7.最終話
「あ、あの、サイレス。教えて下さい、......その、学園を去った私を追いかけてまで、選んだ理由を。どうして私だったんですか」
「......理由?」
「はい。私は正直に言って特待生ですので頭は優秀かも知れませんが、見た目も地味ですし同世代のみなさんのように身なりに気を使ってはいません。サイレスからの好意を疑っているわけではないんです。ただ、サイレスのような優秀な獣人の方に見初められる理由が......そこまでの魅力が何なのかが、思いつかないのです」
「魅力って......獣人が求める相手の美醜はたいした問題じゃねえのは知らない、のか。あー......、重要な事のひとつが相手の強さだ。自分じゃ絶対に相手に敵わない、そう思えるだけの強さに重きを置くやつが多い」
「そ、それでしたら......私より強く身体能力の高い人は他にも、それこそ学園の外には、たくさん」
「別に戦闘力とかの強さだけじゃなく、精神的な意味合いもある。獣人の種族にもよるから全部がそうとは言い切れねぇ」
「......」
俺からすれば何度敵わないと思ったか分からないというのに。それは言い換えれば惚れた弱みと言うが、それでもまだ納得していない様子のエマへさらに言葉をつないでいく。
今相手が求めているのは嘘のない言葉。信じてもらう為に言葉を惜しんではいけないと本能に後押しされている気がする。こいつが一番引っかかっているのは、きっと。
「俺には強さもだが、それ以上に自分との相性だな。自分の傍に置いて心地良いと思えなければ選ばない。......お前が学園からいなくなった後、お前の匂いがしないだけで俺はどこにいたって全然落ち着かなかった。朝一人で登校する時も、いつも昼寝してた屋上も、お前を無意識に探してた。正直自分でも驚いたな、側にいたのなんてほんの三日程度だってのに。一週間我慢してもうダメだって認めてからは早かった。そっからはただお前を探して見つけるまで、一人で学園へ帰るつもりはまったく無かった」
あんたは人間で種族が違うから、そんな匂いなんて関係ないって事くらい知っている。だから、だからこそ傍で感じたい。自分へ向けられる心地良い好意を、喜んで笑う姿を。匂いだけじゃなく欲を言えば肌で、触れ合う事で感じたいんだ。
「私の、匂い?」と驚いた顔を向けてきて、自分が今まで何も伝えていなかったんだと再認識した。結局俺は自分の方法でしか好意を伝えようとしていなかったのか......そう気が付いて自嘲する。不安になるなと言う方が無理だよな。
ようやく見慣れた短い髪へとそっと手を入れると、今まで以上にグッと体を近付ける。それはもう腕の中に囲い込むような距離まで一気に。そうして耳元で「俺がお前に決めたんだ。黙って獣人の求愛受け取ってろ」とそう囁くように胸の内を打ち明ける。
その後はいつものように、すぐに自分と距離を取ると思っていた。
照れや恥ずかしさから何と言われても、もう俺は我慢しない。俺からの変わらない行動が二人にとって普通に、それが当たり前になるまで続けるだけ。その先の心配よりも、今はただ近くにいる事を当然にしたい。......そんな事を考えながら反応を待っていたが、いつまでもエマが何も言わず、その場から動かない事に違和感を覚えた。
腕の中を覗き込もうと、その顔を見ようとした時だった。
エマの耳元に置いたままにしていた手の上にそっと重ねられた暖かい感触に、こいつが自分から触れてきたと気が付くと同時に、続けられた言葉で思考が止まった。
「......サイレスが、望むなら。わ、私も同じように好意を返したいです。すごくすごく恥ずかしいけど、本当はずっと、嬉しかったんです。っだから......今みたく、ふ、二人だけの時、なら」
真っ赤な顔で閉じていた瞼を持ち上げ、恥ずかしさで涙目になりながらもしっかりと目を合わせて「私からも、受け取ってくれますか」なんて言ってくる。
思わず本能のままに行動を起こしかけて思いとどまり、エマを腕の中にしまい込むように抱きしめる。あの時と同じ場所で、同じベンチに座っているのに今は人目がないのか?なんて今どうだっていい事を考えながらグッと歯を噛みしめ、激情が少しでも落ち着くのを静かに待つ。
くっっそ、かわいいなコイツ。
この言葉が本心からだと分かっている。自分と同じ位早い鼓動も好意的な感情を乗せた匂いも強く、期待に満ちた先ほどの表情はこの思考だけに染められて動けない。
殊更ゆっくりとした呼吸を意識して、なんとかそれ以上の行動に出ないよう理性と戦う。抗いがたい本能の衝動と言ったら言葉に尽くしがたいが、せめてもの慰めに、さっきは囲むように開けてやっていた距離をゼロにして隙間なく抱きしめ、力一杯その匂いを嗅ぐだけに留めて息を吐く。
そんな俺の行動を腕の中からエマが、疑問符を浮かべ名前を何度か呼んでくる。出来ることならもっと名を呼ばれたい。俺にとっては腕の中から出したくない程に可愛くて、たまらなく愛おしいお前に自分だけを見て必要とされていたい。もっともっと触れてほしい。
だが今これ以上は。
「あの......?サイレス?」
「これ以上はココじゃ無理だ。誰が見るかも分かんねえのにそんな顔、外でさせるのは俺が無理」
「......えっ、え!?無理ってそんな、あの、ならせめてしっぽを触ったりさせて、っむぐ」
「しっぽだけで済まねえよ、こっちが」
有無を言わせずそう言い、ベンチの隅に置いたままだった昼食の残りをその口へ突っ込み必死に平常心を装う。だが内心では激しく葛藤し、半年前とは比べ物にならない程の強い欲求を押さえるので精いっぱいだった。学園に戻ったらお前のやりたい事を応援すると、邪魔はしないとも決めていた。決めはしたが......正直に言えば!
お前の名前も呼べないほど惚れてんのに、そんな顔を見たら、泣かれても嫌がられても途中で絶対止められない自信がある。約束全部反故にしてお前のやりたい事全部無視して、ずっと腕の中から一歩も出さずに自分の気が済むまで匂い付け出来るならとっくにやってる!
そうとも知らず、俺の感情を揺さぶってる自覚の無いエマのきょとんとした顔が憎らしくすらある。本音は今すぐにでも蜜月に入りたい位だってのにコイツは若い獣人を前にして全然全くこれっぽっちも分かってない......あークッソ!!こんな我慢がいつまでも続くわけがない。卒業するまでだ、あとほんの一月だ。卒業したら、覚えてろよ......!
そんな俺の葛藤と決意など露ほども知らない顔で、ただひたすらもぐもぐと口を動かす姿にどこか癒されつつ、自分の分も食事を終えた所だった。
いつもは食べさせ合う事すら出来ないエマが、勢いに負けただけなのか初めて俺の手から食事を食べた。その事に我慢のし過ぎで無表情になりながらもひっそりと満足していると、隣から「食べ終わり、ましたよね?」と声がかかると同時に一気に視線の位置が下がった。
「もう少しお昼休憩も残ってますし」
気が付けばベンチの上で膝枕されていた。一体どこから大の男を強制的に横にする力が出るんだ、とはもう聞かない。それも魔道具か。魔道具なんだろうな。
自分が同じことをすれば相手の体のどこかを痛める行為も、こいつは難なくやってしまう。底知れない実力差を感じながら、下からエマの顔を呆然と見上げていた。
......頭の下から心地よいあたたかさや太ももの弾力、こいつの匂いを強く感じ、そこまで考えて顔と体に一気に熱が集まった。思わず顔を外に向けて腕で顔を隠すが、こいつはと言えば、能天気で的外れな事を言いながらニコニコと話しかけてくる。
「ふふ!どうですか?恥ずかしいでしょう?私もあの時とっても恥ずかしかったんですからね?その上サイレスには寝顔なんて無防備な所を見られて、憤死ものだったんです!」
「っ、も、もういい、わかったから......」
「えっダメですよ、最低でも休憩が終わるまで......そう、鐘が鳴るまではこのままでいてもらわないと」
何の拷問だ。
とてもじゃないがこの姿勢で居続けられない。だが体を起こそうとする度にダメだと言って押さえつけられ、せめてもの抵抗に膝の方へと体ごと向きを変える。じわじわ全身が汗ばむ中、行き場のない両腕を組みじっとしているしか出来ない。何かないか。気がまぎれるような、話題。
「......お前、ローデリック家に養子にって言われてた件、どうした」
「養子の件、ですか?それならとっくにお断りしてますよ?」
「なら卒業後はどうすんだ。後ろ盾とか。既に色々声はかかってんだろ?」
「ええ、確かにお声はかけて頂いていましたが......」
卒業後についてはまだ具体的には未定ですが、と前置きして話始めたその内容は想像以上で、思わず「は?」とエマを振り返ってしまった。
まず国境でのドラゴンの侵入を阻んだ事への功績として、ギルドからBランクから二階級飛び級して最高ランクへの昇格通達が今日あった事。それにより国からの緊急招集以外は自由の身となった事。さらに以前から言われていた褒賞の受け取りや面倒ごと等もすべて辞退する事が可能になった事を、何てことない顔でサラッと報告された。学生で平民という立場を前面に出し、遠回しに国からの再三の要請も褒賞もパレードも何もかもを断っていたが、あまりの圧に顔なじみのギルマスへ相談という名の手を回し、隠していた実績から功績からなんなら新しい魔道具の提出もして一気に昇格した事で、便利な断り文句を手に入れた、と。ダメ押しに無限収納の改良版をプレゼントしたのが効いたかな等と軽く話しているが、もう俺の耳には何一つ入っていない。
今頃になってこいつの悩みの深さを知った俺はもう恥ずかしいやら情けないやらで言葉がまったく出てこない。そんな事になっているなんて考えもしなかった。
そんな俺に気が付いていないエマはさらに「功績ならばサイレスにもありますから、今後ギルドに登録する事があれば優遇されますからね」と嬉しそうに話している。ギルドへは未成年だろうが学生だろうが関係なく、仕事をする意思さえあれば登録が可能となり、結果を示せば個人に報酬は払われる。実績を積めばランクは上がり、報酬も難易度と比例して上がっていく。こいつが一体いくつの時から登録しているかは知らないが、この年で最高ランクなんて規格外なのもいい加減に、ってちょっと待て。さすがにソレはちょっと待て。
「俺は未登録だってのに功績があるのはおかしくないか?」
「?おかしくないですよ、私は過去の国境での一件をギルドへ正確に報告しましたので、討伐者は確かに二人です。サイレスが未登録でしたから報酬もランクの記載もありませんが、登録すれば即私同様に国から連絡があるでしょうね。面倒ですけど最高ランクになれば自由です!私もお手伝いするので、卒業するまでの一か月、一緒にどんどんランク上げしましょうね」
「......いや簡単に言うなよお前」
「サイレスこそ気が付いてますか?現在獣化できる獣人はギルドに登録されてません。すべて国の中央に携わる仕事に就いていると聞いています。戦闘能力の高い獣人はたくさんいらっしゃいますが、さらに呪術も使いこなし獣化する存在なんて絶対にレアなんですから!学園でも初めてなんじゃないでしょうか?獣化して卒業した生徒、なんて。だから呑気な事言ってる暇はないんですよ。卒業前の今だって安心出来ませんよ。何としても国が動く前に意思表示する必要があります! あ、私には後ろ盾なんて必要ないですよ?むしろ最高ランクの冒険者である私自身がサイレスの後ろ盾です。でもそれだけじゃ正直まだ不安なんですよね。どんな口実で中央に連れて行かれちゃうのか、全然わかりません。......その上今のまま実力を示さないままでいる事を選択すると、今度はサイレスが私の面倒事に巻き込まれるのは目に見えてます」
「つまり......俺も登録が必要、なのか」
「はい。周囲に利用される可能性もありますからそこは早急かつ絶対に。でも大丈夫です、私は役に立ちますから。それに周回とかレベル上げとかも得意な方なので安心してください。最短時間で最高まで上げてしまいしょう!」
「簡単に言うな」
「ふふっ、出来る事のお手伝いくらいさせてください。ようやく役に立てそうな事が見つかったんです......これからは私にも応援させて下さい。私はサイレスが隣にいてくれれば、それだけでいいんですから」
不意打ちをくらい、それ以上は言葉にならず口をつぐむ。正直自分の事なんて何も考えてもいなかった。今後の可能性をこれだけ危惧されて、真っ先に頭に浮かんだのは面倒くさいの一択。......それでもこいつが隣にいてくれるなら、自分と同じことを望んでくれているなら。我慢できない事はきっと何もない。最短時間で最高ランクなんて無茶も可能なんだろう。本当に規格外で、言う事もなにもかも無茶苦茶で、俺が知る誰よりも最高だ。
それにしても、だ。今日のこいつはいつもと違って、随分と素直な上に積極的じゃないか?
そんな俺の疑問を肯定するように、さらりと頭の上を手の感触がすべっていく。
「うん、私から触るなら大丈夫、みたいです。むしろ余裕があります。私がされてばかりなのは羞恥心が勝ってしまいますけど、これからは私ももっと触れ合う努力をしますね。......ふふ、髪サラサラですね。黒くて艶があって......ずっと触ってみたかったんです」
そう言われながら頭を撫でられ、柔らかな笑顔を向けられて、何か言おうと言葉を探すが出てこない。ゆっくりとまた膝の方へ顔を向けるが、確かにこれは、かなり恥ずかしい。だがそれ以上に、俺への気持ちを言葉と態度に表してくる事が嬉しくもある。逆に考えれば素直にここまで言えなかったのは、俺が態度に出し過ぎていたせいか。......なんだ、それだけだったのか。
俺は緩む口元と赤くなる頬を自覚するしか出来ない中、耳を小指が掠め、ピクッと小さく反応するのを頭の上では繰り返される。何が面白いのか、時折笑いながらも撫でられ続けていたがまさか、無意識にしっぽを巻き付けていたなんて自覚はゼロだった。
いつまでも続くかと思われた時間も、校舎から聞こえる鐘の音によってようやく終わり解放される。
「残念ですがそろそろ休憩も終わりですね。んふふふっ、もふもふ堪能させていただき、っ!!」
清々しい笑顔で喋るその口を塞ぐ。ベンチの背もたれから見えない位置で、何をしていたかは聞かないで欲しい。意趣返し......いや、単に俺が触れたくなったんだ。以前と同じ距離感が、笑う姿が、まっすぐに自分へ向けられた好意が嬉しくて。
事実としては、鼻血を流し意識を飛ばしたエマを抱えて医務室へ駆け込んだのを多数の生徒に見られた、とだけ。
この時の俺は分かっていなかった。
未定と話していたエマの進路だが、卒業する直前になって呪術返士の可能性を最大限発揮させるサポートをする為、一般のギルドとは別の魔術士専門のギルドを立ち上げたいと相談してきたり、ローデリックが一枚かませろと首を突っ込んできたり、こいつのクラスメイトは当然喜んで協力するし、学園からは教師だけでなく熱烈なファンの生徒だとかその親が支援者となり、知り合った冒険者の中からも次々と協力者が現れ想像以上に規模も大きくなるなんて。そうなると当然コイツは責任者として忙しくなり、優秀な術士を抱えるギルドとして国の中でその存在が認められる頃には、あのアホ王子もといアホ王女が性懲りもなく何度も突撃してきていつの間にかコイツと友達になった上、面倒ごとが国内外から次々持ち込まれるようになり息つく暇もなく走り回る中、知らない間にいたる所で伝説を作ってるなんて。
そんなことが当然今の時点で想像つくはずもなく。独り占めできる時間も満足に取れるはずもなく。つまり、卒業後も当分俺の我慢は続くんだという事を。
医務室へと機嫌よく走る俺は、想像すらしていなかった。
結局最後までエマの名前を呼べなかったサイレス。我慢ばかりさせてしまいました。
これにて完結です。
感想など頂けると私がとても喜びます。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!