第1話 カレーと締め切りの味
# 一
「まずい。全然、話が進まない」
パソコンの画面を見つめながら、思わずため息が漏れる。自室の狭いデスクに座り、ゲーミングチェアの背もたれをぐりぐりと回しながら、俺――佐藤陽介は頭を抱えていた。
時刻は午後八時十五分。日曜日の更新時間まであと四時間を切っている。なのに、今週分の原稿は書き出しの一文から全く進んでいない。
画面の左側には、毎週連載中の『鑑定士なのに鑑定が下手な俺が生き残る方法』の三十七話目の原稿ファイル。書き出しの一行「エリックは地面に落ちた鑑定書を拾い上げた」が、カーソルの点滅とともにずっと俺を見つめている。
右側のブラウザには、「小説家になろう」のレビュー欄。先週上げた三十六話へのコメントが並んでいた。
「カイルとの対決、次回が楽しみです!」
「エリックの成長が目に見えてわかって面白い」
「日曜の更新を毎週楽しみにしています!」
ありがたいコメントの数々。でも今の俺には、それが重圧にしかならない。
「カイルとの対決か……」
確かに、前回は副騎士団長カイルとの対決を匂わせる終わり方にした。でも実は、その先の展開が全然決まっていない。鑑定の腕は未熟なのに、なぜか騎士団の副団長と対峙することになってしまった主人公のエリック。彼が、どうやってこの窮地を脱するのか。
俺自身にも、まだ答えが見えていない。
そもそも、今週は仕事が忙しすぎた。客先トラブルの対応で残業続き。やっと週末を迎えたと思ったら、昨日は実家から電話が来て、妹の就職報告で盛り上がってしまい、執筆時間が取れなかった。
腹の虫が鳴いて、我に返る。
そういえば、夕飯もまだだった。
冷蔵庫を開けると、週の初めに買い込んだ野菜たちが、申し訳なさそうに俺を見つめている。特売で買ったニンジン、タマネギ、ジャガイモ。
「……カレーにするか」
創作が行き詰まった時は、料理でもするのがいい。包丁を握りながら、案外いいアイデアが浮かんだりする。
まな板の上でタマネギを切りながら、ぼんやりと考える。エリックは確かに鑑定が下手だ。でも、だからこそ工夫するのが彼の強み。カイルの強さは、むしろ彼にとってのヒントになるんじゃないか。
玉ねぎがきつくて、目が潤む。それとも、これは締め切りに追われる身の切なさか。
# 二
「よし、これでと……」
タマネギ、ニンジン、ジャガイモを炒めながら、スマホでレシピを確認する。具材をホットクックに放り込んで、ルーを入れて、タイマーをセット。
あとは炊飯器のボタンを押して……と。
「三十分か」
料理の待ち時間は、何か書けるかもしれない。デスクに戻り、パソコンの画面に向かう。作業用BGMを流しながら、キーボードに手を置く。
「そうか。エリックは、カイルの強さを観察することから始めればいいんだ」
カレーの香りが部屋に広がり始める。甘みの出たタマネギの香り。ルーの香り。ジャガイモの存在感。
不思議と、アイデアが湧いてくる。
# 三
《エリックは地面に落ちた鑑定書を拾い上げた。
風に舞う紙片を追いかけながら、彼は考えていた。
なぜ、カイルは強いのか。
その答えは、きっと目の前にある。
カイルの剣には、鑑定値など必要ない。
なぜなら、彼は相手の動きを完璧に読むからだ。
待てよ。
これは鑑定士である俺に、何かを教えているんじゃないか。
「見えた気がする」
エリックは立ち上がった。
鑑定値が低いことは、必ずしも弱点ではない。
むしろ、だからこそ見えるものがある。
「カイル殿。もう一度、俺の鑑定を見てもらえませんか」》
タイマーが鳴る。
今日はここまでだ。カレーを食べて、構想を練り直そう。思いの外、いいアイデアが浮かんだ。エリックの新しい可能性が、見えてきた気がする。
結局、投稿予定時間には間に合わなかったけれど、謝罪文と共に途中経過を上げることにした。今回はカイルとの対決の、助走になる話。エリックの気付きを描くことで、次回の布石にもなるはずだ。
カレーを食べながら、スマホで創作用のTwitterを開く。
《すみません、今週は更新が遅れます。その代わり、必ず面白い展開をお届けします。あと、カレーを作りながら考えたら、いいアイデアが浮かびました。お楽しみに!》
さて、明日からはがんばって更新に追いつかないと。
でも今は、このカレーを味わおう。タマネギの甘みとジャガイモのホクホク感。ルーの旨味。
創作も料理も、急がば回れ、なのかもしれない。