『魚鱗の巨像』
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「狂乱さま、湖面に降りて、いったいどうなされるおつもりなのです?」
腹心のひとりが、狂乱へと話しかけた。彼らは狂乱へと連れられて、密かに城の背後に広がる湖の湖面へと降りたっていた。
湖面は厚い厚い氷が張っており、人間が数人乗ったところでビクともしない。
そんな厚い氷の上で狂乱はひざまずき、足元の氷に手を触れた。
「阿咖咖咖。魚を炙りだすのじゃよ。祭りの馳走にふさわしい、巨大魚をな」
『導』の操作。大地を底から揺るがすかのような、静かで雄大な力の使いかた。
すると、なんと言うことだろう。狂乱が手を触れている先の氷がどんどん溶けていき、湖面の氷に巨大な穴を開けていく。
数百、数千年と融けることのなかった水が融け、水面が顔を覗かせる。
挙げ句の果てには、湖の水がグツグツと沸騰しはじめたではないか!
そしてそのとき、信じられぬ現象が起こる。狂乱の腹心たちもその光景に驚愕し、心の底から震えあがった。
『バオオオオオォォォッ!!!』
湖の水面が盛りあがったと思いきや、巨大生物が跳ねあがった!
氷渡城と潜水艇をひっくるめたのよりもさらに大きい。だが、その体表は青白く輝き、絹のような光沢を放っている。
水面から跳ねあがってきたのは、信じられぬほどに巨大な鯨だったのだ!
「きょ、狂乱さまっ!! あれは何ですか!?」
「阿咖咖咖咖。あれこそがワシの今回の目的、『魚鱗の巨像』じゃよ」
「え!? あれが石像なのですか!? たしかに、あんな馬鹿デカイ鯨がいるとも思えませぬが……」
「正確には、『巨像』を飲みこんだ鯨じゃな。真白家は万年生きると言われる万年鯨に『巨像』を飲みこませ、氷で閉ざされた湖に隠していたのじゃよ。永年にわたって腹に『巨像』を抱えていた鯨は、すでに魔獣化してしまっておるがな」
越津氷渡は膨大なエネルギーを秘めた『巨像』をこの地に封ずることで、極寒の地でありながら繁栄しつづけた。
しかし、そのエネルギーを体内で直接浴びつづけた万年鯨は肥大化し、理性は完全にふっ飛んでしまった。
穏やかで思慮深い湖の王者は、凶暴な魔獣と化してしまったのだ。
湖の水中にいた生物は全て食い尽くされ、厚い氷の下は死の湖となっていた。
もっとも、『巨像』から直接エネルギーを得ている鯨には、もはや食糧など不要なものであったのだが。
『バオオオオォォッ!!』
俺の棲み家を熱湯にするとは何事か。
宙高く跳ねあがった鯨は怒りに我を忘れ、口から高圧の水流を撃ちはなった。
高圧水流と言っても、波動砲とも呼ぶべき威力の代物。
水流は遠方に聳える雪山を撃ちぬき、跡形もなく吹き飛ばしてしまった!
……地形を容易に変えてしまうほどの攻撃力を持つ技。
その青白く艶やかな皮はあらゆる攻撃に耐性をもつ。さらに、その体の周囲には絶対防御領域の結界まで展開されている。
万年鯨はもはや、Aランク相当の実力者でもうかつに手出しできない魔獣と化していたのだ。
「きょ、狂乱さま! あんなバケモノの腹のなかにあるのでは、『巨像』はあきらめざるを得ないのではないでしょうか……!」
「阿咖咖咖……。何を言うか、ワシを誰だと思っておる。おぬしらは下がっておれ」
「狂乱さまっ!!」
狂乱は一行の前に出た。宙高くから落下してくる万年鯨へと、手をかざす。
鯨もまた、狂乱たちの存在を認識したようだった。自身を狙う卑小な人間たちを睨みつけ、再び雄叫びをあげた!
『バオオオオォォッ!!!』
ーー次に狂乱の部下たちが気がついたとき、万年鯨は細切れの肉片となり、湖の水面にプカプカと浮かんでいた。
彼らはあまりに壮絶な光景に、言葉を失っていた。
「な、なんたることか……」
「あのバケモノ鯨を、たった一撃で……!」
彼らの前には、またしても傷ひとつ付けられることなく立っている狂乱の背中があった。
巨大な鷲が翼を広げたかのような、広く、大きく、筋骨で隆々とした背中。
彼が悪であることを知らなければ、万民がついていきたくなる後ろ姿である。
狂乱の部下のひとりはその背中を見ながら、感動に胸を震わせていた。
彼もまた、北方の島々の原住民を率いる、リーダーの一族のひとりである。
ーー狂乱さまが絶大なる力をお持ちであることはかねてより分かっていた。
だからこそ、我らは彼に忠誠を尽くすことを誓ったのだから。
だが、先の『八百万』との戦いぶりといい、真の強者との戦いを目の当たりにして、狂乱さまが如何に強く、尊い存在であったのかということを実感した!
「喜べ、お前たち! 狂乱さまは、我らが仕えるのに真にふさわしき御方であるぞ!!」
「異民族として蔑まれてきた迫害の歴史に、終止符を!」
「主に心の臓を捧げるぞ! 狂乱さま、万歳!!」
「おおー! 万歳!!」
狂乱の部下たちは、彼の実力を目の当たりにして、歓喜に沸きたっていた。
一方、例の『魚鱗の巨像』はというと、巨大な氷片に包まれて、湖面に浮かんでいた。
全身を鱗に包まれた、魚人のような出で立ちをした石像。
『日輪の巨像』と同じく、下から見あげたとしたら、首の後ろが痛くなってしまうほどに大きいだろう。
その内部にはとてつもなく偉大な力が秘められていることを感じられるが、今は氷に包まれて黙している。
高度な氷結忍術で封印された結果であり、これも大鷲狂乱の仕業であった。
「阿咖咖咖、目的の物は手に入れた。運搬忍術で船のなかへと運びこめ!」
「「ハッ!」」
「狂乱さま、ヒクイ丸殿は城内に侵入した部隊に指示を出し、好き勝手に殺戮を行わせているようですが、よろしいのでしょうか?」
「阿咖咖咖、氷渡の連中をどうするかは、ヒクイ丸の好きにしてよいことにしておる。ワシの目的は、『魚鱗の巨像』のみじゃ!」
「ハッ、かしこまりました!」
こうして、氷渡城は潜水艇から侵入した侵略者たちによって蹂躙されていくこととなる。
最高戦力である白戸湖水と真白鶴姫、そして武藤海燕が倒れた今、越津氷渡の命運は決したかに思われた。
だが、氷渡側にはまだ、巨悪に対して立ち向かおうと、心を燃やす若者たちがいた。
彼らによる反撃が今、始まろうとしていたのであったーー!




