アシュナの訓練②
◇
翌朝は、外から聞こえてくる鳥の囀りで目を覚ます。窓に掛けられた簾の隙間から、青白い朝の光が射しこんできている。
俺は伸びをして、何気なく化粧台の鏡の前へと歩いていった。そこで初めて、俺は今の自分の姿を目にしたのであった。
「これが、『鳴瀬夜鷹』の顔……」
ーー驚いた。その顔は、俺が元いた世界での顔と瓜ふたつだったからだ。
体は筋肉質になって、顔には多少戦いの傷痕が付いてるけれども、顔つきは『小鳥遊恵介』であったころとほとんど変わらない。
これって、いったいーー?
俺は、何もない空間へと声をかけた。
「なぁ、ひづき。聞こえてるか?」
『聞こえてるわよ。なに?』
「俺、元いた世界のときの顔と、ほとんど同じ顔なんだけど……」
『あら、そうよ。知らなかったの?』
「知らなかったのって……。俺ってもしかして、『鳴瀬夜鷹』と深い関係があったのか?」
『さぁ、ね。私は神の使いであり、神の思し召すとおりに動いているにすぎない。個々の人間の因果まで把握しちゃいないわ』
「個々の因果……」
俺と『鳴瀬夜鷹』に深い因果があったのだとしたら。もしかして、俺がこの世界に転生してきたのにもなにか理由があるんじゃ……?
『考えても分からないことに頭を使うべきじゃないわね。あなたはこの世界に生まれ落ちた、あるのはその事実だけ。あるがままに委ねるよりほかないの。……ホラ、あなたの大好きな『最強』さんが来たわよ? クスクスクス……』
屋敷の遠くから、すでにタライとお盆をガンガン鳴らす音が聞こえてきている。
……ひづきの言うとおり、考えても分からないことを考えこんでても仕方がないか。さぁ、今日も訓練の始まりだ。
人間の体というのは不思議なもので、どんなに困難と思ったことでも毎日繰りかえしていけば慣れて順応し、平気でこなせるようになってくる。
無謀に思われた階段うさぎ跳びも、1週間、2週間と続けるうちにだんだんかかる時間が短くなってきた。
最初はてっぺんに到達するのに陽が沈むまでかかっていたが、3週間経つころには正午までに到達するようになっていた。
ちょっと成長が早すぎる気もするが、そこは異世界転生者の特権ということにしておこう。
ある日、ついに昼メシ用のおにぎりに手を出す前に頂上にたどり着いた。階段のてっぺんでは、アシュナさんが先回りして俺のことを待っていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……到着しました、アシュナさん」
「ンム、ゴクロウであった」
俺は階段の最上段に座りこみ、さっそく笹包みをほどいておにぎりを頬張りはじめた。訓練で腹が空いたところで食べるおにぎりはウマイのだ!
最近では明るいうちにてっぺんに到着するようになったので、上から都の街並みを眺める余裕ができるようになった。
おにぎりを頬張りながら眺める街の景色ももちろん最高。かなり標高が高いところにいるので、底のほうは霞みがかっている。
「ふぅむ」
俺がおにぎりにパクついてるのを、後ろからアシュナさんが眺めて何か考えこんでいるような気がする。
だが、構っている余裕はない。今は目の前のおにぎりを食べるのに夢中なのだ。脚がパンパンなのも、今となっては心地のよい疲労感である。
しかし、アシュナさんの口から出たのは、まったく予期していなかったものであった。俺はおにぎりを頬張るのをやめ、彼女のほうを振りかえる。
「よし、夜鷹! 次の訓練に行くぞ」
「え……? 次の訓練? 今からですか?」
「うん、だってまだ鍛えてないだろ。腕」
「う……で……?」
足腰が終わったから、腕。その理屈はなんとなく分かる気がする。でも、今から?
丸一日かかるメニューが半日で終わるようになったからと言って、こなす訓練の量が減ったわけではない。全部しっかりこなせば、同じ分だけ疲れるのである。
ていうか、こなすのに半日かかる訓練ってじゅうぶん過酷なメニューだと思う。それを今から、追加で新たな訓練?
アシュナさんはおにぎりを食べ終わるのすら待たずに、俺を次の訓練場所へと連れていった。
狛犬の背にふたり乗りしてるわけなのだが、俺は彼女の腰に手をまわして後ろに乗るかたちとなった。
アシュナさんの髪からとてもいい匂いがするし、背中に密着しているのがかなりヤバい。仕方なく腰が引けた変な体勢になっているのでツラいことになっている。
感覚的には、10キロほど走っただろうか。
都のなかを流れている川に沿って、海のほうに向かっていってるような気がする。だんだんと潮の匂いが強くなってきてるからだ。
すぐそばを流れる川の川幅は広く、流れは速い。とうてい子どもが遊びで入っていいような規模の川ではなく、うっかり落ちたら溺れて海に流されてしまうだろう。
そんなことを考えていたら、狛犬が徐々に走りの速度を緩め、歩みをとめた。俺もアシュナさんとともに狛犬の背を降りる。
「……アシュナさん、何してるんスか?」
アシュナさんは狛犬の背を降りるやいなや、いそいそと俺の脚に何かを結わえつけはじめた。
両脚のあいだに白い石板のようなものを挟みこむようにして、縄でグルグルに縛りつけられている。これじゃ歩けないんですけど……。
白い石板はプツプツの穴が開いていて、軽い。
これって、軽石? 厚みのある長方形の形といい、両脚に挟みこむサイズ感といい、ちょうどプールで使うビート板のようであった。
……え、プール? まさか……。
アシュナさんは川を背にして立ちあがり、得意げに言った。
「この川は『悠良川』、都の内部を流れる最大の川だ。お前にはこの川を泳いでさかのぼり、都まで戻ってもらう」
「……え!? この状態でですか??」
「そ、脚の力に頼らないように。ホントは鉄板を括りつけようと思ったんだけどね。さすがにハナからそれはかわいそーじゃん?」
「…………」
鬼。どう考えても鬼だ、この人。それも、鬼の王。俺は今回の訓練で死ぬかもしれないな。
でも、もうこのくだりは読者の皆さんも飽きたことだろう。俺は余計なことは言わず、とっとと川に飛びこむこととした。
両脚を縛られて歩けないので、打ちあげられた魚のようにビチビチと川のほうへと進んでいく。
ピョーン……ドボーン!!
俺は川に飛びこんだ。激流に揉まれながら、クロールの要領で必死に腕で水をかきはじめたのだが……。
うおおおおおぉ!! めっちゃキッツい!!!
分かってたけど、めっちゃキツイ。脚を使えないから腕の力だけで進まないといけないのだが、流れが速いからぜんぜん進まない。
軽石の石板は浮力になってくれているのだが、うっかり気を抜くと逆に下流に流されてしまう。おまけに川の水はけっこう冷たく、流水なのでどんどん体温が奪われていく!
ちなみにあと、息継ぎもキツイ。プールじゃないので水面に波があり、気をつけてないと水を飲みこんでしまう。
水を飲みこまないように背中を余計に反らなければいけないのも、回数を重ねるごとに大きな負担となってのしかかってくる!
「ガボボボボ!! ップハー! ゴボボボボボボ!!!」
ムリ! ムリ! もうぜったいムリ!! そう何度も思いつつも、俺は生きるために必死にもがき続けたーー。
最終的に、俺が都にたどり着いたのは陽が沈んだあとだった。
途中、4度ほど溺れて海に流されかけたが、さりげなく見守ってくれていたのかアシュナさんが縄を投げて助けてくれた。
(一度『過冷却』のスキルを使って氷の水かきを使おうとしたが、アシュナさんに即座に見ぬかれて破壊されてしまった)
「明日からはうさぎ跳びを終えたあとに泳ぎの練習な。陽が沈まないうちに終わらせろよ~」
「ふぁい……」
最近、少しは慣れてきたというところで再びヘトヘトの日々へと逆戻りだ。俺は明日への不安を心に抱く暇すらなく、泥のように眠りこんだのであった。
1ヶ月、うさぎ跳びと川のぼりを両方こなす日々を続けた。以前にも増して過酷な日々であったが、うさぎ跳び・川のぼりともにタイムが縮まっていく。
川のぼりは最初はただ腕をガムシャラにまわしているだけだったが、熟達していくごとに腕だけでなく胸・背中・腹・わき腹と、上半身が総合的に鍛えられているのが分かる。冷たい流水も、今となっては火照った体が効率的よく冷やされて気持ちがいい。
最終的には、うさぎ跳びと川のぼりを合わせても昼すぎには終わるようになった。少し遅めの昼メシとして、おにぎりを食べる。
もらってきたおにぎりは米のひと粒ひと粒にツヤと光沢があり、粒が立っている。具の紅シャケ(?)はキリリと身がひき締まり、旨みが強い。
ホント、訓練のあとのおにぎりは最高にうまいのだ!
「よし、夜鷹。キソの訓練は合格だよ。これからは、忍術の指導に入る!」
「やったー!!!」
これでようやく、憧れの忍術修行に入れる。アシュナさんのように、最上級忍術を自由自在に使えるようになったら……。
想像するだけで、生唾がとまらない。ドキがムネムネして、ワクワクがとまらんのだ!!




