エヴリン
「今日もええ天気やなあクラウス。おお、おお。元気でお姉ちゃんも嬉しいで」
サンストーン王国でクラウスを抱いているのは姉……ではなく、おばちゃん的立場のエヴリンだ。
「リリーがお姉ちゃんと言うなら分かるが、お前の場合はおばちゃんだ」
「ならウチの子供にはレイラおばちゃんって呼ばせるわ」
それをレイラが直球で口にすると、巻き込まれた形のリリーは天井を見上げて二人の争いが聞こえていないですと猛アピールした。
「しかし、艶々してるな」
「在庫が無くなるんはいつも嬉しいもんや。クラウスも分かるようになるでー」
(王子の持つ在庫とはなんなんだろう……商人王子……そんな称号は流石にないよね)
レイラが見たところエヴリンはやたらと肌の調子がよく、大あくびをしているクラウスを上機嫌であやしていた。
なおリリーは、賢明にも商売人特有の例えに対して疑問を呈さなかった。
「イザベラさんの時の伝手か?」
「せや。儲かるのが分かっとるんやから、繋がりを切るのは馬鹿のすることやで」
レイラは我が子がウトウトと寝そうになっているのを確認しながら、エヴリンが在庫を一掃した商品について尋ねた。
(あれからあっという間やったなあ。レイラは随分変わったわ)
かつての日々を思い出したエヴリンは、レイラの変化について考える。
(まだツンツンしとった時期や)
世間に対する恐怖が濃かった時期のレイラは警戒心剥き出しで、余裕というものがほぼなかった。
その点では女らしく成長しても油断ならないリリーや、姉さん女房三人組はほぼ変わりがないため、穏やかな笑みを浮かべることが多くなったレイラが一番変わったと言っていい。
(それが今じゃ親友や。言わんけど)
そんなレイラを親友だと思っているエヴリンだったが、素直ではないため口が裂けても言わなかった。
「まあ、その、なんだ。ありがとうエヴリン」
「ぷっ」
その考えが分かったのか、唐突にレイラがエヴリンに礼を言うと、金の化身は思わず口から空気を噴出してしまった。
「なんの御礼やねん」
「色々だ。色々」
「はいはい。色々ね」
思わず突っ込んだエヴリンだが、軽く流すようなレイラの色々という発言に、様々な物が籠っていることを察して、それ以上の追及はしなかった。
「そんじゃウチは昼寝でも」
「クラウスは置いていけ」
素直な感謝に弱いエヴリンは冗談を口にしながら、わざとらしく立ち上がった。なお連れ去られかけているクラウスは、母から引き離されているのに全く動じていなかった。
なんだかんだで仲がいい二人である。
◆
また別の日。
「やっぱ売り上げはいいみたいやで」
「確かに」
ジェイクの私室兼執務室は、あまり表で話せない内容の仕事ばかりだ。そんな部屋でジェイクは、エヴリンから齎された詳細な報告書を読んでいた。
「ただこの売れ方は単に媚びを売るだけやない。恐怖が絡んでないと無理や」
「そうなると……なにか隠し玉があったかな」
「せやね」
二人が読んでいるのはとある商品の売り上げについてで、そこにはかなりの金額が記載されていた。
「ふむ……」
(ジェイクは、変わったようで変わらんような。変わらんように見えて変わったような)
考え込んでいるジェイクを見たエヴリンは、レイラが目の前にいた時の様な感想を抱く。
出会ったばかりの頃はまだ線の細い少年の様な男だったが、今では立派な王で一児の父だ。
しかし根っこは出会った時と同じ、大らかでマイペースな性格のままであり、ボケっとしている姿がよく似合う。
(いい男やでほんま)
人間は金と権力を持つと豹変することをエヴリンはよく知っている。だがジェイクは王としての決断をすることはあっても、それらの魔力を意に介さずにいつも通りだ。
(時間が経てばウチとオトンの方も少しは変わるやろ。ウチの子供が一人前になった辺りかね)
エヴリンは思考の端で父の顔を思い浮かべた。
(特に神王国とは関わってないしそんな勘も働かん。二十年後に会うとしようか)
彼女の父が率いる商会は秘密結社ではないのだから、幾らでも情報が掴める。しかし捨てられようがエヴリンにしてみれば恨みもないし、幼稚な子供の如き仕返しなど考えていない。それにまあまあの商会として存在しているため、特に援助も必要がない。
だからエヴリンは、母を失い心を病んでいた父が老いて人生を振り返るタイミングで、ジェイクとの子供を見せれば誰にも損は生まれないと感じていた。
(神王国は子供の代どころか、孫の代でも立ち直れんな。死んだ後くらいに色々言われるやろうけどそんなこと知ったこっちゃない)
傘下の商人はエヴリンのやり口を知っている。それにジェイクのところに転がり込む前にも稼ぎまくっているため、見る者が見ればあの金の化身が関わっているなと察することが可能だ。
そのためエヴリンは後世で血も涙もない戦争商人と伝わることなど百も承知だったが、亭主の財布と国庫を守るのは義務だと思っていた。
(肉が食えんなら血を絞るしかない)
需要を見定める目は世界一だと自負しているエヴリンですら、神王国を名乗った国家の民と土地は使い道がない。
それなのに神王国が暴走すれば、金がかかる軍事行動を起こさなければならないのだ。ならばもう本当に僅かしか残されていない、神王国の貴金属や現物を搾り取って足しにするしかない。
(国家で分け合いの精神なんてもんは、千年後の人間が好き勝手言えばいい)
平和な世になれば、温かな言葉がそのまま聞き心地よく響くだろう。だが弱ければ全てを奪われ、勝たなければ存続出来ない。
少なくも今現在の国家は善悪を語る前に、勝つ負けるの現実を直視する必要があった。
「エヴリン、ありがとう」
「なんや。つい最近レイラにも同じこと言ったけど、色々籠ってそうやな」
「一つ一つ説明してもいいけど、そうしたら逃げられるし」
「分かっとるやん」
エヴリンの考えや意志を感じ取ったのか、ジェイクが唐突に口を開いて礼を言う。
謝罪や申し訳ないという感情は、エヴリンを侮辱することに等しく不要だ。
飄々としているが身内に対する感情では誰にも負けていない女の笑みに、ジェイクもまた微笑を返すのであった。
◆
「今回の分を持ってきたぞ」
神王国の領土である、あまり目立たない小さな島は密貿易が最盛期を迎えていた。
少しでも誤魔化すため陸側からは見えない位置に停泊した船から、様々な祭具が持ち出されて貴金属や宝石と交換されている。
「売れ行きはいいようだな」
「ああ。片っ端から売れていくよ」
船員が島民に尋ねると、満足気な表情が浮かんだ。
ただし、直接関係ないからこその余裕だ。王都に近ければ近い程、切羽詰まって残った僅かな財貨と祭具が交換されている。
「お守りがないと安心できないんだろう」
島民の言葉が全てだ。
血生臭い密告と絞首刑の嵐が吹き荒れた後に、アルバート教以外の神を認めていないデクスターが頂点になれば、市民は祭具を購入して信仰心をアピールするしかない。
そうでなければ異端者として殺されるかもしれないと思い込んだ市民は必死になったが、今現在の情勢で大量の祭具を製造できる場所はなく、需要と供給に著しい乖離が発生してしまった。
それを解消してあげているのが他国からの密貿易船と、船の往来が無くなって失業寸前の水先案内人や、港湾労働者達だ。
古くから裏口取引と密接な関わりがある彼らは結託して内陸部に祭具を送り込み、不景気を感じさせない富を得ていた。
「多少金を持っている奴と下級の神官連中は競争してるからな。あれだ。高価なものほど有難味? ご利益? があるとかなんとか」
「それはいいことだ」
事情を詳しく把握している現地の人間が、次はもっと高い物を持って来いと暗に匂わせた。
海の男達は信心深いが、商売繁盛や航海の安全に関わる神に対してだ。そしてアルバート神は厳格な神ではあるがそう言った類の神ではなく、港周辺にいる者達とデクスターの相性は最悪だった。
それに二転三転する国家に愛着が湧くはずもなく、国外に富が流出しようと自分達の生活のためならばなんでも売るつもりだった。
「それとだが、やっぱりサンストーン王国に攻め入るつもりなんじゃないかと思うときがある。航路は大丈夫か?」
「……エレノア教が目的か?」
「あんまり詳しく知らないが、アルバート教はエレノア教をずっと敵視してるんだろ? なら頭がおかしくなった神様大好き人間がそう考えても不思議じゃない。商売やら利益の話、採算とか考えずに理想と信仰心だけで戦争するって宣言しても驚かんね」
海の男は肌で感じたものを密貿易者に話す。
背信者達の弱点と言うべきか。使命や神の教えに盲目過ぎるため、政治的な知識などまるでない者達にまで真意を見透かされるのだ。
尤もデクスターの目的は単にエレノア教だけではないが、サンストーン王国へ侵攻しようという企みは持っていたので、ほぼ誤差の範囲と言ってよかった。
しかし……。
国中に溢れ出した祭具が、サンストーン王国製だと知ればデクスターはどのような激怒を見せるだろうか?
◆
覚醒した【傾国】。目覚めた【粛清】。
だからどうした。
キンッ。と金貨を弾いた音がいつかの様に。そして今まで通りにサンストーン王国で響く。
「祭具ってのは凄いもんやなあ。お腹が膨れて武器にもなるとは知らんかったわ」
三日月の如きニタリとした笑みが薄暗い部屋で浮かぶ。
人の社会が存在するのであれば金の力は。そして欲の力は頂点だ。
一瞬で世界中との取引が可能な時代や世界に生まれなくて幸いと言うべきか。
後世の歴史に記されることはほぼなかったが、紛れもなく史上最強の一人。社会を壊すも支配するも思うがままの奸婦エヴリンが愛する男と家族を守るため、神王国だけではなく世界中から金をむしり取っていた。