一
人形館を出て向かった先は娼館だった。
馴染みの娼妓がいるという話で、ホクトはホタルを大きな布に包んで隠しながら娼館に入った。中では美しく派手に着飾った女達がホクトの腕の中の荷物に興味深々で近付いてくる。それらを払って、馴染みの娼婦の部屋に入った時には、夜も明けかけていた。
いつもならばタバコをくゆらせて立っているはずの女が、香茶を飲んでいるのに気付いてホクトは目を丸くする。ホクトの顔を認めて女は驚きを顔に表した。
「生きてたんだね?」
「死に損なった。」
苦々しく呟いて、ホクトは豪奢な寝台の上にホタルをそっと置く。布から出てきた美少女に、女は茶碗を取り落とした。
「人形!?」
思わず出た悲鳴をホクトは口を塞いで防ぐ。口をふさがれて女はもごもごとしばらく何か言っていたが、やがて諦めて脱力した。
女の唾をズボンの尻で拭き、ホクトは女に告げる。
「迷惑はかけない。朝一で出て行くから、今夜だけ泊めてくれ。」
花街の朝一といえば昼のことなのだが、昼になって閑散としてから逃げ出す手口なのだろうと踏んで、女は唇を斜めにした。
「人形遊びに手を出した挙句盗んでくるなんて、あんたもやきが回ったものだね。」
その言葉にホクトが自嘲的に笑む。
「俺も意外だが、はまるぞ、これは。」
言いながらホクトがホタルに目を向けると、ホタルは何故か眩しそうにこちらを見ていた。
手招きされてホタルはぴょんと寝台から飛び降りて、女の方に駆け寄ってくる。ぺこりと頭を下げると長い髪が床につきそうになって、女が慌てた。
「ホタルです。」
「本名は?」
女に鋭く問いかけられてホタルは少し躊躇った後、口を開いた。
「リンヴィエです。でも、ホタルで構いません。」
独特の響きを持つ名を名乗った後、ホタルはそれを名乗ったことを後悔したように俯いた。本来ならば忘れなければならなかった名前。ゴミのように自分を捨てた両親が、付けてくれた名前よりもずっと、愛し大切にしてくれた大母ビッグ・マザーが付けてくれた名前の方が、愛着はあった。けれど、その名前は決して忘れられないものとして、心の片隅にいつもあった。
それを言い当てられたような気がして黙り込むホタルに、ホクトはぐしゃぐしゃと髪を撫でてやる。ホタルは涙がいっぱいに溜まった目でホクトを見上げた。
「店長も、アサヒも、ヒサメも、サユキも、コナツも、ガイも、ヴィラも、大好きだったんです。誰も嫌いにならないでいいですか?」
店を捨てた以上、もう元には戻れないと分かっていながら、慕う気持ちは隠せないホタル。その小さな体をホクトは抱え込む。
「リンヴィエ、私は人形館の気取った名前が嫌いなの。リンヴィエと呼ぶわよ。リンヴィエ、シャワーを浴びてきた方がいいんじゃない?」
何日か毎には風呂に入っていたが、数日入っていないホタルは、身奇麗に見えるが臭うのだろう、顔を顰める女に、ホタルはこっくりと頷いた。女は他の部屋の女に声をかけて、子供用の服を持ってこさせるように言う。
「悪いな、サージャ。」
謝られて女、サージャは細い顎を反らせた。
「今更戻ってきて頼ろうなんて虫が良すぎるんだよ。全く、私もお人好しなんだから。」
自分自身に呆れながらも、ホタルが立ち去った後をまだ見送っているホクトに、サージャの目が柔らかくなる。
「死ぬ死ぬ大仰に言ってたのに、情けないもんだね。生き残っちまって。」
するりと細い腕を首に巻きつけられて、ホクトは顔を顰めた。サージャの唇は口紅でべったりと赤く、濡れたように光っている。
そのまま引き寄せて口付けをされそうになって、ホクトは少し強引にその腕を払った。払われてサージャは意外な顔をする。
「どうして?」
「子どもがいる場所でするもんじゃない。」
その言葉に、サージャは心底傷ついた目をした。
「昔はそんなんじゃなかったのに。」
無理やりに首筋にくちづけられて、ホクトは慌てて身を引く。しかし、もう遅く、べったりと赤い色がついていた。
「口紅は嫌いだ。」
「まずいからね。」
そう言って笑う女の顔色が、化粧に隠されてはいるが、悪いような気がしてホクトはサージャをまじまじと見つめた。サージャは飄々として斜に構えている。
「病か?」
端的な問いかけにサージャは首を振った。
「健康よ、至って。」




