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給食の弔い

作者: あいうえお.

 私と佐藤君には、共通点が多かった。


 第一に、歳の離れた妹がいること。第二に、名字が「さ」で始まること。そして第三に、これが一番重要なことなのだけれど、好き嫌いがとても多いことだ。







 校庭からは賑やかな声が湧き上がってくる。


 三階の窓際から見下ろすと、真上からの日差しを浴びながらクラスメイト達がケイドロをやっているのが見える。


 ゲームの成り行きをしばらく見守った後、わたしは視線を教室の中に戻した。外を眺めていたせいで薄暗い教室には、わたしと佐藤君の二人だけ。


 時計を見るとまだ昼休みは二十五分もある。わたしは箸で酢豚の玉ねぎをちょい、とつついた。食べる気なんて全くないけれど。


 つついてまたつい時計を見てしまう。毎日のこの時間はかたつむりみたいにのろくって、何度も何度も時間を確かめるハメになる。

 時計を見て、佐藤君の形の良い後頭部を見て、また外を見て、それを繰り返してやり過ごす。


 佐藤君はこの時間を、図書室で借りた本を読むことで有効活用している。まるで、給食を食べながら本を読んでいるんじゃなく、あくまで本を読むのが本当の目的なんですよ、とでもいう感じで。


 わたしはそんな気になれず、視線はやっぱり時計と窓の外と憎たらしい給食のおかずと、それから佐藤君の後ろ姿を何度も行ったり来たりするのだった。


 そうしているうちにやっと昼休み終了の五分前になった。わたしと佐藤君はほとんど同時に立ち上がった。


「行こうか、沢村さん」

「うん」


 わたしたちは並んで教室を出る。


 廊下に運ばれて来ていた銀色の重い給食入れ(五年以上お世話になっているのに名前がわからない)はとっくに姿を消しているから、これから校庭の向こうにある給食センターまで持っていかなければならない。



 六年三組の絶対的権力者である担任は、給食を残すことこそがこの世界で一番の悪だと信じていた。

「昼休み終了の五分前までに完食出来なければ残しても良い」という法の下、わたしは小学校生活最後の一年間、昼休みという本来は愉快なはずの時間のほとんどをお預けされることとなった。


 朝、献立表を見て一喜一憂する日々があと半年も続くと思うとうんざりする。


 佐藤君とわたしとは好きなものは違っても嫌いなものが完全に一致しているので、いつも一緒に居残りした。

 例えばカリフラワーの入ったマリネやチンゲンサイの中華あえ、焼きビーフン。そんな定番のものに加え、メロンやスイカすらダメなところも同じだった。

 二人は「給食居残り同盟」とでも言うのか、ゴールデンウィークを過ぎた頃には連帯感を感じるようになり、軽くおしゃべりしながら給食センターへ向かう。


 トレイを注意深く持って階段を下り、ゆっくり靴を履き替える(前に盛大にスープをぶちまけたことがあるからだ)。それから玄関を出て「暑いねぇ」と言い合った後に佐藤君に聞いた。

「きのうの魔法陣グルグル、みた?」

「みたみた。キタキタ親父がさぁ、……」

 話すのはたいていは担任のグチか、昨日観たテレビ番組の話。彼の影響で観始めたアニメもあるくらいだ。


 トレイに乗せたお椀がコトコト鳴るが、すぐに校庭からの誰かの叫び声にかき消された。酢豚は直射日光を浴びて腹の立つほどてらてら光っている。


 給食センターに行くには、玄関を出てまず体育館の裏を通り抜け、それからプールの横を通る必要がある。運動場を突っ切るのが手っ取り早いけれど、大勢の前で馬鹿みたいに給食のトレイを掲げて歩くのは罰ゲームもいいところだから絶対にやらない。


 体育館裏はじめじめとしていた。おととい降った雨による水たまりがまだ残っているせいだ。

 体育館裏の水たまりの位置について、わたしは校内一くわしいんじゃないだろうか。


 全身白い格好の給食のおばさんも、担任に負けず劣らず怖かった。

「またこんな時間に!」

 ドアを開けておそるおそるのぞくと、出て来るのはいつも同じおばさんだった。そこだけ出ている目の上がいつも綺麗な青色のアイシャドウで縁取られている、少しハスキーな声の人。


 たまに優しいおばさんが顔を出すこともあって、そんな日は放課後に良いことが起こりそうな気がした。実際、帰り道にのら猫を何匹も見つけたとか、夕食が芋の天ぷらだったとか、そんなささいな良いことが起こりもした。







 本日のメニューは油揚げとモヤシの胡麻和えにレバー、味噌汁、麦ご飯。わたしはモヤシもレバーも味噌汁の中の白菜もダメだった。そしてそれはもちろん、佐藤君も同じ。


 佐藤君の右側を歩く。トレイの上の食器がガチャガチャと揺れる。味噌汁も揺れる。

 体育館の裏は一日中陽が当たらないのに、名前のわからない草が生えてきている。もう春なのだ。


「これ、捨てちゃおっか」

 歩きながら、突然提案したのは佐藤君だった。彼の目はプール脇の焼却炉へと向いている。


「捨てるって?」

 今までしていた、昨日のお笑い番組の話題が急に変わったのでわたしは慌てた。


「燃やすんだよ」

 佐藤君は手にしたトレイをちょっと持ち上げ、元々大きな目をさらに大きくして言った。


「でも先生に怒られるよ」

 あと少しで卒業なのに、給食を燃やして怒られるなんて恥ずかしいことはしたくない。

「バレなきゃいいじゃん」

 佐藤君はあっけらかんと答える。


 わたしは手に持った給食をまじまじと見た。

 トレイは安っぽい薄緑色のプラスチック製。子どもたちの雑な扱いのおかげか端がケバだっていたりする。食器もトレイと同じプラスチックでできているみたいだ。

 燃える、のだろうか? 燃えると言えば燃えそうではある。


「給食残して昼休みつぶして、おばちゃんに怒鳴られるのはもう嫌でしょ」

 佐藤君はサッサと焼却炉へと歩み寄った。

 腰の高さくらいのコンクリートブロックに囲まれた、茶色くさびついた箱みたいな焼却炉は、不釣り合いに長い煙突を重そうに空に伸ばしている。


 わたしもつられて近づいた。用務員さんは見当たらないけど、中からはごうごうと音がしている。

 佐藤君はためらいもせずに片手でフタを開けると、手にしていた全てを中に放り込んだ。


 ごおおー、と音がして、油揚げが燃える、モヤシが燃える、味噌汁が蒸発し、白菜が燃えるレバーも燃える……。

 気付けばわたしもトレイを投げ込んでいた。


 わたしたちは顔を見合わせて笑った。


「あ、箸はヤバかったかな」

 佐藤君は形だけ後悔するように言った。




 それから毎日、わたし達は給食を燃やし続けた。

 プラスチックよりも硬そうな箸と、金属製のスプーンやフォークはさすがに燃え残りそうだから、焼却炉のそばの木の下、落ち葉の積もった地面に埋めた。


 続けるうち、こうすることが当然で、焼却炉はわたしたちの残した給食を燃やすためだけに存在するのだと思えてくるから不思議だった。

 二人だけの秘密を大きく大きくするために、わたしは焼却炉に給食とトレイと食器を投げ込み続けた。


 無駄になった昼休みに対する悲しみや、恐ろしい担任への恨みつらみも、ぜんぶ灰になるまで燃えてしまえばいい、そう念じながら。




 小学校生活最後の給食も、わたしたちはちゃんと(、、、、)残した。


 すっかり慣れた様子で焼却炉にトレイを放り込む佐藤君に、清々しい気持ちでわたしも続く。

 春の陽気と、居残りから解放される気分も手伝って、わたしたちはいつもより浮き足立っていた。

 進学先の中学校は弁当であるとチェック済みなのだ。


 佐藤君は焼却炉に手を合わせた。

「何してるの」

「僕たちの栄養になるはずだった給食たちが成仏するように祈ってる」

 佐藤君は目をつぶったまま神妙に答えた。


 私も真似して手を合わせた。

「天にまします我らの給食たちよ……安らかに眠りたまえ」

 佐藤君が即席のお祈りをささげた。

「あとトレイ」

 付け足すと佐藤君が肩を震わせたのが、薄目を開けたわたしにはわかった。


 笑ってくれたのが嬉しくて、私は食器を埋めた木の方を向き「スプーン、フォーク、箸のミタマよ、鎮まりたまえ」と続けると、「ふふっ」と今度は声を出して笑っている。


 佐藤君もくるりと向きを変え、

「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーみーたー」

と、デタラメなお経を唱えた。


 佐藤君との秘密づくりも今日限りで終わり。少しの間、二人とも何も言わなかった。独特の匂いのする黒い煙が天に昇ってゆくのをただ見つめていた。


「僕さ、引っ越すんだ。だから沢村さんとも明日でお別れ」 

 彼は笑顔でそう告げた。

「えっ」

 運動場のざわめきが遠く聞こえる。


「でも先生、何も言ってなかったよ」

「急に決まったんだよ」

 佐藤君は反動をつけて小石を蹴った。小石は焼却炉にあたってコツンと音を立てた。


 再び目をつむる。

「給食の神様お願いします。佐藤君の新しい中学校、お弁当でありますように」

とお願いすると、

「給食の神様って何」

また笑われた。


「靴箱まで競走」


 いつになくハイテンションな佐藤君は突然駆け出した。


 佐藤君の背中を追いかけながら、わたしは彼に恋していたのだとやっと気づいた。


 遠く、空は黄色に霞んでいた。

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