6.愛と夢
翌日、王立研究所の使いの者がフォレット公爵家へと訪れた。彼は、なるべく早くキオネに届けたいとクリフォードが送った使いだった。
「お嬢様、王立研究所よりお届け物をお預かりいたしました」
「ロゼ、忙しいところ、ありがとう」
侍女はキオネへ使いより受け取った上質な洋紙の封書と、小箱を渡す。
キオネは期待と少しの不安を抱きながら震える手で、封書を開封した。
王立研究所の印が押された便箋には、キオネと別れた後の悲しみと、近々再開できる喜び、そして王太子妃の婚姻を祝うムーンストーンの製作状況等が綴られていた。
たった一度、会話をしただけの自分への約束など忘れているのではないかと懸念していたキオネは、クリフォードの思いの詰まった言葉に、心の蕾がそっと花開くのを感じた。
「クリフォード様、覚えていてくださったのね」
溢れそうな恋心と、遠くまで聴こえそうな鼓動を、ぎゅっと抱きしめて。キオネは、はやる気持ちを顔に出さないよう、深呼吸をする。
胸の鼓動が落ち着いてきた頃、キオネは侍女から受け取った小箱を開いた。そこには雫を模った深紅のピアスが、輝いていた。
「素敵…」
ピアスを取り出す際に、キオネの指に乾いた感触が伝わった。
小箱を目線まで上げて見てみると、上蓋に隠された洋紙が挟まっているのが見えた。
「何かしら?」
洋紙を上蓋から取り外し開くと、便箋よりも少し崩れた走り書きの文字で、“深紅の石はガーネット、意は一途に君を想う”と、短文が記載されていた。
ようやく落ち着いたはずのキオネの心臓が、先ほどよりも、もっとずっと大きな音で煩く鼓動する。キオネは耳の後ろまで、火傷したように熱くなるのを感じた。
もしかしたら彼も同じ気持ちなのではないか、これは好意なのではないか、と都合のいい解釈が脳裏を掠めて、甘い眩暈を起こしそうになる。
(落ち着け、落ち着け、キオネ・フォレット。落ち着くのよ!)
どきどきと騒がしい恋心は、強く念じる理性の指示を待っていたのか、それともその方が安心するのか、理性の指示に耳を傾けた。
勝手に期待をすることは、それだけで罪だ。真意を聞くまでは、何も期待するな。そう、何度もキオネの理性が呪いのように唱えると、都合のいい解釈は静かに息を潜める。
せっかく開いた花も、すっかり固い蕾に戻ってしまったようだった。
「…きっと、また会える時を楽しみにしていた、という意味だわ」
口にすると、胸が痛む。でも、それでいいとキオネは思った。そうでないと、いけないのだ。
キオネは棘が刺さったようにきりきりと痛む心を無視して、口角を上げた。
「ロゼ、明日から次の満月の日まで、王立研究所へ通うわ。私の装いは華美なものは避けて、なるべく質素に。髪は邪魔にならないよう結い上げいただけるかしら」
「お嬢様…」
幼少期からキオネ専属の侍女を務めるロゼは、泣き出しそうな顔に、歪んだ笑顔を貼り付けるキオネの顔をよく知っていた。
侍女は、そうやって自分で自分を傷つけても救われることはないのに。と思っては、でも自分は彼女へ口を出せる立場にない、と考えを打ち消して、屈折してしまった主人を誰か救い出してくれたらいいのにと天に願うのだった。
§
翌日。普段の公爵令嬢の装いとは比べ物にならないほど、落ち着いた装いでキオネは王立研究所へと向かった。
フォレット公爵家の馬車に揺られて、小一時間。木々のアーチを抜けると、昼の王城が見えてくる。風の無い水面は、鏡のように城を映し出し、それはまるで絵画のような風景であった。
キオネは、封書に同封された王立研究所へと立ち入るための証明書を片手に、窓の向こうの景色を複雑な気持ちで眺めた。
(私にできることが、有ればいいのだけど…)
クリフォードと一緒にいられるのは、後にも先にも今だけ。という事をキオネは知っていた。令嬢は皆、家の為に生き、婚約者が決まればその相手に尽くさなくてはならない。通常は、このような自分勝手な道楽は許されないのだ。
だからこそ、この一瞬を忘れることの無い人生の思い出となるように、最善を尽くしたいとキオネは思っていた。
キオネにとってキオネの人生は、誰かの期待に応える為だけのものだけれど。それでもこのクリフォードへの思いとその瞬間だけは、自分の為だけの人生なのだ。
「キオネお嬢様、そろそろ到着いたします」
従者の声が内窓の向こうから聞こえる。
(もうすぐ着いてしまうわ…。気合をいれるのよ!)
キオネは、暗然とした心を打ち消すために頬を両手で叩く。
パチンと肌と肌がぶつかる高い音が響くと、思ったよりも強く叩いてしまった所為か、耳元の深紅のピアスがゆらゆらと揺れて反射した。
「お嬢様、証明書を門番に渡すのでいただけますか?」
馬車は城門前で停止しているようで、窓の向こうには鍛え上げた身体を持った強面の門番が数名こちらを見定めるように覗いていた。
王立研究所への用とは珍しいのか、王城へ立ち入るよりも訝しげな様子だ。
「はい、こちらが王立研究所から頂いた証明書でございます」
キオネはクリフォードから送られた証明書を内窓から従者へ手渡する。
従者はそれを受け取ると、門番へ確認するよう伝えた。
「失礼いたしました。正式な書類だと確認できましたので、どうぞお入りください」
門番から許可の挨拶をいただくと、馬車はまた左右に揺れながら、シャノンの暮らす城とは異なる建物の方角へ進んだ。
整備された城内を進むと、フォレット公爵家より小ぢんまりとした建物が見えてくる。上階の中央にステンドグラスがはめ込まれた、比較的新しいレンガ調の建物は、現王が即位した際に作らせた王立研究所だ。
外には、白衣の長身の男性が、馬車が近づくのを、今か今かと待っている様子だった。
「お嬢様、お迎えのようですよ」
「え?」
従者の声かけを受けて、キオネが窓の外へ目を向けると、クリフォードが小さく手を振っているのが見えた。
「…クリフォード様だわ!」
月夜のクリフォードは幻想的な美しさを放っていたが、陽の光に照らされたクリフォードも息を呑むほど美しかった。
整った紫黒の髪に、くっきりとした藍色の瞳。きめ細かな白い肌が光に照らされて、キラキラとしている。詰襟のシャツの上に、研究所を公務としている者の特徴である白衣を身にまとっていた。
馬車がゆっくりと停止して、従者が扉を開く。
キオネは、従者にエスコートされながら、地に足を付けた。
「キオネ嬢、お待ちしておりました」
クリフォードの低く落ち着いた声が、キオネの耳を擽った。
「クリフォード様!またお会いできて光栄にございます」
いつもよりも質素な装いでスカートのボリュームも少ないが、右足を斜め後ろの内側に引き、左ひざを軽く曲げて、キオネは淑女の礼をする。
揺れる深紅のピアスに、クリフォードははにかんだ。そして、キオネに合わせるように礼をすると、従者へ視線を向けた。
なるほど、と従者はその視線に気が付くと慌てて定位置に戻り、キオネに声を掛ける。
「それではお嬢様、お時間になりましたら、お迎えに参りますので」
「ええ、ありがとう。帰路も気を付けて」
従者は、旦那様には内緒にしないとなあと、心の中で呟き、鼻の頭を掻く。しばらくして、馬は空になった箱を連れて走り出した。
「それでは、キオネ嬢。研究所の中を案内しよう」
クリフォードは従者に代わって、エスコートするようにキオネの手を引いた。