8.率直と遠慮
クリフォードの予告通り、研究所へ訪問した日から新月の日まで、クリフォードは忙しなく研究所を出たり入ったりしていた。白衣の日もあれば、どこかの貴族のように正装して出かける日もある。キオネは多忙なクリフォードを心配していた。
「クリフォード様は、とてもお忙しいのですね」
クリフォードが記載した書類を読みながら、棚の中と執務室の鉱物を仕分け、ある程度コツをつかんできたころ、キオネはそっと呟いた。
「所長ですか?そうですねえ、所長は色々とやっていますからねえ」
呟きに応えるように、アニーが手を動かしながら返事をする。
一人では不安もあるだろうと、アニーとウォルトは手が空いたタイミングでキオネの手伝いに来ていた。
キオネは色々って何だろう、と思いながらも、納得したように返事をし、再度目線を書類へ戻した。
書類はキオネへ送られた手紙に綴られた文字よりも、乱雑で、読み辛い。
それでも、忙しい思い人が書いた文字であれば、不思議と不快感はなかった。必死に読み解き、目印と相違ない鉱物を見つけて、アニーへ渡す。
「これはあちらの棚へ置いてください」
アニーは長い文章を読み解くことはできない。数字や鉱物に関する単語はわかっても、文章となると難易度が急に上がってしまうのだ。
この国では、平民にまで教育が行きわたっておらず、一部の上流階級の人間しか文章を読み書きすることはできなかった。だからこそ、整理整頓などの作業もクリフォード一人でやっていたわけだが。
(そういえば、私、クリフォード様のことあまり知らないわ)
なぜクリフォードはこのような長文を読み書きができるのか、なぜ貴族の正装をして出かけるのか、公爵令嬢の自分が知らない家名など無いのに、彼は一体何者なのか。
キオネは、そんな疑問がいくつも浮かんで、心の中に靄が掛かった。
もともと、二度と会えないかもしれない素敵な殿方へあまり興味を持ってはいけないと働かせていた自制も、クリフォードにもう一度会ってからというもの、とっくに無くなってしまっている。キオネはいつしか、クリフォードの事をもっと知りたいと思うようになっていた。
書類をいくら目で追っても、頭に入ってこない。クリフォードが気になるのだ。
もう少し深く追求してもいいのか、それともやはり詮索をするのは間違いなのか思案しながら、口をもごもごとさせて縋るようにアニーの方へと目をやる。
「気になるんでしょう、所長のことっ」
その視線を待っていたかのように、アニーはにんまりと欠けた歯を出して悪い顔をした。
「えっ、いえ…そのようなことは」
キオネは真意を見つめるアニーの瞳に動揺し、視線を逸らす。
「キオネってば、いっつも嘘つくとき視線を逸らしますよね、バレバレですよ」
くすくすと笑って、アニーは手を止める。キオネは図星を言い当てられて、恥ずかしそうに俯いた。
「私たちも所長について知っていることは少ないんですけど、昔話をしますね」
「アニーたちも…?」
キオネはアニーの言葉の端に疑問を抱きながらも、独り言のようにぽつりぽつりと溢すアニーの言葉に耳を傾けた。
「今の王様が即位されてから、すぐに王立研究所ができて、私たちは急に王様の臣下の人たちに呼ばれてここに来るようになったんですよ。この国の広大な範囲から、私たちを見つけてくれて、しかもこんな素敵な施設で働かせてもらって感謝しかないんですけど。でも…やっぱり、いままではそうじゃなかったから、嫌がる人もいたんです」
思い出すように、アニーは窓の上の方へ目線をやる。キオネは、シャノンの手伝いをしていた際に聞いた話を思い出していた。
王立研究所は、各地から専門分野の職人や、知識の有るものを呼んだと聞いている。確かに、貴族の事をよく思わない人間もいただろう。そう思案して、小さく相槌を打ち、アニーの言葉の続きを待った。
「所長は、私たちと同じ時期にやってきて、昔から鉱物の研究をしていて優秀だからと所長に選ばれたんですけど…。クリフォード・マクレイなんて名前、私聞いたことなかったんですよね」
「広大な国なので、知らない方もいるのではないですか?」
「うーん、鉱物は鉱山から採掘してきて管理しているじゃあないですか。だから、ある程度、誰がどの山で何を掘り当てたとか、その鉱物は誰が持ってるとか、調べた情報とか、共有することが多くて。平たく言うと、顔見知りが多いんですよ」
キオネはなるほどと相槌を打ち、アニーへと視線を向けた。
「それが誠だとすると、クリフォード様は一体…?」
「所長は所長です、それ以外、私たちも教えてもらってないんです」
苦笑いをして、少し寂しそうな顔をするアニー。キオネは悪いことを言ったと思い、口をつぐんだ。
「貴族に管理されるのを嫌がった研究者も“同じ研究者なら”っていう事を聞くようになって。それで、いまみたいな統制の利いた研究所になったんですよねえ」
アニーは、キオネの赤褐色の瞳を覗き込み、自分の唇に人差し指を当てる。まるで、何かを知っているような表情に、キオネは生唾を飲み込んで、食い入るように見つめた。
「ここからは内緒話です。それから、私たちが見ていないところで、所長は貴族みたいな恰好して、たびたび席を外すようになりました。はじめは、王様の臣下に報告しに行ってるのかなって思ってたんですけど。私、見ちゃったんです」
「な、なにを…?」
「所長が、見たこともない人と交換してたんです。鉱物と何かを…」
先ほどまでは他の部屋から漏れる加工音が響いていたのに、まるで静寂を迎えたかのように音が聞こえない。キオネはあまりの衝撃に、呆然とするしかなかった。
血の気が引いたキオネの顔色を心配してアニーが慌ててキオネを呼びかける。しかし、キオネにその声が届くことはなかった。
§
アニーの話を整理するならば、クリフォードは現王から指名され王立研究所の所長となり、混沌としていた王立研究所を統制。そして研究者たちの信頼を得た人物という事である。
それだけならば、 “貴族の風貌を時々している”というのは、現王やその臣下への報告へ行っているからとも取れよう。
しかし、鉱物を用いて物々交換しているというのはどういう事だろうか。アニーならば鉱物関係者に置いて知らない人物はいないであろうし、おそらく、見たこともない人という事は、王家の敷地内の人物でもないだろう。
窓の外に夕闇が広がるのを眺めて、キオネは思案を続けた。
今日は、新月。王立研究所の助手をするようになってから、二日目の際に、キオネはクリフォードから出会ったあの場所で新月の夜に会話をしようと誘いを受けていた。もちろん、令嬢たるもの婚約者でもない異性と二人きりで、しかも夜に会うというのは偶然ならまだしも約束をして会う事は許されない。
二人きりで会いたい気持ちは強かったが、キオネは丁重に断った。
そこで代替案として提示されたのが、執務スペースに夕方までいて欲しいという希望だった。キオネはその代替案を聞かなかったことにし、約束はできないと伝えた。
これは偶然だと、自分自身に念を押してキオネは窓の外を見つめた。
「キオネ嬢ッ!」
走ったのだろうか。しばらくして、額に玉のような汗をかいたクリフォードが勢いよく扉を開いた。扉の向こうで座っているキオネの姿を見つけて、クリフォードは目を見開いて、全身で喜びを表現する。
「待っ…ぐ、偶然だな!会いたかった!」
キオネも令嬢として有るべき姿とは裏腹に、恋焦がれていたクリフォードの姿を見て、思わず席から立ちあがって、クリフォードを出迎えた。