12話
あたしがバルサリーニ王国に来てから、8ヶ月が過ぎた。
季節は3月で初春と言える頃合いだ。あたしは、ローザさんに刺繍を教えてもらっている。今は嫁ぎ先になったウェイリー公爵家の紋章にも使われている杉の葉と獅子の意匠をチクチクと刺していた。
はっきり言って、かなり難易度が高い。涙目になりながらも一針ずつ仕上げていく。杉の葉は良いとしても。獅子は難しくて、何度か針を指に刺してしまっている。そのたびに痛い思いをしていた。
「あら、イツキ様。刺繍は苦手でいらしたのですね」
「うん、お裁縫は本当に苦手で。ローザさんに教えてもらうまで刺繍なんて、やったことすらなかったよ」
「そうだったんですね」
ローザさんは苦笑いをする。あたしは針を指に刺しそうになりながらも、刺繍を少しずつ続けた。
夕方になり、刺繍は明日にしようと言われた。ローザさんは外に控えていたアレクシアさんに夕食を持って来てくれるように頼んだ。アレクシアさんは、急いで厨房に行ったらしい。本来はルーナさんに頼むべきなのだが。彼女は足を捻挫したとかで仕事ができない状態にあった。半月くらいは、安静をとお医者さんには言われていると聞いた。なので、アレクシアさんとエレインさんが交代で朝昼晩の食事を持って来てくれている。ローザさんが行ってくれる時もあるが。
「……イツキ様、夕食を持ってきましたよ」
「ありがとう」
「今日は、黒パンとひよこ豆のスープ、子羊のスペアリブに。サラダです」
あたしは子羊と聞いて、豪華だなと驚いた。アレクシアさんは意外と慣れた手付きで食事が盛りつけられたお皿をテーブルに並べていく。カトラリーも用意してくれる。お礼を言って、まずはスプーンを手に取った。
「いただきます」
両手を合わせて食前の挨拶をする。そうしてから、一匙掬って口に含む。ひよこ豆のほのかな甘みとほくほく食感がたまらない。スープ自体もトマト風味で他にも具材に、玉ねぎや人参、セロリも入っている。あっさりしているし、具材も柔らかく煮込んであった。なかなかの逸品だ。黒パンを浸しながら、食べた。よくスープを吸っていてこちらも素朴ながらに良い味だ。
気がついたら、黒パンにスープは食べてしまっていた。次はサラダを食べる。サニーレタスにキュウリ、キャベツやトマト、ゆで卵が入っていた。また、生ハムもある。ドレッシングはごま風味だ。まろやかで濃厚ながらにあっさりもしている。サラダを堪能したら、子羊のスペアリブにも手を付けた。
「ふう、幸せだわ」
一人でほうと感嘆の息をつく。スペアリブも柔らかくて口に含んだら、ホロホロととろける。凄ーく美味しいわ!ほっぺたが落ちてしまいそう。全部をお腹に収めてしまった。女としてどうなんだとか言われそうだが。あたしは花より団子、色気より食い気と断言できる!
だって、人間にとって食事は大事じゃない。健康の基本の一つと言ってもいいくらいだ。内心で思いながら、また一人で頷く。生ぬるい目でローザさん達が見ているのはスルーした。最後にちゃっかりデザートもいただいたのだった。
食事が終わると、大浴場に行く。これも習慣になっている。ふと、元の世界の両親や2歳下の弟が気にかかる。元気にしているだろうか?
お父さんはお酒を飲み過ぎていないかな。お母さんは肩こりが酷くなっていやしないか。弟の潮は学校に無事に通えているかな?
気にし出したら、次々と湧き出てくる。涙腺が緩みそうになって首を横に振った。今はお風呂だ、お風呂。元の世界のことは明日にでも考えよう。考えを無理に切り替えたのだった。
お風呂から上がり、後は眠るだけになる。寝室にてベッドに入り、部屋の明かりであるカンテラの火を消そうとした。すると、コンコンと寝室のドアが鳴らされる。
返答をすると、ドアの向こうから聞き覚えのある声がした。
「……あの、イツキ様。ローザです」
「あ、ローザさんなの。珍しいね、こんな夜中に来るなんて」
「いえ、先程に随分と何かを悩んでおいでだったので。心配になって来てしまいました」
ローザさんの言葉にあたしは申し訳なくなる。まさか、気づかれていたとはね。あたしはため息をついた。
「いやあ、大したことじゃないんだよ。ただ、元の世界の家族のことが気にかかったんだ」
「そうでしたか、なら。気分が落ち着くハーブティーの茶葉を持って来ました。明日にでも淹れて飲んでみてください」
「わざわざ、ありがとう。気を使わせちゃったね」
「気にしないでくださいね、私がやりたくてやったことですから」
「うん、ローザさん。夜中なのに本当にありがとう。おやすみなさい」
「……はい、おやすみなさいませ」
ローザさんの足音がゆっくりと遠のいていく。あたしはさり気ない気遣いに嬉しくなった。あんな優しい人が将来は、あたしの義妹になるとはね。まあ、年上ではあるんだけど。それでも新しい婚約者になる予定のウェイリー公爵様に思いを馳せた。ローザさんみたいに打ち解けて仲良くなれたらいいな。柄にもないことを思いながら、瞼を閉じたのだった。




