古代王権の血族
戦場で雌雄を決する前日、双子姉妹は夢を見た。
もうとっくの昔、千年も前の光景とあり得ない会話の夢。
「……お菓子は半分で割れない」
「……むう」
幼いアマラとソフィーの視線が、机に置かれた焼き菓子を中心に捉えながら、姉妹同士の視線もカチ合い、熱い火花を散らせている。
父に用意された焼き菓子を狙ったアマラとソフィーだが、双子用に準備された物ではないため、どうしても数が余るのだ。しかし。それを巡って熱い駆け引きをしている双子姉妹は、急に横から伸ばされた手に気が付かなかった。
「あっ⁉」
「母上っ!」
「あらあら、余ったお菓子は母親の物という言葉を知らないようね。ほら、これでぴったり」
気が付いた時には全てが終わっていた。
幼少の双子姉妹が可愛らしい抗議の声を向ける先には、着飾ってにっこり微笑む貴婦人が、お菓子の数を数えて満足気に頷いていた。
後々、服装を気にしない上に虫を平気で触るアマラや、男装して剣を握ったソフィーに頭を痛めることになる母だが、娘に優しいことは生涯変わらなかった。
「ぐすん……」
なお厳つい顔の割には甘党の父は、娘達のために涙をこらえて消えていくお菓子を見守っていた。
「中々育てるのが難しいな」
「そうですなあ。北の薬草ですからどうしても環境が違います」
成長して口調が尊大になりつつあるアマラが、庭で育てている薬草に唸ると、庭師の老人達もうんうんと頷いて同意した。
後世ではお堅いイメージが強い古代アンバー王国だが、平和な時代が長かったこともあり、アマラとソフィーの周囲に強すぎる上下関係はなかった。
庭師や使用人も双子姉妹どころか父母と普通に話をする間柄で、後年にアマラとソフィーからその話を聞いた者達は非常に驚くことになる。
「父上、剣を振ってみたいです」
「なぬ? ソフィーよ、剣に興味があるのか?」
「はい」
一方、ソフィーは父に剣術を教えて欲しいと頼み込んでいた。
「ふーむ。分かった、少し教えよう。母さんには内緒だぞ? 女の子に剣を振らせてどうするつもりなんだと叱られるからな」
これまた後にソフィーは、後で父が母にこっぴどく叱られたことを知ったが、父にも父の悩みがあった。
「やってしまったぁ……最低限の護身術程度と思ってたけど、ソフィーに才能があるから教え過ぎたぁ……」
「そこらの騎士より強くなりそうなんですが」
「確かに才能は感じられますなあ」
ついつい楽しくなってソフィーに剣術を教え過ぎた父は頭を抱え、最年長の使用人で爺や、婆やと呼ばれている老夫婦がどうしたもんかと溜息を吐いていた。
ジェイクの代でも女が剣を振るうのは極々稀なのに、古代アンバー王国の時代はほぼ皆無と言っていい。そのため色々と技術を教え込んでしまった父は、心底頭を抱える羽目になった。
「ご、護身術を身に着けるという目的は果たせた……ということで」
「まあ、そうですなあ」
「そうですねえ」
苦しい顔の父の言葉と、爺や、婆やの同意だが……この教えが役に立つとは誰も思わなかった。
「ソフィー様、髪をバッサリ切りましたね⁉」
仲のいい同年代の侍女もいた。
「洗うのも乾かすのも面倒」
「あー……お気持ちは分かります」
髪の手入れが面倒に感じたソフィーに、侍女は驚きながらも同意した。
確かに侍女も、水で洗い流してタオルで拭けば、短い髪がすぐ乾く男を羨ましいと思ったことはある。しかし髪を短く切るのは抵抗があるため、実行には移せなかった。
「それにこうすれば、双子の認識に困ることはない」
「お、お二人を間違うことはないかなーと」
理論武装を重ねようとしたソフィーだが、侍女に言わせれば双子だろうが個性的過ぎるアマラとソフィーを見間違うことなどあり得ず、髪の長さなど誤差に過ぎなかった。
懐かしき過去。そう、全ては過去の話だ。
明かにやる気を無くして色々と放り出した神の落日と死は、神を基盤としていた世界を崩壊させるのに十分過ぎた。
人の独り立ちを期待して……などでは決してない。明らかに放り投げたのだ。
幸いだったのは戦乱が起こっても、原初の血脈の世話をしていた者達が直接狙われることは少なく、多くが寿命を迎えられたことだろう。
そして、あり得ない夢も続いた。
現在の認識を持つアマラとソフィーの前には、父母や使用人達が集まっていた。
皆、涙を流して喜びながら何かを伝えようとしている。しかし、言葉は聞こえず認識することはできない。
焦る必要はない。
「百年後にゆっくり話そう」
「現実的には七十年後程度を目標」
アマラが大雑把な予定を伝え、ソフィーが肩を竦めて現実的なものに修正した。
最早永遠は消え失せた。
全てを終えた後に話せばいいだけのこと。
頷いた親しい人達は、手を振ってアマラとソフィーを見送った。
◆
そして現在、アマラとソフィーは戦場にいた。
古代アンバー王国が崩壊して以降、双子姉妹は常に中立を求められた。
当時に乱立した諸侯は全員が親戚や血縁のようなもので柵が多すぎる上に、二人は不老不死の試しという責務もあったので、誰かに助力することなど殆どなかった。
だが相手が古代アンバー王国を貶した神敵であるのならば、なんの遠慮も必要ない。寧ろその討伐は義務とすら言えた。
ところでこの二人、戦乱期に不老不死を求めて監禁しようとした者をぶっ飛ばしたりと、少々の逸話や武勇伝があったもののあまり有名ではない。
そんな混乱期など古代アンバー王国崩壊直後の話で、殆ど千年近く前の話なのだから、現代に生きる者があまり知らないのは無理もないだろう。
更に時代が安定すると双子姉妹は明確に尊ばれたので、狼藉を働く者は皆無となった。
それでも千年。千年だ。混乱の絶頂期だった古代アンバー王国崩壊を潜り抜け、全ての神が死に絶えた落日を見届けた彼女達は、生きた歴史そのものと言っても過言ではない。
つまり千年間、自身のスキルに向き合う時間があった。
「ソフィー様の【魔法】を直接見ることになるとは……」
本陣にいる貴族達が、水晶玉を浮かせ剣を抜き放っているソフィーの姿を見る。
スキル【魔法】を持つソフィーは、火、風などの限定されたものではなく非常に多くの手段を所持しており、禁忌とされる転移魔法もこの力のお陰だ。
「アンバーの看板を背負ってるからな」
「ええ」
「まあ、こっちの仕事は全部終わったから任せるとしよう」
隣に立ったアマラにソフィーが頷いた。
アマラとソフィーは古代アンバー王国の名を汚しかねない神敵を討伐する協力者の立場だ。そのため見ているだけという訳にはいかなかったが、アマラは伝説として語られる神敵討伐の大演説で、ほぼ役目を終えたに等しい。
ならば後は戦場でソフィーがある程度活躍するだけである。
(偽神はこちら……隣の男が今現在は面倒)
ソフィーは浮いている水晶玉を覗き込み、怒鳴り散らしているデクスターと、その隣にいるバティストを確認した。
面倒な話だが今回の戦いは純軍事的なものより、若干だが政治的な意味合いが上回る。
神敵討伐を宣言したのがサンストーン王国国王、ジェイク・サンストーンであるため、神敵討伐はサンストーン王国の手で成し遂げる必要があった。
(中々手間をかけさせてくれた)
デクスターが暴走していた頃、どうも石の王冠が必要かもしれないと判断したソフィーは、かなり急いであれこれ準備を整えた。
つまり今現在、【粛清】の思い通りにならず怒り狂っている原因の半分は、ソフィーの策謀によるものだ。
『炎よ!』
水晶玉に映るバティストから、深紅に燃える炎が解き放たれて空を覆い、火の玉がサンストーン王国軍の前線に降り注ぐ。尤もそれはサンストーン王国軍のスキル所持者達によって防がれる……のは数十秒後の話だ。
「容易く火を使ってくれる」
炎が空を覆う前に、顔をしかめたソフィーの魔法によって風の壁が形成される。すると次の瞬間、水晶玉に映し出された炎と同じものが発生し、空気の壁にぶつかって霧散した。
スキル所持者が大規模な炎を使うと、消火の問題が発生するだけではなく、下手をすれば自軍すら巻き込んでしまう。そのため強力な炎や火による攻撃は細心の注意を払って行われるのだが、バティストにそんな配慮は微塵もない。
『……防がれた? 私の力が? 神の敵を討ち滅ぼす炎が? おのれ神敵め! 神敵め! 火炙りの刑だ!』
水晶玉のバティストが事態を認識するのにかなりの間があった。そして自分の炎が防がれたと理解した途端、理性を失ったように出鱈目な炎をあちこちに発射する。
これも、数十秒後の話だ。
「神敵はそちら」
怜悧な瞳が水晶玉を通して僅かな未来を覗き込む。
惰性を抜け出した精神と千年のスキル行使は、ソフィーを更なる高みに至らせ、見渡せる範囲の出来事なら、十数秒もの未来をはっきり見ることが可能になった。
勿論普通の戦いなら、水晶玉を覗いて未来を確認する余裕などないが、軍勢の本陣にいて長距離攻撃が可能なソフィーが使い手だと話は違う。
それに、軍勢も精鋭達が揃うサンストーン王国軍なのだ。
サンストーン王国軍による矢の雨が神王国に降り注いだ。
「防げ!」
背信者達は様々なスキルを使って夥しい矢を防ぎ、空中で燃やし、叩き落としていく。だがその傘に入れなかった兵達はなす術がない。
「ひっ⁉」
「ぎゃっ⁉」
視界すら閉ざしてしまうような弓矢の嵐は、雑兵に突き刺さって次々に死体が生まれていった。
仲間意識がないと表現するべきか、それとも仕方のない取捨選択と言うべきか。確かに背信者は雑兵に仲間意識を持っていなかったが、戦闘後のことを考えると必要な労働力だ。しかし、戦力の中核を形成するスキル所持者を守らなければ、戦闘後を考える前に敗れるだろう。
ここで一つ、疑問が溢れる。
「か、神の御力は……」
倒れた雑兵は、なぜデクスターが神の力で目の前の敵を殺さないのだと疑問を感じながら息絶えた。
「神を疑うか! 愚か者! 愚か者!」
呟きを聞いてしまった【粛清】は、理性を失ったまま叫ぶが、そう言うのならば今こそ神の御力を見せればいいだけの話。
出来ないというのならば、愚かという言葉は神を名乗っている者にこそ相応しいだろう。
「殺せ! 殺せえええええええ!」
続く【粛清】の狂乱に応えるため、背信者の一部がスキルを活用して疾駆し、何とかサンストーン王国の前衛にまでたどり着いた。
人という要塞が出迎える。
未来のことは分からない。だが、少なくとも現在と過去において、最強の名が相応しい軍は今のサンストーン王国軍だ。
何度も戦い続けた実戦経験。度々戦場で活躍して、ついに貴族になった弓使いアーノルドを筆頭とした長弓部隊。鍛え上げられた騎兵や歩兵。背信者を突き放す数多くのスキル所持者。盤石すぎる兵站の態勢。強固という言葉では表現し切れない大義。
それらが一つの生物として機能しているのに、背信者はあくまで個でしかない。
異様な密度の弓矢、槍を前にした背信者達は次々に討たれ、神の軍勢は壊滅寸前に陥ってしまう。
「おのれええええええええええええええ!」
主と従者は似るのか。
バティストもまた狂乱すると、禁じられていた力を全開にした。
周囲に転がっていた雑兵や、あまりの物量に弓矢を防ぎきれなかった背信者の死体がバティストの体に集まり、それらは醜い肉塊を形成する。
そして手足まで生えたなら、死体の巨人と呼ぶのが相応しいだろう。
「【死霊術】かよ!」
「やっぱり神敵だ!」
そこらの木よりも大きな死体の巨人に、サンストーン王国軍から嫌悪と驚愕の声が発せられる。
死体を操る【死霊術】のスキルは大抵の場合、死した人間の尊厳を奪うとして忌み嫌われている。だが非常に珍しく、貝にこのスキルを使っているのではと疑われたリリーも所持していないものだ。
「おおおおおおおおおお!」
おどろおどろしい気配を纏った死体の巨人が大きく一歩踏み出し……ソフィーの射程内に入ってくれた。
「必要なのは正確性」
太陽で輝いていたソフィーの剣が突然燃え上がる……否。炎は揺らめきすらなく完璧に剣の形を保つ。
最強には及ばない。だが必要な力があれば十分。
「奔れ」
風の如く、雷の如く剣が飛翔した。
鋼の如く、岩の如く硬化して。
光の如く、氷柱の如く突き刺さる。
死体の塊に埋もれたバティストの頭部に。
赤い軌跡は愚かな攻撃とは違い、最小の効率で命を奪い去ったのだ。
「お、お前達か! お前達だな⁉ これを揃えたのはお前達だな! 魔女め! 神に逆らう魔女共め!」
死体の巨人が崩れ落ちるのを見届けた【粛清】が、呪いを振りまく様に叫ぶ。
「なにか言っているか?」
「さあ」
アマラが口を吊り上げ、ソフィーがとぼける。呪われ千年も生きた女に今更そんな呪詛が通じる筈もない。
だが【粛清】の言葉は正しい。
ここに迷わぬ軍勢がいるのは、ソフィーが神擬きを予測した後に、アマラが地獄の鍋をかき回した結果と言っていい。
本来ならもう少し勝負になる筈だったのだ。
アマラとソフィーが事態をある程度把握し、古代の王権という反則を用いなければ。
「神敵よ、消えるがいい」
「神敵よ、消えるといい」
アマラ、ソフィーが宣言する。
神が残した権威を勝手に利用し、擬きを明確な神の敵にして国家へ大義を与え、世界を意のままに操るその姿。
まさに【毒婦】と【妖婦】の名が相応しい。
「神敵、討ち取ったー!」
デクスターの首が掲げられたのは、騎馬の一団が突撃した後だった。
あくまで……デクスターの。
逃げ出した中身はかなり、相当、非常にしぶとかった。
多分、後五話あるかないかくらいで完結かも。




