第1話 一夜明けて
朝が来た。目覚ましが鳴って、普通に目が覚めた。
ベッドに入っても本の世界に行かず、そのまま眠ったのはいつ以来だろう。いくら日課のようになっている趣味とはいえ、あれだけ色々あった後だと、普段通りに過ごせないのは当然のことか……。
昨日の出来事が全て夢のようだ。未だに現実感がない。
それでも携帯電話を開くと、メッセージアプリには、山吹史織、烏羽袖子、白梅和花――秘密を共有することになった三人とのグループチャットの履歴が、はっきりと残っているわけだが。
*
「トビラは死ぬ。オルタナもろとも、存在が消滅してな」
モジャから驚愕の事実を聞かされたあの時――俺はショックで言葉を失ってしまっていた。
代わりに口を開いたのは、山吹だった。
「赤野が死ぬって……モジャ、それ、マジで言ってるの……?」
「イエス、大マジよ。そもそも【原作の展開から離れた時点でトビラは死ぬ】って、説明してあっただろ?」
「そ……それは、そうだけど……」
「オルタナが生まれた時点で、原作からどっかがズレたのは確定してるんだ。だからむしろ、今ソイツが生きてるのが超絶ラッキーってわけ。ツイてたな、トビラ! ニャハハ!」
「…………」
呼びかけられてもすぐには反応できなかった。
混乱しきった頭の中を無理やり整理して、なんとか声を絞り出す。
「要するに……まだ、今なら軌道修正が可能ってことだよな?」
「ま、今んとこな。ほっときゃ普通に死ぬぜぇ? オマエが学校に行ってる間も、寝てる間にも、オルタナ世界はどんどん先に進んでいっちまうんだからなぁ~」
さも嬉しそうにそう言われて、さすがにカチンと来た。
コイツは俺を怖がらせようと、デタラメを言ってるだけなんじゃないか……?
「ふざけんな……。こんなの、全部初耳だぞ? お前、適当なことばっか言うな!」
「悪いなトビラ。でも思い返してみろよ? オレは説明をサボったことはあっても……オマエに嘘をついたことは、一度もねーぞ?」
「うっ……」
確かに……そうだったかもしれない。
じゃあ、俺は……このままじゃ、本当に死ぬってことか……?
「……わかったよ。俺、今から行ってくる」
「赤野……!?」
動くなら早いうちがいい。分岐した物語が勝手に進み続けるっていうのが本当なら、早ければ早いほど修正箇所は少なくて済むだろう。
「みんなはもう帰ってくれ。そこのドアから出れば、学校の教室に戻れるはず――」
「待ってよ! あたしも一緒に行くからっ!」
「史織ちゃんが行くならわたしも行く~!」「拙者もだ。放ってはおけん」
と、三人は次々と俺の方へ集まってきたが、これ以上巻き込むわけにはいかない。
「やめとけって……。俺にも対処できる自信はないし、危険すぎる」
「だってこうなったの、そもそもあたしのせいだし……。あたしがアルドル様に会いたいって言い出さなければ――」
「違う、気にしなくていい。結局は俺が、みんなを連れて行く判断をしたんだ」
「でも――」
「いいから! 俺一人で行く……!」
だが、勢い任せにオルタナの本に手をかけると――
「熱っつ……!?」
予想外の痛みが走って、思わず手をはねのけてしまった。
「だ、大丈夫……?」
「なんだこれ……本がメチャクチャ熱い。火傷するかと思った……」
「あーそうそう。言い忘れてたけど、生まれたてのオルタナには入れないぜ。まだ世界が安定しきってないからなぁ~」
「先に言っとけ! いつ安定するんだよ……!?」
「さあ? ま、明日の放課後には確実に安定してるだろうな」
「じゃあ……今日のところは、帰って寝るしかないってことか。くそっ……!」
「他の作品世界に入って遊ぶことはできるぜ。楽しく現実逃避でもするか?」
「ふざけんな……っ!!」
宣誓台に拳を打ち付ける。天井の高い部屋にゴンと鈍い音が響いて、余計に虚しくなった。
「畜生……。中の状況がどうなってんのか、今すぐ確認したいのに……」
「赤野……」
そっと背中に手を置いてきたのは山吹。振り返ると、また目に涙を滲ませていた。
「あたし、明日は一緒に行くから。絶対一人で死なせたりしないから……」
「拙者と和花も行くぞ。一人で勝手に行くなよ? いいな?」
「……わかったよ。もう、好きにしろ……」
「ねぇ、モジャちゃ~ん」
その時、白梅が唐突にモジャに話しかけた。
「わたし~、ちょっと聞いときたいんだけど~」
「おう、なんだ?」
「オルタナ世界っていうのは~、基本的には、『ソムニアサーガ』なんだよね~?」
「まあ、そうだな。人物や舞台の設定はそのままだから、影響のない部分は原作のまんまで進行していくぜ」
「出たり入ったりするのは、今までみたいに自由なの~?」
「あっ――」
言われてみれば……。それすらわからないのに俺は、性急に中に入ろうとしていた。未知の領域に飛び込むっていうのに、ちょっと無謀すぎたかな……。
「……意外と鋭いねぇ、ドMちゃん。無鉄砲なトビラとは大違いだ」
「えへへ~、それほどでも~」
「結論から言うと、出入りは自由だ。サイレンが鳴り出すことももうないからな。トビラの意識がある状態なら、いつでもどこでもゲートは開けるぜ」
「あとね~、もう一つ聞きたいんだけど~。この場所とか本の中の世界って、現実世界と時間の進み方は同じなの~?」
「そりゃートビラも知ってるよ。なあ、トビラ?」
「あ、ああ……。ここは現実世界と同じだと思う。でも本の中は……だいぶ早いかな」
「だいぶって、どれぐらい~?」
「ちゃんと計算したことはないけど……夜寝る前に中に入って、そのまま何日か過ごしても、本から出たらまだ夜だったりすることもあったかな……?」
「赤野、それって、毎回同じなの? 作品によって違ったりはしない?」
「しないな。毎回、大体同じだと思う。今まで気にならなかったし……」
「ふむ。ということは、オルタナの世界も同じということなのか?」
「……モジャ、どうなんだ?」
「へっ、お利口なドMちゃんに感謝しろよ。普通の本の中と、時間の進み方は同じだ」
モジャがそっけなくそう答えると、白梅はにっこりと微笑んだ。
「だったら、現実世界とオルタナ世界の時間の進み方の違いは、おおよその比率が割り出せそうだね~」
「確かに……。ソムニアサーガの世界って、この地球と同じで一年は365日、1日は24時間って設定だったよな?」
「うん。だから、計算は簡単だよ~」
「……ハア」
ここでモジャが、さもうんざりした様子でため息をつく。
「七倍だよ、七倍……」
「いきなりなんだ? 何が七倍だって?」
「時間の進み方の違いだ。現実世界で一日進む間に、本の中では一週間経つ」
「そ、そうなのか?」
「どうせ帰ったら自力で割り出しやがるだろうし、教えといてやるよ。つまんねー」
「ありがとう、モジャちゃ~ん!」
「最初から素直に教えろよ……ったく、この猫モドキめ」
それにしても――白梅はぼんやりしているように見えて、かなり頭が切れるようだ。
それに、非常に現実的な思考をする。彼女がモジャに質問してくれて、俺も少し落ち着くことができた。
ソムニアサーガは長編小説だ。さっきの場面から物語の完結まで、作中時間でまだ一年以上かかる。――ざっくり計算すると、現実世界で二ヶ月ってところか。
リアルの生活もあるし、その間ずっとつきっきりで監視するのは無理だ。当分は毎日のように、頻繁に本の中と現実世界とを行き来し続けることになるだろう。長丁場になるのは避けられなさそうなので、現時点で焦りすぎても仕方ないってことだ……。
「……白梅って、頭いいんだな」
「ほえっ……!?」
「今回初めて本の中に入ったのに……。俺、時間のことなんか頭になかったよ」
俺が素朴な感想を漏らすと、山吹が自分のことのように自慢気に言ってきた。
「当たり前だよ! 和花はずっと、学年トップの秀才だもんね!」
「えっ……!?」
「い、今は違うよ~。文系だけでの話だし、一位じゃないこともあるし~……」
「マジで……? 文系全体で、ほぼトップ……?」
「てゆーか、アンタこそ知らなかったの?」
「和花は、クラスではずっと一位だぞ」
「全然……そんな話、誰もしてなかったし……」
こんな、歩く有害指定図書みたいな奴が、トップクラスの秀才……?
俺よりずっと成績いいってことだよな……。嘘だろ……。
「わ、わたしのことはもういいよ~……。それより、これからの話をしなきゃ~!」
「そ……そうだな……――」




