行軍格差
案の定……と表現するべきか。
「重い……!」
「重すぎる!」
煌びやかに出陣した神王国の軍勢は、見栄を重視して板金鎧など着こんでいたものだから、途中でうんざりすることになっていた。
「馬車に乗せよう」
そうなると、馬車に押し込んで身軽になりたいと思うのは当然だが、かなりギリギリの数で運用されている馬車に、予定外の重量が加わればどうなるか馬鹿でも分かるだろう。
尤もここにいるのは無能だ。
「駄目だ、スペースが足りない」
行軍の真っ最中に板金鎧が邪魔だと気が付き、輸送のことなどまるで頭になかった一行は途方に暮れた。
もう一度述べるが、はっきり言って無能だ。
王都ではパレードのために板金鎧を着こんで進むが、その後の運用は全く考えていませんでした。そう聞けば誰もが冗談だろうと思うし、事実だと知れば考えることが出来ないのかと呆れ果てるに違いない。
ついでに述べると、【粛清】も間抜けだ。
(こうも頻繁に生理現象が起こるとは)
最も豪奢な馬車に乗っていようが、元々は生物と言えない存在だろうが関係なく、今現在の【粛清】はデクスターという肉の器に依存している。
そしてこの頭でっかちの馬鹿と表現される存在は、知識でだけ知っていた喉の渇きや食欲、排泄など人間の基本な欲求に振り回されていた。
だがなぜか【粛清】はそれを煩わしい不要な機能と断言せずに、肉の器に依存し続ける。
そしてここからが間抜けの本番だ。
(サンストーン王国……多少の抵抗はあるだろうがそれだけだ)
【粛清】は自身から出ている威光がサンストーン王国を覆っていると確信しており、若干の抵抗はあるかもしれないがそれだけだと判断していた。
戦いは始まる前から始まっているとよく言われるが、【粛清】は対サンストーン王国戦に限定すれば既に勝っているつもりなのだ。
そして【宿命】を止めることだけが不確定要素で、極端を言えばそれ以外を問題視していなかった。
「デクスター様、少々雨が降りそうです」
「あまりよくない雲です」
馬車に乗りながら楽観にも乗っている【粛清】に話しかけたのは、最も馬車に近い位置にいる男達だ。
「分かった。ドナ司祭、ナタン司祭」
【粛清】が名を読んだ男達は二十代中頃であり、上級司祭としてかなり若手に分類されていたデクスターの最側近だ。
両者共に金髪碧眼の美男子で穏やかな表情を浮かべ、街中に出れば司祭なのに女達が寄ってくるだろう。そして非常に分かりやすい特徴と言うべきか、それとも分かりにくくなっている特徴と言うべきか。
個性に溢れているアマラ、ソフィーと違って、この二人は全く同じ髪型、体型、服装をしている双子で、慣れている者達でも区別ができない程にそっくりだった。
名を兄がドナ。弟がナタンといい、【粛清】が持つ楽観の原因になっている。
「降ってきましたよ」
「分かったバティスト司祭」
更に馬車の後ろを歩いていた、これまた二十代中頃で赤毛の逞しい、シルヴァンという名の男も声を出す。
いかにも荒事が得意そうな男で、目つきも鋭いため近寄りがたい雰囲気を感じさせるが、デクスターには非常に従順で使いやすい駒だった。
(この三人がいればとりあえずなんとかなる)
虫食いの様に穴だらけとなっているデクスターの記憶だが、【粛清】はこの三人に関してはなんとか把握することに成功していた。
ドナ、ナタンの双子。バティスト。
この三名はアルバート教が保有する暗部組織に育てられ、しかも異様な才能とスキルがあったため特別待遇だった。
つまりそれだけ徹底的にアルバート教の理念を教え込まれたが、暗部が調整を間違えたとしか言いようがない。現代のアルバート教が神の理念より利益を追求していることに失望し、デクスターの呼びかけに応じてしまったのだ。
そしてこの三人、かつてサンストーン王国最強と謳われたイーライを凌駕する戦闘力を秘めており、一騎当千という言葉を体現していた。
これに神の威光擬きを合わせると、浮足立っている兵は抵抗できず、一国を容易く制圧できるはずだ。
サンストーン王国に対する諜報網など存在せず、世界の裏側を覗く力もない【粛清】は、自分が神敵に認定されたとも知らず突き進む。
「これ……足りないだろ」
その道中でようやく兵の一部が食料の不足に気が付いたが、付近にある地方都市や村落に兵站を維持し続けるための協力を要請したところで、物理的に不可能と言っていい。
最終的にこの一行は、疲労困憊で余裕など欠片もないまま国境に到達することになる。
なお、ドナ、ナタンの双子。バティストの三司祭には余談がある。
【粛清】はこの三司祭の能力だけ把握できていたが、欠落した記憶にかなり重要な部分があった。
(デクスター様の最側近は私だ!)
自分こそがデクスターの最側近だと自負しているため非常に仲が悪く、双子であるドナとナタンの間も同じだったのだ。
そんな状態でデクスターが間近にいるため、暴走するのは目に見えていると言っていい。
◆
神王国のような醜態はサンストーン王国と無縁だ。
「サンストーン王国最大の武器は兵站にある」
そう宣言するのは武官、文官を問わない。
旧エメラルド王国と戦っていた頃ですら、前王が突拍子もない思い付きで前線に出陣してもなんとか兵站を維持したのがサンストーン王国だ。
内乱で混乱し切っている最中は例外として、優秀な文官達と豊富な生産力は盤石な兵站を築いていた。
「やっぱアゲート、じゃなかった。サンストーン王国以外に雇われる気をなくすよな」
「言えてる」
「慣れてきたけど俺ら傭兵まで腹一杯食えるとかおかしい」
「そういやアイザックの奴は?」
「ガキが生まれたから足を洗ったとさ」
「見ない訳だ」
他国の不安定な兵站を知っている傭兵達は、正規の兵ではない自分達ですら十分に食事できるのはあり得ないと断言していた。
そして軍事行動は陸路だけではなく、王都を出発した軍勢は船に乗り国境に向かっていた。
総旗艦。ジェイク一家からエヴリン号とかエヴリンの手足と呼ばれている大型船には、国王ジェイク、アマラとソフィー。更にはイザベラに加え、彼女が公的な所有権を維持しているに等しい石の王冠まで存在していた。
勿論……。
殺すというただ一点を突き詰め、パール王国が千年にも及ぶ妄執の果てに生み出した最高傑作も乗り込んでいる。
未だ。未だに誰も最大稼働をしている姿を知らない粛清機構が。