アシュナの訓練①
◇
結局アシュナさんの部屋からつながっている小部屋を、仮住まいとして借りることとなった。
黒漆を基調とした、シックな雰囲気の書斎といった佇まいだ。黒光りする家財がオトナっぽくて、なんともカッコいい。
こちらの小部屋も使用人さんたちがしっかり手入れをしているらしく、床には埃ひとつ落ちていない。
「夜鷹、あんたも長旅で疲れてんだろ。まずはちょっと休め。休んだら特訓を始めるからな」
俺はアシュナさんにそう言われて、彼女の部屋を出た。
「……ふぅっ!」
ようやくひとりになって、ひと息つくことができた。
しかし、自分だけになって静けさに包まれると、頭に蘇ってくるのは先ほど見た衝撃的な光景である。
見ちゃいけないと思ったが、とっさに目に焼きついてしまったのは一糸まとわぬ彼女の姿。
「すごいもの見ちゃったな……」
まじまじと見たわけではないので、あくまで瞬間的な印象でしかないのだが……。
正直に言おう。俺も元いた世界では健全な男子高校生であったので、ネットでこっそりその手の画像サイトを覗き見たことくらい、ある。
しかし、俺が先ほど見た身体の曲線はそのどんな画像よりも美しく、刺激的で……。あのスレンダーな手足の持ち主から、どうやったらあんな体の凹凸が生まれるのだろうか。
イカン、思いだしたらまた体の芯が熱くなってきた。鼻血が出そうだ……!
俺がとっさに自分の鼻を押さえていると、刺すような冷たい視線が向けられていることに気がついた!
「ハッ!」
『…………(ジィ~~)』
気がつけば『魂珀の腕輪』から映像が映しだされ、画面の向こうがわからひづきがジィ~~と見つめていたのだ。
まるで、路上の汚物を蔑むかのような残酷なジト目だ。人間を見る目だとはとても思えない。
「な、なんだよ、ひづき……?」
『フケツ (ブツッ!)』
ひづきはそうひと言だけ残すと、映像はブツッ、と消えてしまった。
う、うっせーよ、しょうがないだろ! 元は健全な男子高校生なんだから、あんなん見せられたら何も手が付かなくなるわ!!
モヤモヤ・ムンムンとしながらも、激しい戦いと長旅の疲れには敵わない。
部屋には洋風の輸入モノのようなベッドがあったので、そのまま倒れこむ。
ああ、気持ちいい。新品のシーツのような匂いと感触に包まれ、俺はまたたく間に眠りに誘われたのであったーー。
ガンガンガンガン!! ガンッ!!!
え? え? 何事? もしかして敵襲!?
しかし、ガバッと起きあがってみたら、そこにはアシュナさんが立っているだけだった。両手にはタライとお玉。どこからそんなの持ってきたのやら。
アシュナさんは俺が目を覚ましたのを確認すると、声高らかにこう宣言したのであった!
「よし夜鷹! 特訓を始めるぞー!!」
な、なにっ!? もう特訓を始めるって!?
俺はさっき休みはじめたばかりだぞ。時計を見ると、俺が彼女の部屋を出ていってからまだ30分しか経っていない。
「ちょっと休め」って、マジに30分!?
「ア、アシュナさん、もう特訓を始めるんですか? さすがに休憩短くないっすか!?」
「ん? だって馬車のなかで寝る時間はあったろ? 昨日は1日馬車に乗ってただけだし」
まぁ、たしかに。車にせよ飛行機にせよ、乗りものって、どうして乗ってるだけであんなに疲れるのでしょうね……。
って、そうじゃなくて! どう考えたっておかしくないか? 何もかもが唐突すぎで、ワケが分からなくて、付いていけそうにもなくて……。
いや、もうよそう。この人は全てが規格外の存在なのだ。俺が元いた世界の常識が通用するはずもない。
異世界に転生してみたら自然災害に巻きこまれたようなもんだと考えることにしよう。
疲れきっててしんどいし、どんな苦難が待ちうけているのか分からないが、いっそ全て受け入れてしまったほうがラクなのだ。
「分かりました、どんな訓練メニューでも受け入れます。俺を鍛えてください」
「ムッフ! よぉかぁろぉ~~」
鼻息を荒くし、まるで自分が神か仏にでもなったかのように大仰な態度をとるアシュナさん。
そんな彼女の姿勢に、俺はますます不安を募らせたのであった。
「「アシュナさま、行ってらっしゃいませ!!」」
「ホイ、行ってきまぁ~す♪」
使用人たちに見送られ、俺とアシュナさんは家の外へと出ていった。
朝食と昼食にとおにぎりを持たされたが、外はまだ陽が昇ってからさほど経っていない時間帯だ。
しかし、都の住人はみんな朝が早いらしく、せっせと出店の支度や荷物の運搬などを行っている。
爽やかな朝の空気を肺いっぱいに吸いこむと、きりりと身がひき締まる。体は疲れていても、今ならどんな苦難も乗りこえられるような気がするのだ。
さぁ、無理難題よ、かかってこい!!
そう意気込んで、アシュナさんのあとに付いていったのだが……。俺はその光景を見て、言葉を失ってしまった。
「なっ、なんすかコレ……!?」
「階段」
あたりまえのことのようにアシュナさんが答えた。そんなの見れば分かる。問題は、その長さだ。
俺とアシュナさんは、都の中央部付近、長い長い階段の麓にやってきていたのだ。普通の街並みのあいだを歩いていると、唐突に現れる石畳の階段。
……いったいどこまで続いているんだ、この階段は? 1万段くらいあるんじゃないだろうか。頂上のほうは霞んでいてよく見えない。
この都は全体が鳥の巣のような地形をしているが、その規模は大きく、京都市を囲む盆地くらいのサイズ感なのだ。その1番底から、1番頂上まで続く階段があったとしたら……。
「この階段は、都で1番長い階段だ。夜鷹、あんたにゃこの階段をうさぎ跳びで登りきってもらう」
「うさぎ跳び!?」
うさぎ跳びって、あのうさぎ跳びか?
両手を腰の後ろにまわし、膝を折り曲げた状態のまま跳んでいくトレーニング法。
かつて、スポ根漫画ではあたりまえのように登場していたトレーニング法であったが、トレーニング効果より故障のリスクのほうが高いと周知されて廃れたという、いわくつきのシロモノである。
え、それってダメじゃない?
「いいか、夜鷹。足腰は全ての体術の土台だ。土台がしっかりしてるヤツは強い。つまり! 足腰を鍛えればめっちゃ強くなる」
めっちゃ脳筋! こんなキレイな顔してるのに、めちゃくちゃ脳筋だよこの人!!
筋トレすれば全て解決すると思ってるタイプの人の思考回路だ。
……だが、俺はどんな無理難題もこなしてみせると己に誓ったばかりだ。
異世界転生者がよく持ってるチート能力みたいなのできっとなんとかなるだろ、とことんやってみせるぜ!
「アシュナさん! 俺、やってみます!!」
「ンム! やってみれ!!」
ふんどしを締め直し、さっそくうさぎ跳びで階段を登りはじめてみたのだが……。
うおおおおおぉ!! めっちゃキッツい!!!
とにかく膝を最大限折り曲げたまま筋肉に力を加えることでかかる負担がハンパない。
跳ぶ回数が増えるごとに脚の筋繊維が悲鳴をあげ、ぶちぎれていくのが分かる。
今の俺の肉体は『鳴瀬夜鷹』として忍の修行を受けているので、元の世界にいたころよりはるかに高い身体能力を持っている。
だがそれでも、500段ほど登ったところでへばってしまった。
階段が急すぎるし、ゴールはまだまだ先。都の人々の通り道でもあるので、通行人たちから向けられる好奇の視線もキツイ。
さらに500段ほど登ったところで力尽き、俺は階段上でへたりこんでしまった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
「うおぉ~い、もうオシマイかぁ?」
俺がへばっていると、アシュナさんが下から様子を見にやってきた。狛犬のような生きものの背中に、優雅に寝そべっている。
トコトコと走るその生きものは、白くてモフモフ。キリリとした顔つきなのにどこか可愛らしいのは、じつに不思議である。
あとから聞いたのだが、それはアシュナさんが口寄せできる百の忍獣のうちの1匹なのだとか。なんでもアリだな、この人。
普段なら、無謀な訓練を課せられて怒りを露わにしているところだ。
だが、笑ってしまうくらいのキツさと疲労感が思いのほか心地よい。いわゆる、ランナーズハイの状態になってしまっていたのだ。
俺は息を切らしながらも、すがすがしい気分でアシュナさんに応えた。
「いえ、俺はまだまだ行けます! さすがです、アシュナさん。アシュナさんもこの訓練を積んで、最強の忍にまで登りつめたってワケですね!」
「いんやぁ? 別にやったことないけど。そんなんやんなくてもあたし超強いから。でもキツそうだし、弟子にやらせたらめっちゃ強くなりそうじゃん?」
「…………」
師匠の口から出てきたのは、あまりにあんまりなお言葉。おまけに天然のナメプ宣言込みである。
……年間何百何千いたという彼女の弟子入り志願者、全員の頭をぶっ叩いてやりたい。
お前らの目は節穴か? 眼窩に『虚無の穴』でも穿たれているとでもいうのか?
まぁ、彼らは皆、さげた頭をアシュナさんに踏みぬかれたという話ではあったが。
「まぁ、初日からあまり無理をしても仕方ないからな。適宜休みを取りながら続けていいぞ。てっぺんまで行ったら帰ってこいよ。ほいじゃ」
「はぁ……」
アシュナさんが乗った狛犬はピョ~ンと跳びはねると、家屋の屋根を伝って邸宅のほうへと戻っていってしまった。
「休みながら行ってもいいって言われてもなぁ……」
俺はもう一度、階段のてっぺんのほうを見あげた。ゴールははるか遠く、まだまだまだまだ先である。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ようやくてっぺんにたどり着いたときには、すっかり陽が沈んでいた。
結局、うさぎ跳びをして1日を終えてしまった。疲れすぎて、何も考えることができない。
とは言え、休み休みでもゴールまでたどり着けたのは異世界に転生したこの体だからなんだろうな。
俺はヘトヘトになりながらも、なんとかアシュナさんの邸宅へと帰ったのであった。
アシュナさんの邸宅の使用人さんたちが作る晩ごはんは死ぬほどおいしかった。厳しい訓練を終えたあとだと尚のことうまくて、涙が出るほどだった。
大浴場は温泉を引いているらしく、香りのよい木の大浴槽に、乳白色の濁り湯がいっぱいに湛えられていた。これまでの疲れが全て溶けだしていくようだった。
こんなお風呂に毎日入れるなんて幸せ。しかも、大浴場はこれ以外に4種類あるらしい。また今度、ほかのお風呂にも入ってみよう。
お風呂あがりは、すぐにベッドに潜りこむ。眠りにつくまで、10秒とかからなかった。
今まで経験したなかでもっとも深く、心地のよい眠りだった。




