物語前 原因の一人・茂みに潜む太ったミミズ。あるいは毒蛇
「さ、殺人事件の現場になっていただとぉ⁉」
「はい。拠点は封鎖されていました」
「な、な、なんてことだ……!」
パール王国が誇る裏の機関、“貝”の責任者にされている男、フランクが醜い脂汗を垂らしながら怒鳴る。
「け、【傾国】はどうなった⁉」
「確認できませんでした」
「そんな馬鹿な!」
彼が報告に絶叫しているのも仕方ない。
取り扱いを間違えればどうなるか分からない災い、【傾国】の身柄がサンストーン王国で行方不明になり、しかも貝の構成員たちが恐らく死亡しているとなれば、単に計画が失敗しただけの話ではなくなる。
「い、いや、アーロン王は好色だ。【傾国】が王都に運び込まれた時点で、作戦は成功したも同然!」
自分に言い聞かせるようなフランクに、貝の面々は嫌悪感を隠さないが、言っていることはそれほど間違っていない。
アーロン王が女好きなのは、パール王国が態々情報を集める必要がない程だし、王都に【傾国】がいるなら目立つに決まっている。
ならば王都に【傾国】がいれば、自動的に王宮まで連れていかれるようなもので、サンストーン王国が滅茶苦茶になるのは目に見えていた。
ただ、貝にとって唯一の外れとでも表現するべきか。【傾国】の美貌でも騒がず、平気で昼寝をする青年に匿われたのは、歴史にとって大きな幸運だった。
「国王陛下もお喜びになるだろう!」
貝の構成たちの額に青筋が浮かぶ。
無能極まるお調子者のフランクだったが、上層部が求める聞き心地のいい意見だけやたらと上手く、今回の件もサンストーン王国は必ず混乱すると報告されるだろう。
「サンストーン王国への工作を続けよ! 神スキルが祖国を脅かす前に崩すのだ!」
今回もそうだ。
サンストーン王国に誕生した神の名を冠するスキル、【戦神】と【政神】がパール王国を脅かす前に、先手を打とうと主張したフランクの意見は、上層部に採用されて貝はかかりきりだった。
ただ、こちらの意見も的外れとは言い難く、特に【戦神】レオが攻め込んでくる危険性が常に付き纏っているため、サンストーン王国になにかしらのダメージを与える必要があった。
保身と自己弁護が極まっているのに、意見が無視できない。しかしやることなすこと全てが、上層部に気に入られたいから……という非常に分かりやすい男が、唾を飛ばして発破をかけるのであった。
(しくじったな。女にも効果があったか?)
その内心はあまりにも冷たい男だったが。
先程の表現通り、唾を飛ばし、脂汗を垂れ流して、きょろきょろと視線を彷徨わせながら、恐ろしい程に冷徹なフランクは、部下が【傾国】の取り扱いを間違えたのか、それとも予想以上に強力だった魅力が、同性の女にも効果があったのかと考察する。
(まあ、サンストーン王国の王都に運び込んだ時点で成功は揺るがない。王の下に届かなくとも、いるだけで大きな混乱を引き起こせる)
ただその考察も、客観的事実が上書きした。
王都を【傾国】が出歩いただけで、王政を打破して魔性の女を頂点にしようとする勢力が生まれるだろう。それを考えると、サンストーン王国を混乱させる彼の計画に修正はほぼ必要なかった。
(後は待つだけだ)
いかに【戦神】を名乗ろうが、末端の兵が【傾国】に従っては満足に戦えない。
サンストーン王国が混乱すれば、近いうちに起こるエメラルド王国とパール王国の戦争に対処できず、偉大なる海洋国家は破滅するだろう。
(長かったな)
生まれ落ちて四十年以上。
ずっとずっと騙してきた。
単なる物として生まれ、物が人になるにはその原因を破壊するしかないと思い定めた。
そう、今のフランクたちは人ではない。使い潰される物なのだ。人に非ずと定義されているのだ。
ただ……。
(変わった女だった)
黒真珠にいた変わり者の女だけは手を焼き、心の中でだけフランクは苦笑する。
誰がどう見ても醜悪な男でしかないフランクに一度だけ近づいた女が、なにを考えていたのか知る術はもうない。
(……)
人間らしい感情を僅かに取り戻していたフランクが、再び他者の理解を必要としない妄念に支配された男に戻る。
あるいは推測を重ねて、ひょっとすると存在するかもしれない誰かに気が付くのを恐れたか。
(古代アンバーが崩壊して千年……額にパールがある神に選ばれた民。結構。ならば五十に届くか届かないかの男がどうしようと、小動もしない筈だろう)
散々、民と臍出しの違いを語っている国家なのだ。ならば一人の臍出しが足掻いたところで、どうにか出来る筈がない。
通常ならば。
後に悪婦、妖婦、毒婦すらも出し抜いた、ミミズに擬態している毒蛇が蠢く。
後世、単なる王妃の一人として名が残った誰かのように。
混沌とした歴史の始まりを作り上げた男は、暗がりでじっとその時を待っていた。
が……。
(【傾国】がサンストーン王国で暴れていない。誰が原因か知らんが、何もかもぶち壊されたな……計画を修正してジュリアスに接近するか)
無能の名を冠する青年の蝶というには大きすぎる羽ばたきは、流石のフランクでもつかみ切れなかった。




