第16話 勇者の苦悩
その夜――
(あー……ヤバい。全然眠れない……)
わざわざ個室を用意してもらえたのだが、寝付けなかった。前に同じような部屋で泊まった時は寝られたけど、その時とは状況が違いすぎる。
夜風にでも当たろうかなと、ふらりと部屋を抜け出す。借り物のワンピースタイプの寝巻き姿だったが、どうせ誰にも会わないだろうし別にいいかと思った。
俺たち現代人とは違って、この世界の人たちのほとんどは太陽の動きに合わせた生活をしている。夜明けと共に目覚め、日が沈めば家に戻る。魔法文明のおかげで照明器具は発達しているけど、それでも俺の感覚からしたら、みんなすごく早寝早起きだ。
教会を出て、建物の前に広がる噴水広場へ向かって歩く。この噴水も、ソムニア王国の文化レベルの高さを表している。どうでもいいけど風呂もトイレもしっかりしてるファンタジー世界ってのは、本の中に入る者の立場からすると非常にありがたかったりする。
「あっ……」
その時俺は、意外なものを見つけた。
噴水の縁に腰掛けて、物憂げに俯く人影。……ミコだ。
「……っ」
彼女の方も俺に気付いたようで、すぐに立ち上がろうとした。
「待てよ!」
咄嗟に声をかけると、ぴたりと止まった。どうやら深い意図があったわけではなく、反射的に逃げようとしてしまっただけのようだ。
「そんな露骨に避けなくてもいいだろ……。別に俺は、君を責めたりする気はないよ」
ゆっくり近づきながら、俺は言った。怯える猫に近づくように、慎重に、刺激しないように。
「でも、ポルタ君だって……ボクのせいで師匠が死んだって、思ってるよね?」
「違う。君のせいじゃない」
「…………」
ミコは力なく、元の位置に腰を下ろした。俺もそのまま隣に座る。
彼女も俺と同じ、男女共用の寝巻き姿だ。ただ、普段の――いかにも冒険者って感じの服装と比べると、だいぶ印象が違う。こんな質素なワンピース姿でも女の子なんだなって、自然と意識させられるというか。
実のところ、俺はこれまでミコと二人きりで話したことがない。主人公なのでもちろん好きなキャラではあるけど、ちょっとしたことでタブーに触れてそうだったから避けてきた。
彼女の言いそうなことは、ある程度先読みできる。でも、同い年の女の子とこんなところで二人きりだって意識すると、どうにも上手く話せなかった。
「えっと……いいか、ミコ。アルドルは、自分が死ぬことなんて、なんとも思ってなかった。この国の未来を守るために、覚悟を決めてたんだよ」
「……うん、師匠もいつも言ってた。町の子どもたちのために戦うんだって」
「子どもたちの中には、君やラピスも含まれてたと思うよ。未来のソムニア王国を作るのは、君たちなんだから」
「……ボクにとっても、師匠はお父さんみたいな人だった。ラピスにとってもそう。だから、ボクたちを責めたりしないことぐらい、わかってる。いつだって師匠は、自分の信念に従って……全ての決断を下してきた」
「……そうだよな」
彼との最後の会話が思い出されて、こみ上げてくるものがあった。
思わず喉が詰まりそうになったのをごまかしながら、俺はこう続けた。
「だから、アルドルが自分のせいで死んだなんて言ったら、彼を侮辱することになるだろ?」
ミコは黙って俯いた。噴水のせせらぎが、重い沈黙を柔らかく埋める。
「ポルタ君は……どうして、ボクを責めないの?」
「どうしても何も……君は、何も悪くないだろ?」
「ボクは、勇者だから……みんなを守る義務がある。だから、犠牲者が出たのは……ボクの責任なんだ」
「ん……」
やっぱり今の彼女は、肩書きを重荷に感じているようだ。
俺も彼女の覚醒後の姿を知らなければ、きついことは絶対に言えなかったと思う。
でも、原作のミコは、本当に凄いんだ。アルドルと同じ封魔の力を使いこなして、危険を楽しむかのように戦場を駆け巡る。つまり、一度吹っ切れてしまえば、現在彼女が抱えている苦しみは全部なくなるわけだ。
それを知っている俺は、思わず気軽に『大丈夫だよ』って言ってしまいそうになるけど……さすがに今の彼女には、そんな楽観的な言葉は届かないだろう。
(昼間にラピスと話した時は、割と上手くいったよな……)
あの時はアルドルになりきって話したつもりだった。そうすることで緊張や遠慮がなくなって、すらすら喋ることができた。
ミコにも、同じように話してみるのはいいかもしれない。アルドルならたぶん……こんなことを言ったんじゃないかな。
「あのな、ミコ。君が勇者っていうのは、賢者だとか偉い人たちが勝手に言ってることだ」
「えっ……」
「そんなもん、勝手に言わせときゃいいんだよ。君が戦いたくないなら、逃げ出したっていい。どうせ誰にも捕まえられないって。君が本気を出せば、この国の軍隊全員よりよっぽど強いんだから」
都を追われたアルドルも、かつてはそうだった。勇者の存在を疎む一部の権力者たちに嫌気が差して、一度は世捨て人になった。だけどミコやラピス、町の子どもたちを守るために、再び剣を握ったのだ。
「そ、そんなの……できないよ。たぶん、院長先生たちが責任を問われるし……」
「でもフォルトゥナさんたちだって、君が戦わなければどのみち魔王軍に殺されるよな?」
「…………」
ミコはぐっと唇を噛んだ。そんなことは彼女にもわかりきっているはず。多少気は引けたが、アルドルになりきっていたので喋り続けられた。
「だからまあ……君が戦わなくても、戦って負けても、どうせこの国は滅びるんだよ。お偉いさんたちは、自分の立場がわからずに勝手なことを言ってるだけなんだ」
「……わかってるよ。みんなを守るには、ボクが魔王に勝つしかない。そうしないと、また大切な人を失うことになる……」
「それでも、もし魔王に負けたって、ミコが悪いわけじゃないぞ。君がいなけりゃハナから勝ち目がないんだから、気負うことなんて何もないんだ。ハッハッハ!」
白い歯を見せて笑ってみる。だがミコは、こちらを見てさえいなかった。
正直、若干凹んだけど……アルドルなら気にせず、このまま話し続けるだろうな。
「じゃあ、違うことを考えてみよう。魔王に勝った後のこと、想像したことはあるか?」
「……そんなの、ないよ」
「魔王を倒せば君は自由だ。英雄だってチヤホヤされて、一生安泰だよな」
「ボクは別に……チヤホヤされたくなんか」
「でも、ドレスでもなんでも、着たい服を着られるぞ?」
「どっ……!?」
それまで生気のなかった顔が、突然真っ赤になった。よっぽど恥ずかしかったらしい。
「ドレス、着たいんだろ? じーっと見てたもんな」
「ち、違うんだよあれはっ! ドレスを見てたのは、別にそういうことじゃ……っ!!」
「ミコなら似合うと思うよ」
「うえっ……!?」
「君は可愛いし、絶対似合うって。平和になったら勇者に仕事なんかないよ。普通の女の子に戻って、毎日のんびり暮らせばいいさ」
「あっ……う、えっ…………」
「戦う動機なんて、自分のためでもいいんだ。いつかドレスが着たいっていうのが動機でも、全然いいんじゃないかな」
「…………」
アルドルになりきった効果で、つらつらとセリフが口から出てきてくれた。普段は喋るのは苦手なんだけど……もしかしてこれ、リアルの生活でも応用できるんじゃないか。
ミコは耳まで真っ赤にしたまま、しばらく黙って俯いていた。そんなにドレスに興味があるってバレたのが恥ずかしいんだろうか。
「……ポルタ君って、やっぱり、師匠の友達なんだね」
と、いきなり口を開いた彼女は、何やら意味深なことを言ってきた。
「ん? どういうことだ?」
「師匠に昔、同じようなことを言われたのを思い出したよ。『動機は自分のためでもいい、それが結局みんなのためにもなる』って……」
「そ、そうか……?」
作中には出てこなかったセリフだけど……まあ、なりきりの精度が高かったってことかな。
「アルドルも……君と同じ苦しみを抱えてたんだな。それを乗り越えて、強くなったわけだ」
「でも、魔王軍には勝てなかった。師匠が勝てないのに、ボクなんかじゃ――」
「ボクなんかとか言うなって。俺は君を信じてる。君も、自分を信じろ」
「……無理だよ。ボクって、どうしてこんなに弱いんだろう……」
「だから、君は弱くないんだって……。自分でも本当は気付いてるんだろ? 君の才能はアルドルに匹敵するんだ。成長すれば確実に、アルドルを超える勇者になれる」
アルドルが言いそうなことは全部、彼女にぶつけたつもりだ。
だけどそれでも、ミコの心を奮い立たせるには足りなかったようで――
「ボクだって、気負いたくて気負ってるわけじゃない。できれば何も考えず、剣を振りたいよ。だけど、どうしても……。師匠の、最期を思い出しちゃって……」
「……そうか」
心の傷を克服するのは、そう簡単じゃないようだ。
もうこれ以上、俺にできることはないのかもしれない。
(まいったな……。結局、収穫なしか……)
そんなことを考えていた俺に、ミコは素朴な質問を差し向けてきた。
「ポルタ君は……どうして、ボクに優しくしてくれるの?」
「えっ……?」
真っ直ぐにこちらを見つめる、澄みきった瞳。
急に、罪悪感がこみ上げてきた。
真剣に苦悩する彼女に対して、自分のことだけを考えて接してしまっていたことに突然気付かされたからだ。
「そ、それは……」
俺はいつからこんなふうに、この世界の人たちを、まるでゲームの駒みたいに考えるようになっていたんだろう。彼女が覚醒してくれないと困るのは事実だ。だけど、彼女にだって心はあるし、一番どうにかしたいのはミコ自身のはずなのに。
『どうして優しくしてくれるの?』
――俺が死にたくないから、なんて言えない。
だけど嘘にならないように答えようとすると、言葉が出てこなかった。
こうして長い沈黙が訪れたところで、ミコはおもむろに立ち上がった。
「ごめん……。ボク、もう部屋に戻るね……」
「あっ、待って――」
咄嗟に俺は、彼女の右手を掴んでいた。
「ぽ、ポルタ君……?」
「あの……最後に言わせてくれ。俺は……俺が生き延びるためだけに、君につらい思いをさせようなんて思ってない。とにかく、それだけはわかってほしい」
「う……うん……?」
こんなの偽善でしかないし、ただの言い訳だってわかってる。それでも俺は、言わずにいられなかった。
「今日はさんざん身勝手なことを言ったけど……俺は、君にも幸せになってほしい。勇者だって、一人の人間なんだ。誰かの操り人形になんか、なっちゃいけないよな……」
「…………」
「……ごめん。いきなりわけわからないこと言って……」
俺が手を離すと、彼女はその手を胸元に持っていって、反対側の手で包み込むようにした。
薄い月明かりに照らされて、儚げな微笑みが浮かび上がった。
「うん……。でも、ありがとう。ちょっとだけ、気持ちが楽になったよ」
「そっか……だったらよかった。おやすみ、ミコ」
「うん、おやすみ……」
ミコは別れ際には笑ってくれた。多少元気になったようではあったけど、吹っ切れたというには程遠い状態だ。
明日の戦いにはちゃんと出てきてくれそうだけど……覚醒まで期待するのは、厳しいだろうな。
なんにしても、彼女の気持ちを無視して無理やり覚醒させようとするようなやり方は、間違ってる気がする。
ラピスのこともそうだ。原作に近づけるためだけに見殺しにするなんて、正しいはずがない。
俺は、ソムニアサーガの世界と、そこに生きる人々が好きだったはずだ。
いくらオルタナになったって言っても、元はソムニアサーガだ。
俺の命が懸かってるとはいえ、みんなを蔑ろにするような真似は絶対にしたくない……。




