北の国へと
◆
本土最北の地、『越津氷渡』。
季節は秋を過ぎ、冬の装いを迎えようとしているころ。しかし、この氷渡はすでに深い雪に覆われている。
湖沼の表面は氷が張り、宙に浮かぶは雪の華。さらに空を見上げれば、常にオーロラがたなびいている。
地を覆う真っ白な雪は、天空で煌めくオーロラの光に照らされ、さまざまな色合いで輝くのだ。
本土最北ではあるが、隣する藩や、さらに北方の島々と比較してもはるかに寒い、極寒の地。
その寒さの源が、この地に隠匿されている『巨像』の力によってもたらされていることを知る者は少ない。
そんな雪と氷に閉ざされた大地を、天守閣から見おろす男女がふたり。
白き肌は雪原に立つ一羽の鶴を思わせる美しさ。長く垂れる黒髪は、濡れた鶴の尾羽のように艶やかだ。
広大な北の大地を治める一城の姫でありながらにして、氷雪系最強の忍。
『八百万の伍』、真城鶴姫。
流水のように流れる碧(あお)き長髪をもち、ため息が出るほどに整った顔立ちをした男。湖上をただよう霧のように淡く儚い雰囲気を身にまとわせている。
鶴姫の従者ではあるが、彼もまた、水系最強の忍。
『八百万の陸』、白戸湖水。
ふたりは主と家臣の関係であるが、まるで恋人のように寄り添い、並び立っている。
鶴姫は舞い落ちる雪の華を手に取り、隣にいる湖水へと話しかけた。
「今年もまた季節がめぐりて、雪が降りたもうた。私はそなたとここから見る冬の景色が好きじゃ、湖水」
「ええ。私もです、鶴姫さま。真白家が代々守りぬいたこの土地の美しさは、何物にも代えがたいものです」
……代々、強力な忍の才能を秘める真白家があえて、この寒くて貧しい土地に住みつき、統治しつづけてきた理由。
氷雪系の忍術の突出した才能をもち、自身らの力を最大限に発揮できるというのも理由であるが、それだけではない。
彼らはこの地に流れついた、貧しく弱い人々を憐れみ、彼らの暮らしを守ろうとしたのだ。寒さに凍え、外敵に怯えて暮らさずに済むように。
そんな領民想いの藩主を、領民たちもまた、心から慕っていた。
「湖水。願いが叶うのならば、私はこうして今年も、来年も、これからずっと、そなたとこの景色を見たいのじゃ」
「鶴姫さま、それは叶いませぬ。鶴姫さまは婚姻を直前に控えた御身。まもなく、嫁ぎ先の城へと移り住むこととなります」
婚姻を機に隣藩の武膳高山と統合すれば、氷渡の領民は対外からの侵攻に怯えなくて済む。高山は藩土も豊かで、貧困にも窮することがなくなる。
鶴姫の此度の婚姻は、誰もが待ち望んでいたものであったのだ。だが……。
「イヤじゃイヤじゃ! 他の男の所へなど行きとうない! 湖水、私はそなたと一緒になりたいのじゃ!!」
「できませぬ。私は家臣の身であり、主と婚姻を結ぶことは許されておりません。それに…………」
湖水の澄んだ翡翠の瞳が、切なげに訴える鶴姫の顔を映しだす。
「どうしても私には、あなたと結ばれぬ訳が……ッ!」
湖水の言葉は、鶴姫の口唇によって遮られた。
こうして、ふたりは今宵も情を結ぶ。
静かな湖の水面にしんしんと雪が降り積もり、覆われていく。
混じり合いて、互いの境界を失いながら。途絶えることなく、雪は降りつづけた。
◆
その夜、とある公家の夫婦は初夜を迎えていた。
結婚後、初めての夜。それはいかなる夫婦においても特別な意味をもち、公家においても例外ではない。
しかし、そんな夫婦の初夜に立ち会い、枕元に座す者がひとり。
うす暗い明かりに照らしだされているのは、濡れるような色気のただよう、眉目秀麗な男。
男の名は、石鼓鶺鴒といった。
鶺鴒の指先には七色に光る小石が埋めこまれており、彼にはしゃべりながら指先の小石をぶつけて鳴らすクセがあった。
「コツ・コツ・コツ……。殿方、腰をそのまま優しく押し当てていただきますよう。抵抗があるときはそこで止めてください」
特に政略結婚が多い公家や武家の貴族において、夫婦が初夜の営みが成立したかどうかを立ち会い看視する者がいることは、決して珍しいことではなかった。
まして、鶺鴒は婚姻の祭司として国内で最上級の地位に位置する石鼓家の嫡男。彼ほどの立場ともなると、貴族の夫婦の営みが成功するよう指南を依頼されることもあったのだ。
「コツ・コツ・コツ……。奥方さま、全身の力を抜いてくだされ。殿方を受け入れなさいますよう」
「はっ、はい……あぁっ……!!」
婦人は床上で大きく腰をのけぞらせ、悦びの声をあげた。
明くる朝。石鼓鶺鴒は爽やかな朝陽の照らす砂利道を歩いていた。
昨日の仕事はうまくいった。彼の気分もまた、朝陽のように爽やかである。
と、伝書バトが翼をはためかせて、彼の指先へと降りたった。
その脚には、文が結わえつけられてある。白と赤の和紙は、次の仕事の依頼書であることを示している。
鶺鴒が文をはずして中身を検めると、次の任務は北方の大名家の婚姻の取り仕切りであった。初夜の指南まで遂行、との依頼がある。
鶺鴒は、自分がいる砂利道を見おろした。
幅の広い通りで、馬車4台は余裕で横に並べて行き来することができる。
その通りは都から本土の北の端までを結ぶ国内最大の道であり、まさしく『塒国』の背骨となる道であった。
「コツ・コツ・コツ……」
鶺鴒が指先の石を鳴らすと、反響するように砂利道の石も音を鳴らした。
……この通りはいつもより、人の往来が多かったようだ。北の大名家の婚姻は、よほどの大事であるらしい。
そして、北へ向かう人間のなかには、不審な人物も何人か紛れていたようで……。
石鼓鶺鴒は石の声を聞くことができ、上を通った人間のことについて尋ねることができた。
彼もまた、ISRR・Bランク以上の実力者である。
「コツ・コツ・コツ。さて、次は北か……」
青き空の下、鶺鴒が見あげた先には、北へとつながる道がどこまでも続いていた。
◆
「はああああぁぁぁぁ……」
自分の膝に頬杖をつき、悩ましげなため息をつく女子がひとり。
女性としては非常に長身で手足が長く、スラリとした美人。
艶のある黒髪を肩のあたりで切り揃えており、一見して自信にあふれたデキ女のように見える。
彼女の名前は、早乙女ヒナ。
夜鷹たちの同級生であり、忍術アカデミーを卒業してまだ間もない、新人である。
ここはギルド本部前の茶屋。
串団子が有名で、彼女は軒先の長椅子にかけていたが、傍らには食べかけの串団子が皿の上に置いたままだ。
そして彼女が座る長椅子の隣には、よく熟れた梅干しのようにシワシワのおばあちゃんが、チョコンと座っていた。
「なんじゃなんじゃ、若い娘が物憂げにため息なんぞつきおってからに。もっと人生を謳歌せんと、若さなどあっという間に過ぎさってしまうゾ?」
「コウメおばあちゃん……。だって……」
このおばあちゃんの名前は、大雁丸コウメ。人情味あふれる、忍術アカデミーの食堂のおばあちゃんである。
かつてはギルド本部長・相福籠喜とともに国を代表する隠密衆のひとりで、彼とはただの仕事仲間に留まらず、浅からぬ関係があったとかなかったとか……(本人によると、昔は大変『せくすぃ な くのいち』だったらしい)。
アカデミー時代からヒナはコウメおばあちゃんによく相談に乗ってもらっており、卒後もこんな風に外で会っては、悩みを聞いてもらっていたのだ。
「私……結局、アカデミー時代は夜鷹くんに想いをうち明けられなくて……。一度は頑張ってあきらめたんだけど、最近の彼の活躍を聞いてたら、どうしても気になって、何も手につかなくなっちゃって……」
「ホホー、オヌシはホントに入学したころから夜鷹一筋じゃの。こんな美人にこれだけ想われて、アイツは幸せモンじゃの~」
「しっ、幸せ者なんかじゃないよ! むしろこんなヘンなのに付きまとわれて、煙たく思ってるかも……」
「アイツは鈍感じゃからのぅ~。ヘタすると、オヌシの恋心に気づいてすらおらんかもしれんゾ?」
「ううっ。気づいてほしいような、このまま気づいてほしくないような……」
ヒナは両手で頭を抱えたまま、屈みこんでしまった。
「コウメおばあちゃん。私やっぱり、あきらめる。なんて言って告白したらいいか分からないし、付き合えたとしてもその先の想像ができないし、どう頑張っても自分に自信をもてる気がしないし……。好きな気持ちを胸にしまっておけば、絶対傷つかないもん」
コウメおばあちゃんは、ヒナの顔を覗きこんだ。
……その目は涙をいっぱいに湛えていて、今にも零れおちそうだった。
「ヒナよ、逃げるのはたしかに忍の大事な戦術のひとつじゃ。じゃが、自分の気持ちからだけは目を逸らしちゃイカン。よいか? オヌシは自分が思ってるより、ずっと可愛い。そして恋するオヌシは、絶対に可愛い! それを忘れるんじゃないよ」
「コウメおばあちゃん……」
「ホレ、分かったら涙を拭いて、前を見るんじゃ。オヌシの想い人は、すぐソコにおるぞ?」
「えっ!?」
言われたとおりにヒナが涙を拭いて前を見てみると、通りの向こう、そこにはたしかに夜鷹がいた。
ーー夜鷹くん。強そうなお侍さんたちと一緒にいる。
もしかして、大きな任務に行くのかな? そしたらまた、しばらく会えなくなっちゃうかも……。
「恋する私は、絶対に可愛い……」
ヒナは自身が気がついたときには、すでに立ちあがっていた。そして彼女は、走りだす。
「ゴメンね、コウメおばあちゃん! 私、行ってくる!!」
「ホ。頑張れよ、恋する乙女」
コウメおばあちゃんが笑顔で送りだすなか、ヒナは夜鷹のもとへと駆けていった。
「夜鷹くん!!」
「! 君は……」
ヒナに呼ばれて、夜鷹は振りむいた。
最近では夜鷹も転生前の過去の記憶を少しずつ思いだし始めており、ヒナのこともうっすらと覚えていたようであった。
「ヒナ、久しぶり」
「うん、久しぶり! これからどこへ行くの? 任務?」
「ああ。任務で、越津氷渡のほうまで行くつもりだよ。結構な長旅になると思う」
「え、越津氷渡まで!?」
越津氷渡といえば、本土最北端の地だ。彼の言うとおり、長旅になることは間違いないだろう。
付いていけばふたりきりのチャンスも多く、いくら臆病な自分でも、告白できるかも……。
ーー勇気を出せ、一歩踏みだすなら今だ、恋する私は、絶対に可愛い!!
「ねぇ、夜鷹くん! 私もちょうど任務で北に向かうところだったの! よかったら、付いていってもいいかな!?」
「え、一緒に行くってこと? う~ん……」
夜鷹は腕を組んで、考えこむ素振りを見せた。
(これは『大鷲狂乱』をやっつける危険な極秘任務なんだけど、いいのかな? でもまぁ、途中まで同行するだけだし……。向こうも任務だって言うから、変に拒否するとかえって怪しまれるかな? よし!)
「分かった! ヒナ、俺たちと一緒に行こう!」
「やった。ありがとう、夜鷹くん! 急いで旅支度してくるから、ちょっとだけ待っててね!」
自宅へと、急いで駆けだした。
そんなヒナの様子を、遠くからほほえましく見ていたコウメおばあちゃん。
手にもっていた玉露をひと口、グビリと飲んだ。
「ホホホ。青春じゃのぉ~」
こうして、夜鷹たち一向に、新たな旅の仲間が加わったのであったーー。




