3話
女官長はあたしを粗末な物置部屋に案内した。
そうして投げ渡されたのは女官が着るという制服とエプロンなどの衣類だった。
「……それらを着たらまずは。この部屋を掃除しなさい。後は。身の回りの事は自分でやることね」
「……はあ」
「聖女だか何だか知らないけど。調子に乗って陛下のお目に留まろうとは思わないことよ」
女官長はそれだけを言うとあたしを置いて去っていく。仕方ないと思いながら掃除道具を取りに向かった。
箒やちり取り、バケツに雑巾、埃はたきなどが仕舞われている場所を別の女官さんに訊いてみる。そうしたら新人だと思ったのか丁寧に教えてくれた。
「あら。新しく入った子かしら。掃除道具はこの廊下の突き当りにあるわ」
「ありがとうございます」
「あなたも大変ね。じゃあ、私は行くわね」
女官さんはにっこりと笑いながら行ってしまう。あたしは教えられた通りに廊下の突き当たりを目指した。
確かに掃除道具は突き当たりにあるドアの向こうに置いてあった。開けて必要な物を両手に抱える。まずは埃をはたいて落とさないと。そう思いながら物置部屋――自室に向かう。トートバッグは持っていたので中から不織布マスクを取り出す。それをポケットに突っ込み、バケツに水を入れに行く。
……待てよ。こちらにはそもそも水道はあるのか?
それに家電製品だってなさそうだ。現代日本みたいに便利な道具は一切ないと思った方がいいだろう。ふうとため息をつきながら祖父母が言っていた事を思い出した。
『いいか。壱月。昔はな、水道なんてなかった。井戸から水を汲み上げて使っていたんだ』
あたしはよしっと決めた。井戸を探しに行くぞ。場所はわからないからまた別の女官さんか誰かに訊くしかないが。そう考えながら通りすがりの女官さんをつかまえた。
「……あの。すみません」
「あ。さっきの子じゃないの。どうしたの?」
「何度もすみません。井戸の場所もわからなくて」
「そうだったの。あなた、もしかして。今日に来たばかりなの?」
「はい。実はそうなんです」
眉を下げながら言った。嘘はついていない。自身が側妃だと言うことは黙っておく。言ったところで状況がややこしくなるだけだ。
「まあ。なら仕方ないわね。付いてきて」
「はい」
女官さんは歩き出す。慌てて付いて行ったのだった。
歩く道すがら女官さんは自己紹介をしてくれる。名前はローザさんといい、王宮女官として働き始めてから5年は経つらしい。道理で慣れていると思った。
「……私は伯爵家の出だけど。実家は貧乏でね。だから後宮の女官として働きながら仕送りをしているの」
「凄いですね。あたしには真似できないな」
「そんなことないわ。あ、あなた。名前はなんていうの?」
「……イツキといいます」
「……ん。イツキさんっていうの。なんか、聞いた事がある名前ね」
あたしはドキリとした。ローザさんは真顔になる。
「そういえば。女官長様がおっしゃっていたわ。異世界から聖女様が来たとか」
「あたしは。聖女様なんかじゃないですよ」
「……嘘はつかなくていいわ。ごめんなさいね。あなたの髪色や瞳の色はバルサリーニでは珍しいから」
ローザさんは苦笑いしながらあたしの肩に手を置く。
「とりあえずは付いてきて。お掃除や他の事を私が教えるわ。あなたが聖女様だというのは一部の者しか知らないから。女官長様は異世界から聖女を召喚するのは反対していたしね」
「……そうなんですか」
「さ。早めに終わらせないと。日が暮れてしまうわ」
頷いてローザさんの後を追いかけた。
その後、ローザさんと2人で物置部屋を片付ける。放置してあった物をどけて。埃をはたきで落とした。不織布マスクをしながらだが。頭にはタオルを巻いて袖は腕まくりをしてから落とした埃を箒とちり取りで取り除く。最後に井戸で汲んできた水で雑巾を濡らして絞る。備え付けらしい家具や床、窓などを拭いた。夜がとっぷりと暮れた頃にやっと掃除は終わる。
「今日はこれくらいにしましょう。さ。食堂に行って夕食を済ませないと」
「はい」
「明日はお洗濯についても教えるわ。少しずつでも覚えた方が為になると思うの」
あたしは頷いた。側妃とはいえ、今はただの女官だ。頑張るしかないと思い直すのだった。
ローザさんと一緒に食堂に行き、夕食を済ませた。本当に彼女がいて良かったと思う。
「……そうね。あなたは今日からイライザと名乗ったらいいわ。本名は隠しておくべきね」
「え。けど。他の女官さん達にバレているのでは?」
「大丈夫よ。あなたがいた部屋は王宮でもかなり奥まった場所だしね。ほとんど女官達も通らないの」
成程となった。けど。ローザさんは何でここまでしてくれるのだろう。それは不思議に思った。
「あの。ローザさんはあたしに親切にしてくれていますよね。どうしてですか?」
「……そうね。あなたが放っておけないというのはあるわ。後ね、陛下から命じられているの。『聖女がどんな目にあうかわからないから。側にいて守ってやれ』とね」
「そうなんですか。なら。あたしもより気を引き締めないとダメですね」
そう言いながらあたしはオニオンスープを口に含んだ。ローザさんも同様にしながら今後の事を話し合うのだった。