リリー
「んふ」
自室で手紙を読んでいたリリーは、思わず笑みをこぼしてしまう。
「デイジー姉さん、嬉しそうだなあ」
その手紙はアゲートから送られてきた姉貴分、デイジーの近況が綴られているものだ。
それによると子育ての大変さ。旦那であるアイザックが子供の面倒に関して意外と頼りになること。変わらずお婆が元気であることなどが記載されていた。
(他の姉さん達も元気みたいだからよかった)
リリーは元黒真珠の面々の顔を思い出す。
基本的にエヴリンが支配する商業圏で、なんらかの商業活動をしている彼女達の情報は、容易くリリーまで届いてくる。
その情報によるとかつてパール王国の粛清組織として活動していた者達は、相変わらずそれぞれの人生を歩み、極一部の者達が僅かながら諜報に関わっていた。
(パール王国はいい国じゃなかった)
ふとリリーは産まれた国、パール王国を思い出したが決して祖国とは呼べない場所だった。
リリーだけではなく元黒真珠の面々はサンストーン王国を故郷と思い定めており、パール王国に感じるものは懐かしさや郷愁ではなく嫌悪だ。
(姉さん達の暗い顔しか思い出せない)
まだ【傾城】の正確なコントロールが出来ていなかったリリーは、外部の人間と関わることはなかった。しかし、周りにいた人間の受けていた屈辱や差別はひしひしと感じていた。
(物は大事にすれば長く使えるのに)
当時のパール王国首脳部にリリーは言いたいことがあった。
黒真珠や臍出しに雑な扱いをしていたのは馬鹿ではないか? と。
組織も人も消耗品なのだ。それなのに手入れを怠るどころか、ちゃんと機能して当然と思い込むのは愚かとしか言いようがない。
そしてリリーは知らないことだったが、パール王国首脳部が持っていたこの病は、人生全てを使って何もかもを騙し切った怪物を生み出し、陰謀の国家は滅ぶ瀬戸際まで追い込まれることになった。
(そろそろ行かないと)
物思いに耽っていたリリーは立ち上がると自室を出て、夜の闇が濃くなっている後宮を歩いた。
先代の時代は煌びやかな調度品が溢れ、見目麗しい女性達が集っていた後宮も、今は擬人化した闇が支配する領域だ。
「ジェイク様、リリーです。失礼します」
「どうぞー」
慣れたやり取りでリリーがジェイクの私室に潜り込む。
「日記ですか?」
「そうそう。いやあ、盲点というか抜け落ちてたというか。初代サンストーン王の日記を有難いと思ったはいいけど、クラウスから下の子孫がそれを見た時、ジェイクって先祖は内乱を経験して国外戦争もしてるんだから、その時のことをなんか書いとけよ。って話になるに決まってる」
部屋の主であるジェイクは、日記に幾つかの事柄を記載していた。
初代サンストーン王の日記は、現代に合わない事柄が多々あったものの、当時の王がどのような判断を下したかを学ぶ教材と言えた。
それを感謝していたジェイクだが、クラウスが生まれたことで自分も先祖になるのだと今更気が付いた。しかもジェイクは通常の王と違い、内乱や度重なる国外戦争を経験しているため、その時の考えを残しておかないと子孫に怒鳴られるだろう。
「まあ、本当にヤバイ情報はいつか消えるくらいでちょうどいいから、クラウスに口伝だね」
「ですねえ」
苦笑気味なジェイクにリリーは頷いた。
国家は綺麗な話で済むはずはなく、特にクラウスは祖父、伯父達の起こした馬鹿騒ぎと末路も知る必要があった。
「そうしてるとついつい昔のことを思い出すんだ。例えば仕事を探してた女の子に出会った時とか」
「僕も街で突然、王子様に会ったことを思い出しました」
「ははは」
「うふ」
日記を書き終えたジェイクが妙にすっとぼけた口調で話すと、リリーも冗談めかした返答を行い二人は笑い合った。
運命。もしくは引力か。陰謀や導きは関係なく、本当に偶然出会った無能と殺戮機械は王城で暮らしている。
そんなジェイクは椅子から立ち上がると、リリーと触れ合いながら僅かに足を動かす。
「当時はびっくりしたでしょ」
「はい。本当に」
ダンスやステップとも言えない拙いジェイクの動きに、リリーは合わせながら微笑んだ。
結局、社交界を経なかったジェイクはダンスと無縁であり続け、腕前なんてものは無きに等しい。だがそんなものはリリーに関係なく、天性の踊り子はこれ以上なく幸せだと言わんばかりの雰囲気を醸し出している。
「それにしてもお互い背が伸びたよね。屋敷の方に背丈の記録を残しておくべきだったかな」
「もし比べたら、ここからこんなに伸びたのかあって思うはずです」
「だよねえ。惜しいことしたけど、代わりに子供達の背をどっかの柱に記しておこう」
ジェイクは甘えるように触れてくるリリーとステップを続けながら、自分達の身長について話した。
身内ではかなり小柄だったジェイクとリリーだったが、激動の時代を駆け抜けている内に大きく成長した。ジェイクは立派な大人だし、リリーに至っては全てを蠱惑する魔性の女として完成し切ったと言っていい。
(色々なことがあったなあ)
リリーは過去を思い出すが、暗く辛いものではなく賑やかで頼りになる姉貴分達とジェイクの温かな時間ばかりだ。
(皆、僕も幸せです)
デイジーからの手紙を見たばかりのリリーは、同胞達と同じく自分も幸せだと胸を張って言えた。
自分の生まれた意味に。役割に。運命に疑問を抱いていた少女はとっくの昔に変わっているのだ。
「ジェイク様、愛してます」
「うん。俺もリリーを愛してる」
単に使われるだけだった筈の……殺す為だけに存在した粛清機構の卵は、自らの意志で戦う人としてここにいた。
正妃、第二王妃、エレノア教女教皇、古代王権の双子姉妹。彼女達に比べたら明確に知名度で劣るが、それは影に隠れていることを意味する。
殺すという一点においてならば、下手をすれば【傾国】に届きかねない存在がだ。
この世で最も鋭く、最も強力な毒が滴る短刀を持ちながら、その力をむやみに行使せず必要な時にだけ解き放った女は、ある意味で最も恐ろしい存在なのかもしれない。
なにせ吞まれればこうなる
◆
「貴様、さては裏切ったな!?」
「ぎゃああああ!?」
目を血走らせた神王国国王デクスターが衛兵から剣を奪い取ると、つい最近任命したばかりの大臣を切り捨てた。
「国王陛下御乱心!」
「大臣が切られた!」
「国王陛下御乱心!」
臣下や衛兵が混乱を起こして叫び始めるが、デクスターはそれを上回る狂乱だ。
「ふー! ふー!」
涼やかな顔はどこにもなく、血走らせた目がぎょろぎょろと動いて自分の命を脅かしている者を探す。呆気なく人の命を奪う力を手に入れた場合、果たして人は正気でいられるのか。
神のために殺した? 素晴らしいではないか。悔やむ必要などどこにもない。
だが突然現れた力を使って人を殺したのならば、似たような力で命を奪われないと神は保証してくれるのか?
「神よ!」
デクスターが問いかけても答えてくれない。ならばそれが答えだ。
アルバート教にいた頃は教皇の後ろに。クォーツ民意国の頃は青空の市民の会に隠れていた男は、明確な頂点に立ったことで狙われる危険性に今更気が付いたのだろう。
誰も彼もが自分を狙っているのではと疑い始め、粛清とも呼べない行動を起こし始めていた。
粛清機構の最高傑作として誕生しながらも個人を優先させたリリーと、【粛清】の力を得て滅私奉公の志で神に仕えるデクスター。
完成度は語る必要がない。




