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描写力アップ企画投稿作品

妄想食事会 ――甘露――

作者: 深海

 六十一年は当たり年だ。ひそかに〈偉大な年〉と呼ばれている。

 その年、この一帯は異常気象でひどい干ばつにさらされ、大飢饉に見舞われた。しかしその悲惨な環境がよかったのだ。おかげで旨味がぎゅっと凝縮された、非常に濃い液質ができたと言われている。

 大体にしてあの年を生き残ったというだけで奇跡のようなものだから、金剛石のごとくもてはやされるのは当然であろう。

 希少なものほど貴重で尊く価値がある。それがこの世の理であるのだから。

 

「ということで旦那さま、今宵は手堅く、六十一年ものを出せばよろしいのでは?」


 めらめら燃える蒼い鬼火が、セラーの在庫表を片手に主人を伺う。

 とっぷり闇に沈む部屋で、肘掛け椅子に座る伯爵はうなずいた。すらりとした長い足を組み、ぺららと本をめくりながら。


「そうだな。見栄をはりたければ、それを出せばまず間違いない。ひと口含めば、後を引く味わい。とろりとした喉越しと類を見ない濃さ。何より強い生命力。虜にならぬ者はおるまいよ。だが……」

  

 暖炉の光を浴びる白く長い指の先で、鋭い爪がぎらりと光る。

 

「今宵の客に出せば失笑されるだろう。あれは実に熱心な蒐集家で、〈偉大な年〉だけでなく、〈革命の年〉や〈黄金の年〉のものも、自身のセラーにたくさん寝かせている。あれにとってはまったくもって珍しいものではない」

「なんと。では、別の年のものを出さねばなりませんね」


 晩餐の主菜は牛の肉。デザートは客の好みに合わせ、甘みの強いマロンパイが出される。それに合うものとなると――鬼火は在庫表を眺めて唸った。


「うちのセラーはなんでも揃っておりますが、三大当たり年以外で逸品というのはなかなか……」


 ビンテージは幾年も寝かせて初めて、真価を発揮する。熟成させなければ、外れ年のものとなんら変わりない。とはいえ何年寝かせるかは完全に所有者の好みだ。飲みごろはいつか、どのような状態で保存すればよいか。これぞ決定版という手引き書などは存在しない。ゆえにみな、試行錯誤しながらセラーを管理している。

 城の主はくつくつ苦笑した。


「まあ、昨今は手間暇かけるのは面倒だと、手軽に〈初物〉だけ楽しむ者も増えている。飲めば若返ると固く信じている馬鹿者もいるようだが……」


 清廉で純粋無垢なる果実はたしかに、神秘なる山奥に湧く清水のよう。独特な味わいがあるのはまちがいない。しかし――


「〈初物〉は良くも悪くも、くせがない。酸いも甘きも噛み分けてきた、舌の肥えた者には実にもの足りないものだ。むろん今宵の客も満足はするまいよ」

「ああ、あの方、たしか三百歳ほどでしたね。では、いかがいたしましょう?」

「十七年ものと四十五年もの。この二種を出せ。飲み比べるという趣向でな」

「え? その二種はすでに甲乙つけられているのでは?」

「いや、最近また論争が蒸し返されている。統計的には十七年の方が凝縮度が勝っているが、四十五年の方がはるかに負荷がかかっていたという史料が出てきたんだ」

「負荷……旨味の必須要素ですね」

「うむ。しかし昨今はろくに負荷がかからなくて、旨味が蓄積されにくくなっているそうだ」


 まったくもって嘆かわしいことだと、伯爵はひょっと肩をすくめた。

 実のところ、世紀が変わってから目立った当たり年はない。

 この国は、実に平和になったからだ。

 国内で戦は起こらず、徹底した国土開発で災害が起きないようにされている。医術の進歩によって病はおさえこまれ、人民は実に健康だ。


「おかげで味の劣化が実にひどい」


 伯爵は暗澹たる未来を憂いた。こんなにも文明が進んでしまっては……


「遺伝子組み換えのまがいもの。我が同胞は、これからはそんなものばかり口にせねばならぬだろうよ」

 

 かわいそうに――哀れみを込めてつぶやき、伯爵はうっとり熱を帯びた目を伏せた。

 

「天変地異でも起こらぬかぎり、二度と〈あの味〉を味わうことはあるまいな」


 それは偉大で革命的で黄金色に輝く佳味を、はるかにしのぐもの。彼だけが知る、至高の味わい。

 今宵やってくる客が生まれる何百年も前のこと。怖ろしい疫病が襲いきて、この国のみならず大陸中で多くの命がはかなく消えた。

 当時はセラーなどなく、それを味わえたのはたった一度きり。

 ほとんど行きずりで名も知らぬ。月が死んでいた夜だから顔さえもほとんどわからない。

 だがあの灼けつくような喉ごしは。全身しびれあがるような衝撃は。


「まさしく、天の甘露(あまつゆ)。陽光のひとしずく」


 ほとばしる(くれない)を口にしたとたん。伯爵はまばゆい閃光を浴びたのだ。

 それはあたかも、天より降り注ぐ黄金の光。

 あの、すべてを滅ぼす恐ろしきもの。

 転瞬、灰となって崩れ落ちたかと錯覚するほどの、驚愕と衝撃。

 そして悟った。

 死とは、このことかと。

 あれ以来、時は止まったまま。一秒たりとて進んでいない。


――「まあ、両手に花というだけで喜ばれそうですよね。さっそく準備いたします」


 恍惚とする伯爵に一礼し、鬼火は部屋を出た。

 おのれの主人とは違い、老いさらばえている客の長寿を祈りながら。



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