後世から見たジェイク・サンストーンの少年期
一話で終わらそうと思いましたが、書いてる最中に絶対無理だと思いましたわ(*'ω'*)。
無謀の中の無謀作者、始まりません。
ジェイク・サンストーン。
新石歴中期の人物。
サンストーン王国国王。
アーロン王(名称には諸説あり)の子。異母兄にレオ、ジュリアスがいる。
クラウス王の父。
兄達が引き起こしたサンストーン王国の内乱を制す。無敗の国外戦争、経済実績を残し、再統一王、武王、金貨王、海路王、中興王、勝利王などと呼ばれる。
また、クラウス王を筆頭とした息子、娘も大成しており、父王とも呼称されることがある。
・生涯
神の名を冠したスキル所持者、【戦神】レオと、【政神】ジュリアスを兄に持ったため、王位継承権は皆無に等しい立場で生まれる。
十代中頃までの公的記録はほぼ存在せず、幾つかの貴族の日記にジェイクの名前が記載されるのみで、それまでの人生は多くが謎に包まれている。
また、スキル鑑定に関する記録がないものの、高位貴族の日記には、第三王子ジェイクのスキルは【無能】だという噂が流れている。という記載が散見される。
しかしながら後年におけるジェイクの活躍を考えるとそんなことはあり得ない。
最も有力な説は、ジェイクも神の名を冠するスキルを所持していたことだ。兄が二人とも神スキルを所持していたため、ジェイクが所持していた可能性は高い。
そしてただでさえややこしくなっていた王位継承問題に、更なる混乱を招きたくないアーロン王が、末の息子であるジェイクのスキルは、【無能】であるという噂を流した説である。
レオ、ジュリアスだけが偉大なるスキルを持っていたのではなく、そこにジェイクが加わるのはごく自然な発想だと言えるだろう。
そして神の名を持つスキルが三つ揃っていた可能性がある、この時期のサンストーン王国は、血統的な黄金時代だったとも言える。
歴史にもしもは存在しないが、サンストーン王国三兄弟が盤石な協力関係を築けていたなら、世界を太陽石が支配していたという意見も根強い。
話を戻す。
ジェイクの名前が公式に確認された最初の事例は、旧エメラルド王国領に進軍しているレオへの使者だ。
王命により、中立派筆頭のコーネリウス・アボット公爵と共に赴いたが、レオは強く拒絶。これはジュリアス派の貴族の多くが日記に記載しており、公的には抹消されているものの、まず間違いない事態だと思われる。
そのため軍を指揮しているレオが王命に従わない異常事態が発生。ジェイクとレオの間でかなり激しい口論が発生し、一時は戦いに発展する寸前に陥る。
国外にいる軍権の代理者が、大本である王の命令に従わないのは事実上の反乱だったが、公的にレオが処罰を受けた記録はない。
このすぐ後、エメラルド王国との戦いでジュリアスが全軍が崩壊しかねない切っ掛けを作り出した件もアーロン王は咎めておらず、王ですら継承争いが制御不可能状態に陥っていることが伺える。
一方、ジェイクは戦争に直接関与していないものの、兄二人が評価を落としたことで相対的に価値を上げ、この時期を境に資料で名前が登場することが多くなる。
しかしながらそれは、アーロン王が危惧した更なる王位継承争いの激化に発展するため、公的にジェイクの名が次に登場するのは、アゲート大公への任命である。
なおこのエメラルド王国の戦争と大公任命には、約二年の期間が存在しているが、その間で論功行賞を含め、公的にジェイクの名前は一切登場しておらず、かなり徹底的な無視が行われている。
ジェイクのアゲート大公就任は、当時忌むべき地と言われていたアゲート周辺の統治を、サンストーン貴族が嫌がったこと。
古代王権の生き残り、アマラ・アンバーとソフィー・アンバー姉妹が、アゲートの管理人にしっかりとした身分の人間を要請したこと。
アーロン王がジェイクを王位継承争いから切り離したいと考えていたこと。
それら複数の要因が重なり、ジェイク・アゲート大公が誕生した。
この件は反対の意見が発見されておらず、貴族達にとってジェイクは最後の保険だったのだろう。
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ジェイク・サンストーン国王の十代!
ぶっちゃけ殆ど分かってないが、親父、母親が違う兄貴二人との関係性は最悪も最悪だったのは確か。
なんせびっくりするほど、父と兄二人はジェイクに関する記録を残しておらず、百歳ちょっとまで生きたジェイクの方も、この三人に関する公的発言がほぼ皆無。
精々、サンストーン王国内乱時に、兄二人がジェイクを罵っているだけだし、アーロン王に至ってはない。
息子や娘、クラウス王達との関係性に比べたら正反対で、ジェイクにとって上三人は完全な反面教師だったことが分かる。実際ジェイクは、クラウス王が生まれるとすぐ王太子に指名しており、日記を残している貴族全員が、安堵の感想を述べている程で、いかに内乱が貴族のトラウマだったか分かる。
少年期のジェイクは全く記録を残しておらず、また貴族との付き合いもなかったため、発言も後世に伝わっていない。
そのためどのようなことを考えていたか分からないが、とっとと後継者を決めろよ馬鹿親父! 程度は思っていたに違いない。
彼の日記が登場するのは、内乱終結後のサンストーン王国国王時代に入ってすぐ。判明している当たり障りのない個人的日記によれば、先祖が記録を残さないと子孫が困ることに今更気が付いたわ(意訳)。とある。
これをそのまま信じるなら、ジェイクが子孫を気にするような立場にいなかったことを意味しているだろう。
権限無し。兵力無し。伝手無し。後ろ盾無し。
こんな状態で王位争いに介入しようと思う訳がなく、この時期のジェイクは完全に振り回されていた筈。
後に最も偉大な王の一人として挙げられる男も、十代の頃に結果を残せるはずがなく、王のまともな判断に期待するしかないのである。
様々な劇において、サンストーン王国からアゲートへ赴くジェイクは、いずれ来る内乱に備える英雄として描かれることも多い。しかし案外、泥船から脱出できて喜んだか、もしくは早く安定しますようにと祈っていたかもしれない。
泥船にまた乗り込んで安定させたのはこの若者だったが。




