三
してはならないこと。
人形が恋をした。
店長のアケビに呼ばれて、外に面したガラス窓のある大部屋から待合室に向かったホタルは、扉を開けた瞬間に足元が揺らいだ気がした。
客用の長椅子に長い足をそれはそれは長々と伸ばして座っていたのは、小麦色の肌の黒髪の男性だった。その堂々とした体躯に良く似合う軍服の襟には、階級章がついている。かなり高位の軍人だと、世間知らずのホタルにも分かった。
「初めまして、私、ホタルです。」
あまりにも見すぎていたことに気付き、慌ててぺこりと頭を下げると、男性は何も言わず立ち上がった。自分の倍はあろうかと言う長躯にホタルは圧倒される。男性は黙ったままホタルの長い髪の端をつまんで、持ち上げた。
「これは、本物?」
問われてホタルはこくこくと頷く。
その反応に、ふんと鼻を鳴らして男性は髪を掴んだままホタルを見下ろした。
「俺と同じ色だ。ブルネットは良く見るが、これだけ黒いのは珍しい。」
言ってからため息をつき、男性は膝を曲げて真っ向からホタルの目を見る。
「これも、黒い。見事だな、こんなに肌の色が白いのに。混血の進んだこのご時勢で、これだけ純粋な黒に出会えるものじゃない。」
そして、いきなり無遠慮にホタルの口に指を突っ込んできた。ホタルは一瞬、腕のリングのボタンを押そうかと思ったけれど、待合室でそんな無体なことはされないだろうと思って、必死で耐えた。男性はホタルの歯並びを見ていたようだった。
「きれいな歯だ。よし、気に入った。俺はホクトだ。呼び捨てでいい。これから、時間があるときはできるだけ来てやる。」
だから、俺を好きになれ。
強引に言われてホタルは目を白黒させる。この人はまだ自分の何も知らないのに、色と歯並びだけで決めてしまった。
「む、無理です。私、まだ、あなたのこと何も知らない。」
正直に言ってしまう口を恨みつつ、ホタルは必死で主張した。するとホクトはにっこりと大らかに笑う。
初めての笑顔。
「近々でかい戦争がある。その時には俺は駆り出されて死にに行かなきゃならない。一人くらい俺を思い出して泣いてくれる女が……できれば長い間泣いてくれる女がほしかったんだ。」
「私、女って勝手に決めないで下さい!性別を話題に持ち出すのは違反ですよ!」
人形を貸し出す前に違反事項についてはくどくどと店長のアケビから申し渡されているはずだったが、スリットから覗く太ももと大きな胸しか見ていなかったとけろりとして言うホクト。あまりのことに頭を抱えたホタルの髪を、ホクトは存外優しく撫でた。
「部屋に行こう。別に子どもに欲情する趣味はないし、そんなに飢えてないから、安心しろ。」
本人の前でそんなことを言える神経を疑いつつ、普段割り振られる上品なお客とのあまりの違いに、ホタルはめまいを覚えた。けれど、手を引かれて部屋に向かうに連れて胸がことことと鳴り始める。
俺を好きになれ。
それは魔法の呪文のようだった。