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君の背後霊になりたい

作者: 藤夏燦

丑三つ時をむかえたラブホテルの廃墟に、3つの白い光がみえた。


「やっぱりここ、出るらしいよ」

「雰囲気あるもんな」


光の主たちは小声でそう言いながら先に進む。肝試しにやってきた大学生3人組だ。


「なんか2階の一番奥の角部屋がやばいらしい。バスルームで自殺した男の霊がでるとか」

「それオレも聞いたことあるわ」

「え、まじかよ」


3人は踏むたびに埃のでる床を進みながら、その角部屋を目指していた。


「でもさ、その霊が出たら全速力に逃げれば大丈夫らしい」

「そうそう、ここの霊、めっちゃ足が遅いって噂だし」

「なんだよそれ。てか霊に足の速さなんて関係ないだろ」


悪ふざけのような笑い声が、誰もいないホテルの廊下に響く。


「ここか、例の角部屋は」


先頭をいく男がそう言って足をとめた。


「なんかいる?」


3人は部屋の隅々までライトを照らして動き回る。するとバスルームから、なぜかポタポタと水滴が落ちる音が響いた。


「……」


3人は凍り付いた。ここ数日間、雨はふっていない。さらに今度は、蛇口をひねる金属音とともにシャワーが吹き出す音がした。


「「「で、でたたあああああああ!!!」」」


大学生たちは一斉に、部屋を出て、廊下を駆け出した。古びた床を力強く蹴りつけるたび、白い埃が舞う。


「ひい、たすけてください!」

「とり憑かないでえ」

「呪わないでえ」


3人の足は尋常じゃないくらい速かった。このまま大会に出れば、メダルを総なめできるかもしれない。


『マテェエエ』


低い声のような風音が唸る。


「ひいいい」


それを聞いて、3人の足はさらに速くなった。


『マテェ……、マツンダァ』


3人は途中で転びながらも、なんとか出口までたどり着くと、そのままバイクに乗って逃げ去った。


『マテェエ。マッテクレェ……』


声のような風音がだんだんと情けなくなっていく。


『ハヤスギテ、オイツケ、ナイ』


『タノムカラァ、ノロワレテクレェ』


廃墟ホテルのフロントで、浮遊霊の俺は息を切らして倒れこんだ。なんで足がないはずなのに、俺はこんなに走るのが遅いままなんだよ。


肝試しの大学生3人組の言っていた、角部屋のバスルームで自殺した男とは俺のことだ。

以来、俺は浮遊霊として、この廃墟ホテルで成仏できずに彷徨っている。


『まさか幽霊になったのに、足が遅いせいで誰にも取り憑くことができないなんて』


俺は完全に幽霊としての自信を失っていた。

背後霊になって誰かに取り憑かなければ、永遠にこの廃墟ホテルから出ることができない。


『死んでもなお、足が遅いせいで俺はこんな目に会うのか』


とぼとぼと角部屋のバスルームへ戻りながら、俺は生きていたころのことを思い出していた。


俺は足が遅かった。運動会のかけっこも、体育の100m走も、いつも最下位でよくみんなからからかわれていた。

友達からは走り方のフォームがおかしいらしい。身体が尺取虫のようにいろんな方向へ伸び縮みしているという。

俺はそんなつもりはなかったし、そんなフォームを直そうともしなかった。

やがて大人になって、会社に入って、走るスピードを意識しなくなった。足が速かろうが、遅かろうが関係ない。大人の世界に走力は必要ないのだ。そう思っていた。


「お前が作った資料、見積もりが大きく間違っているじゃないか」


スーツを着てオフィスのデスクに座っていた俺に、部長がこう言い放った。


「あっ、すみません!」

「とりあえず、すぐに訂正資料を作れ。それから急いで取引先のところへ謝罪しにいくぞ」


部長から小言を言われながら、俺は急いでパソコンのキーボードをたたく。


「できたか?」

「はい」

「じゃあ行くぞ」


俺と部長は早足で会社を出て、電車に乗った。電車のなかで、部長が貧乏ゆすりをしているのがわかった。俺は胃が痛くなった。

15分ほど電車に乗った。降りた駅から、取引先の会社までは少し距離があるが、バスを待っている時間はない。


「なんでこんな時に限ってタクシーが捕まらないんだよ」


部長は明らかにイライラしている。空はもうオレンジに染まりはじめていた。取引先の終業時刻が近づいている。


「すみません」

「仕方ない。走るぞ」


スーツを着たまま部長はそう言うと、全速力で駆け出した。速い、俺には速すぎる。

部長は50歳近かったが、学生時代は野球部だったらしい。


「おい、どうした?! 早くしろ」

「すみません」


俺も走るしかなかった。しかしその足はあまりにも遅かった。


「はぁ?」


尺取虫みたいな俺の走行フォームをみて、部長が呆れた顔をした。遅い、あまりにも遅い。たぶん部長の早足より遅いかもしれない。


「……もういい。その資料よこせ。お前は駅で待ってろ。俺一人で謝罪してくるから」

「本当に申し訳ありません」


俺はフラフラになりながら、部長に頭を下げると、鞄のなかから訂正資料をわたした。


「仕事がどんくさいだけじゃなく、本当にどんくさいんだな。お前は」


部長はそう言い残して、すごいスピードで消えていった。

しかしそんな部長の努力もむなしく、取引先の終業時間には間に合わず、後日謝罪に向かったが許してもらえず、俺のせいで契約は破談になってしまった。

ほどなくして俺は、会社をクビになった。


会社員としての才能も幽霊としての才能も、どうやら俺にはないらしい。

おまけに彼女にもフラれてしまった。


『わたしより足の遅い男なんて、ありえない!』


なんでだよ。なんでこんなに足が遅いだけで、人生うまくいかなかったし、成仏すらさせてくれないんだ。

俺は肩を落として、「呪われた」角部屋のシャワールームへと戻った。もうすぐ朝が来る。早く寝なくては。


それから幾夜も誰もこない日々が過ぎた。

廃墟のシャワーは錆びて、水が出なくなってきたので、誰もいないのに定期的に水を流してメンテナンスをしなくていけなくなった。


『正直、自分が情けない』


そんなある満月の真夜中だった。


ギィイイ……。

錆びたホテルのドアがゆっくりと開く音がした。角部屋の扉を少しあけて隙間からのぞくと、どうやら懐中電灯の明かりが一つだけ見える。

一人で肝試しにきたのか。勇敢だなあ。

俺はそう思って、久しぶりの「心霊現象」に備えた。

あれから何度か逃げられないために対策をしておいた。廊下には穴をあけ、ボロボロになったカーテンを外してハードルを作ったのだ。

ただの直線の廊下ではない。さながら、障害物競争だ。

これなら足の遅い幽霊の俺でも、追いつくことができるかもしれない。


『さて、どんなやつが来たかな』


俺はこれから取り憑く予定の人間を見て驚いた。黒いジャージを来た、高校生くらいの女の子だ。しかもかわいい。

何かの罰ゲームか。とわいえ、さすがに高校生女子に足の速さで負けるわけにはいかない。

俺はしっかりとアキレス腱を伸ばすと、全力ダッシュに備えた。


「ここですか」


少女は角部屋の扉をあけると、静かにそういった。俺は定期的にメンテナンスをしておいたシャワーの蛇口をひねる。

すると誰もいないのに、水が吹き出した。


「?!」


少女は驚いて、廊下を走り出した。すかさず俺は飛び出す。

『マテェ……』


久々の取り憑きチャンスだ。自然と気合がはいる。


「きゃあああああ、誰か助けて!」


少女は悲鳴をあげて、全力で走る。しかし足元の穴やカーテンで作った自家製ハードルに気を取られてなかなか先に進めない。


『マテエ、オマエヲ、ノロッテヤルゥ』


「いやあ」


俺はついに彼女の背後についた。やった。これで俺も浮遊霊卒業だ。

そう思った途端、少女が振り返り、両手で印を結んだ。


「悪霊退散!」

『ナニッ』

「引っかかったわね。私は除霊師よ! 浮遊霊よ、成仏しなさい!」


少女から放たれた、まばゆい光が俺をつつんだ。このまま俺は成仏してしまうのか。


『やめろ』


俺は踵を返すと、一目散に角部屋のバスルームへと走り出した。除霊師の少女が追いかけてくる。


「待ちなさい!」

『た、助けてくれ!』


生前の尺取虫のような間抜けなフォームで走る俺をみて、少女は笑い出した。


「えっ、なにその走り方!? 幽霊なのに足の遅い人、はじめてみたかも」

『うっ、うるさい。これでも全力でお前から逃げているんだ!』


全力疾走する俺に対して、少女は歩いて追いかけてくる。

こんな小娘にすら、俺は馬鹿にされているのか。


「そんなスピードじゃ、誰かに取り憑けたこともないでしょ?」

『そうだよ……。なんか文句でもあるのか?』

「ないけど。じゃあ、浮遊霊になってからずっとここにいるんだ」


その言葉に、俺は足を止めてしまった。悔しくて悔しくて仕方がない。


「なあ、浮遊霊さん。誰にも悪さしないって誓える?」

『えっ』

「それから、私以外には取り憑かないって」


少女は足をとめて、俺に背中を向けた。


「誓えるんだったら、私に取り憑いてもいいよ」

『なんだと? お前は除霊師じゃないのか?」

「もちろん除霊師だけど、幽霊には悔いなく成仏してほしいから。あなた、亡くなってから一度もここから出たことなさそうだし」

『いいのか?』

「うん。その代わり、約束を破ったらすぐ悪霊退散するから」


優しい声で背中を向ける除霊師の少女に、俺は誰にも見えない涙を流していた。


☆☆☆


『マッテェ……』


それからしばらくして、俺は日の光の下で除霊師の少女を追いかけていた。今日は制服をきていて、あの時と印象が違う。


「遅い!」


彼女は足を止めて俺にそういった。

俺は息をあげながら謝る。


『すみません』

「背後霊なんだから、ちゃんと背後にいてよね」


少女はまた、俺に背中をむけて歩き出した。

廃墟ホテルにいたころと同じように、俺はぎこちないフォームで人間を追いかける。

でも、今度はちゃんと足を止めて待ってくれる。それだけでなぜか、うれしくなった。


背後霊なのに、俺は生きがいを見つけた気がした。死んでいるんだから、「生きがい」とは言えないかもしれないけど。


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