最後の障害
『今日もいい天気ですわね。雨だと面倒だったのでよかったですわ』
神王国軍を壊滅させた後の処理に追われていたジェイクは、呑気な声を漏らす【無能】に応えずじっとしていた。
レイラの勘と予想で組み立てられた神敵討伐の算段は全く理解できなかったが、【全能】状態の彼女に正体を気付かれたイザベラが秘密裏に戻って来たということは、最終段階であるレイラと神敵の直接対決に移行している筈だ。
その結果を確認するまで、ジェイクは気を抜くことが出来ない。
『心配せずとも勝ちましたよ。残りの面倒を片付けたらあと少しでめでたしめでたし』
(必要なのは事実だ)
呑気な上に気楽でもある【無能】に、レイラの無事を確認したいジェイクは淡々と答える。
『気休めじゃなくて事実ですわ。ほら、その証拠に』
だがレイラの勝利と自身の予備が消滅したのを確認した【無能】にすれば、分かりやすい証拠が存在していた。
『残りの面倒が悪さしてますわ』
極々僅かな例外を除いて、周囲の人間から表情が抜け落ちたという証拠が。
従軍している貴族、兵、傭兵、まぎれていたスライムまで突然会話をやめると、黙々と必要な作業だけを続行する。
「っ⁉」
この唐突な現象に、敵のスキル攻撃を疑ったリリーやソフィー。アマラとイザベラも行動に移そうとしたが、僅かな例外に含まれた彼女達も思ったように体を動かすことが出来なくなっていた。
『なんとか調整してますがやはり難しいですわね』
(何か知ってるのか?)
そんな中、明らかに何かを知っている口ぶりの【無能】が話を続ける。
『知ってるも何も、原因ですよ』
(原因?)
『昔、言ってたではないですか。スキル【無能】は毒を解毒する無能薬? 無能化薬? を作れるに違いないから、それで一儲けとかなんとか。ええ、仰る通り。これで世界の毒やら害は綺麗さっぱり消えましたわ。少なくとも自称神にとっての』
(……)
『おほほほほほほ! 答えに辿り着いたようですわね! どうにかしたいならレイラに頼めばいいでしょう! 間違えず道案内してくれますわ!』
(おい。おーい。無視かこら)
言いたいことだけを言い続け、【無能】が黙り込んだ途端にジェイク達の周囲の景色が変わる。
「無事だな⁉」
「どわ⁉」
きちんと声帯から声を発しているレイラが、ジェイク達を一瞬で回収するとまた空間を飛び越え、サンストーン王国城のエヴリンの私室に転移して金の化身を驚かせた。
なおエヴリンの腕の中にいたクラウスは、どこからともなく現れた家族に驚かないまま、大あくびをしていた。
「レイラ、なにが起こった?」
「……詳しくは分かりませんが神敵は間違いなく倒したので、別の存在だと思います」
単刀直入なアマラの問いに、僅かに首を傾げたレイラが断定するものの、強い困惑を伴っている。
【全能】としての力は明確な危機と化したモノを捉えているのだが、なぜか穏便に解決することを望んでおり、先程までの戦いとは真逆の感覚が湧き上がっていた。
(はて、俺はなんで皆に【無能】を伝えてなかったんだ……なにかしてたな? あ、お前今絶対笑ってるだろ)
ここでようやくジェイクは、【無能】の存在を身内にすら伝えていないことに疑問を感じた。そして黙り込んだ【無能】に問いかけると、長い付き合いの自称お嬢様がゲラゲラ笑っていると察した。
(クラウスも連れて行くぞ)
『……』
ジェイクが更に話しかけると、無言を貫いたまま何処か戸惑ったような感情の揺らぎが発生し、結局何も起きなかった。
「どうも俺の教育係が何かしてるらしい。レイラ、クラウスも連れて行くよ」
「教育係?」
ジェイクの突飛な言葉に、レイラだけではなくエヴリン、リリー、イザベラ、アマラ、ソフィーが聞き返す。
彼女達はジェイクの幼少期の扱いを知っており、教育係がいないことも把握している。それなのに、明らかな異変を起こしているのは彼の教育係だと言うではないか。
「……分かった。急ごう。エヴリン、クラウスをありがとう」
道中で話を聞けばいいと判断したレイラは、エヴリンからクラウスを預かると再び全員を巻き込んで転移を行う。
かつての忌むべき地。
神々が禁忌と定めた場所。
アゲートの森へ。
◆
静かだった。
アゲートではチャーリーも、その妻エミリーも。
傭兵から足を洗ったアイザックも、その妻デイジーも。
お婆やスライム司祭オリバーすらも、私語一つなく黙々と作業をしている。
いや、アゲートではなく世界の全てが同じだった。
そんなアゲートの街から離れた森に、ジェイク達は一瞬で到着した。
「……騙されたな」
「ええ」
一見するとなんの変哲もない森の前で、アマラとソフィーが顔を顰めた。
古代アンバー王国でも一握りしか知らない情報だが、アゲートの森は神の墓所を建設する予定が建てられたものの、結局は間に合わず何もなかった。
残ったのは余人を立ち入らせないようにするために定められた、忌むべき地という悪評だけ。それ故にこそ、アマラとソフィーはアゲートに注目し、ジェイクを大公にさせた経緯がある。
掌の上だった。
「民は迷信を信じて立ち入らず、上位の者は価値などないから無視する。二重の遮蔽でしたか……」
アマラとソフィーが思っていることを、イザベラが代弁するように呟く。
神が忌むべきと定めた地に態々立ち入る者は少ない。また、上位の人間が好奇心を持たないように、なにも存在しないと思い込ませる小細工的な遮蔽。
それは少なくとも千年は上手く機能し、今まで秘密を隠し通してきた。
だがレイラはお構いなしに、クラウスを不可思議な力で保護した状態にすると、植物と地面を操作して道を作っていく。
「ふううむ。儲け話の感じはせんけど」
「儲け話って……」
それに付いて行くエヴリンと、警戒を怠らないリリーだが、女達全員がジェイクに意識を向けている。
「最初はまあ酷いもんだった。十歳の時にスキル鑑定を終えたら、おーっほっほっほっ! この【無能】の私が教育係になったからには、厳しくいきますわよー! ってキンキン頭に響いたから、あ。こいつアホだなって思った」
そのジェイクが話し始めると、あんまりな評価をするものだから、女達全員が視線を交わし合ってしまう。
「スキルが話したのですか?」
「そう思ってたけど、今じゃ自称スキルだね」
話をするスキルという前代未聞なスキルに疑問を覚えたリリーだが、肩を竦めたジェイクは自称という言葉を付け足した。
「そこから教育係も自称する【無能】に色々教えられたけど、今思えばあいつ絶対に十歳前の俺を知ってるね。ひょっとすると、自分がちゃんと勉強した後じゃないと教育係って名乗れないって考えたのかも」
思わず顎を擦ったジェイクは正しい。
妙なところで真面目な【無能】は、教える側が無知では話にならないと考え、それなりの歳月を自己の改造と確認、学習に費やしていた。
「それで不思議なことに、今まで【無能】のことを誰にも話さなかった。それなのに話せてるってことは、全部を片付けるつもりなのか、もしくはもうそんな作用が無くなってるくらい、訳の分からないことになってるか……両方かな」
語っているジェイクの言葉を気にしていないのは、初めて森に立ち入り興奮して手足を動かすクラウスだけだ。
「……分かった。多分あそこだ」
耳に意識を集中しながらも、異変の大本を探っていたレイラが再び転移を行うと、木々が聳える森の中央に到着した。
何の変哲のない森だ。レイラが軽く手を振るっただけで地面が抉れると、見るからに重厚な金属が露出しなければ。
「開けるぞ」
更に彼女が念じると、金属の扉だったらしい物はぎこちなく開き始め、地下へ続く階段が現れた。
「世界の秘密、か」
「ええ」
アマラとソフィーがぽつりと呟く。
忌むべき地に金属の扉と、更に地下へ続く階段があるなど、明らかに神が関わる世界の秘密が隠されているに違いなかった。
一行は不思議なことに埃もない、長い長い階段を降りていく。
レイラが照らす階段は床、天井、手すりに至るまで金属のような物で構成されており、一行の知識にない完全に未知の様式だ。
そして一番下に到着すると、奥になにかがあると言わんばかりに強固な扉が立ち塞がる。
だがその前に……。
黒い靄のような幻影が湧き出る。
『立ち去れ……神に逆らう愚か者よ立ち去れえええええええええ!』
一瞬だけ女達全員がぴしりと固まる。
分かるのだ。紛い物ではなく間違いなく神の残滓、神の幻影。それが叫ぶ。
『所詮は侵入者対策の幻。面倒だから斬るなり払うなりお好きにどうぞ』
ついでに別の声も響く。
人生最後。
振って、振って、振り続けた普段通り。
スキルの根幹に関わる者の幻影に、才能など欠片もないジェイクが真剣を振り下ろした。
「すっきりした」
『おほほほほほほほほほほ!』
本人ではなく幻影にすぎなくとも、身内の悲劇に大なり小なり関わっている神に剣を振り下ろしたジェイクが呟くと、扉の奥からキンキンとした笑い声が響く。
それと同時に、重厚な扉が左右に開き始める。
『アゲートに【無能】がいる。中々おしゃれではありませんか』
いた。
『直接会うのは初めてですから、改めてご挨拶しましょう』
レイラが【粛清】と戦った場所と同じ。
『スキル【無能】を名乗ってますが前の名前は【宿命】』
金属に覆われた地下空間に浮かぶ巨大な光体。
『自称神から与えられた役割はスキルの統括』
神々にとってのメインプラン。
『それと全知的生命体の知性制限ですわ』
全ての統治者が夢見た歪な機構がそこにいた。




