ紛れこんでいるとは……こんな異常事態は、初めてだ!」
大会議室の中央に置かれた長机の上には、市場から回収された百をも越える数の『桜導鉱』が並べられていた。
『導鉱石』……高純度の『導』を結晶化させてできた鉱石。
種々の武具の素材になったり、『導』を動力とした機械の材料になったりとたいへん貴重なものである。
なかでも、『桜導鉱』は『塒国』の鉱山でしか取れない導鉱石で、『導』の純度も極めて高く、世界的に高く評価されている。
世界との国交を閉ざしている『塒国』が交易している数少ない輸出品であり、国家の財政を支えている重要な資源でもある。
その『桜導鉱』に今、不純物を多く含んだ粗悪品が広く市場に出回っているのである。
通常使用には問題が生じないが、高性能武具の作成の際には明らかな差が出る。
そして、『桜導鉱』はほのかなピンクの色合いが美しい鉱石であるが、桜が咲く季節になると、花に呼応するように淡く光を放つのだ。
『燐光』と呼ばれるこの現象は興味深いことに、遠く海を隔てた海外にあっても起こる。
石が祖国の桜を惜しむようにして起こるこの現象も、海外での『桜導鉱』の価値を引きあげている要因である。
だが、不純物が多く混じれば『燐光』の現象が起こらぬことは明らか。
『燐光』が起こらなければ、粗悪品であることはひと目でバレてしまうことだろう。
「これから桜の季節がくれば、粗悪品が大量に紛れていることが諸外国の知るところになる。そうなれば、国家交易の信用は失墜し、経済が崩壊するぞ……!」
「クソッ! こんなバカなこと誰が仕出かしたんだ……!!」
そのとき、栄鶯囀が立ちあがり、全員の視線が彼へと集まった。
皆が浮き足だつなか、彼だけは静かに腕を組んで座っていたのだ。
「幕府だ。幕府は純度の低い粗悪品を外国に売りつけることで、莫大な利益を得ようとした。赤字続きの財政を改善しようと、このような暴挙に出たのだ」
「おおっ、鶯囀殿……!」
三大商家のひとつである栄家の頭取である、栄鶯囀。
鶯囀の発言力は商人組合のなかでも強く、その場に全員が息を呑み、彼の言葉へと耳を傾けた。
「幕府の失政は今に始まったことではない。だが、今回の事件は致命的だ。経済は崩壊し、国の滅亡にも直結しかねぬ。我々は今こそ、立ちあがらねばならぬのだ」
鶯囀は皆に話をしながら、これまでの自身の軌跡を振りかえっていた。
ーーこの事態に至るのを、ずっと待っていた。
低純度の『桜導鉱』は、天然のものを一度溶かし、見た目の似た鉱石を混ぜて作り直したものである。
こうすることで、貴重な『桜導鉱』を嵩増しすることを図ったのだ。
……今回の粗悪品の生産は、鶯囀が幕府を唆してさせたことでも、仕組んだことでもない。実際に、幕府が勝手にやらかした失態なのだ。
だが、国家の信用を失墜させるほどの大失態。しかも、それが公となり、騒ぎになる前に嗅ぎつけなければならなかった。
この極上のネタを掴むのに、今までどれだけの危険を冒し、駆けずりまわったことか。
しかし今、ついに、その探し求めていた情報を手中に納めたのだ。この国をひっくり返すための、足掛かり。
「鶯囀殿。つまりあなたは、商人組合ぐるみで幕府に異議を申し立てるつもりなのですかな?」
「異議を申し立てるのではない。革命を起こすのだ」
「革命ですと!? 軍を起こすというのですか!?」
「そのとおりだ。我々有力商家には武家との深いつながりをもつ者や、お抱えの忍者組織をもつ者も多い。我らが総力をあげれば、倒幕も可能だ」
「しかし、鶯囀殿。倒幕を果たしたとして、いったい誰がこの国を取り仕切るというのだ?」
「この国には、諸国列強による『不壊城』の襲撃を予見し、『日輪の巨像』を護りぬいた傑物がいる。……時田慶兆殿だ」
「なるほど、慶兆殿なら!」
「今の腐った幕府に任せておくよりマシだな!」
……商人組合の皆が鶯囀に賛同する向きを見せるなか、冷や汗を流す者がひとり。
それは商人組合の代表者たちのなかでも最も財閥の規模が小さく、発言力も弱い、森元家の頭取であった。
彼は他の代表者たちの会話を聞きながら、頭が狂いそうになる思いであった。
ーーなんだ? なんなのだ、この会話は。
革命だと? 倒幕だと? そんなこと、たかだか商人組合の会合で気安く論じられてよいものなのか?
たしかに、ここ最近は都でも幕府の不信感が強まり、暴動が多発している異常事態ではあったが……。
鶯囀殿に賛同する者たちも様子が変だ。まるで条件のよい商談を提示されたかのように安請け合いをしている。
まるで、最初から予定調和であるかのような……。
たまらず森元家の頭取は手を挙げ、意見を述べた!
「ちょっと待つのだ、皆の者! 軍を起こして革命に失敗したら、ここにいる全員が全てを失うことになるぞ! 今まで築きあげてきた地位も、財産も、全てだ! それを分かって……いるの……か……!?」
そのとき森元家の頭取に向けられたのは、会場にいた全員からの、冷たい視線。
彼は腰を抜かしてへたり込み、黙りこんでしまった。
……鶯囀は、満足げにうなずいた。
もちろん、商人組合の有力者たちは皆、彼が丸めこんでいた。ひとりひとり説得し、時には買収して、懐柔していたのだ。
商家のなかで桁はずれの財力を誇る栄家の財産を、惜しみもなくつぎ込んで。
森元家だけ放置していたのは、もはや事前に手懐ける必要もないと判断したまでのこと。
一流の商人は、無駄な作業に労力や資金を費やしたりはしないのだ。
「さぁ、皆の衆。大取引の始まりだ」
……こうしてその数日後、商人組合を中心とした一揆が起こる。いまだかつてないほどの規模の人民が動き、都を揺るがすこととなる。
歴史に名を刻むこととなる、『慶鶯の乱』の始まりである。




