二十五
ホタルの食欲が戻ってきたと聞いた時、安心している自分にサユキは嫌気がさした。ホクトに止めを刺したのは自分なのに、まだホタルの幸せを願っている。
ヴィラは心配する人形達にホタルのことを時々話してくれた。
「少し顔色がよくなったようだよ。このまま酷いことされないといいんだけど。」
不安げなヴィラに、ガイが一言、「自業自得。」と陰気に呟いた。その言葉を聞いてアサヒがガイに駆け寄り、その腹をぽこぽこと殴る。
「ホタルは誰にでも優しくていい人形だったよ。それがひどい仕打ちを受けるなんて、冗談じゃない。」
おいらは絶対許せないね。
腰に手を当てて怒るアサヒに、コナツも頷く。
「どうにかできないかな。」
誰にでも愛されているホタル。おっとりと穏やかに静かにこの人形館にいたホタル。
その幸せを願わないものはいない。
それと同時に、裏切りや嫉妬を抱えてサユキは胸中で呻いていた。
自分の想いが報われることは多分、ない。
それなのに、ホタルはこんなにも愛されて助け出されようとしている。
悔しさと愛しさで灰色になろうとしている心を読んだかのように、ヒサメがサユキの腕を取った。そして、優しく撫でてくる。
「僕は、サユキが一番好き。誰よりも大好き。」
腕に頬擦りされて、サユキは我に返った。
「これは、ホタル一人の問題じゃありませんね。人形全体がこれからどう幸せになっていくかがかかっているような気がします。」
サユキの言葉にアサヒが強く頷く。
「例外中の例外。たった一件だけの唯一の例外でいい。ホタルは幸せにならなきゃ駄目だ。」
アサヒは両方の拳を握り締めてそう宣言した。その手にガイがそっと触れる。
「年季が伸びるかもしれない。」
「ガイと長く一緒にいられるから、それはそれで嬉しいよ。」
薬で無理やりに成長を押し留めている歪みが後で現れようとも、後悔しないというその言葉通りにアサヒの顔は晴れやかだった。それを見てガイの表情が微妙に変化した気がする。
「店長が好きなんだろ?」
部屋に戻って一人でくつろいでいるところにアサヒが訪ねてきて、サユキは驚いた。しかも、開口一番その台詞である。
「なぜ?」
肯定も否定もせずに問い返すと、アサヒは猫のように目を細めた。
「分かるよ。おいらはガイが好き。見てたんだろ?」
覗き見を指摘されてサユキが赤くなる。
「もう、世界中に宣言したいくらいガイが大好きなんだ。」
両手を広げてうっとりと言うアサヒに、サユキがその名の通り雪のごとく冷たく言った。
「二度と、会えなくなりますよ。」
「スズオトは戻ってきた。スズオトにできることがおいらにできないはずがない。」
強かにしなやかに、自由に奔放に生きるアサヒ。全て計算づくの自分が虚しくなってきて、サユキはため息をついた。
常連客の数で勝っても、その密度ではサユキはアサヒの足元にも及ばない。
「自分の恋が叶わないからって、ホタルを貶めようとしちゃ駄目だよ?」
そんな発言は一言たりともしていなかったのに、胸中を読まれたようでサユキは絶句する。自分は表情に感情が出にくいタイプだと思っていたが、それは勘違いだったのだろうか。
「サユキ、先輩として教えてあげる。この店での一つの出会い、一つの会話が、全て奇跡だったんだって、今のおいらには分かる。もっと、自分を大事にしていいんだよ?」
閉じ込めた恋心。
笑顔で取り繕う本心。
決して見せない涙。
そして、本当の笑い顔。
「僕は……。」
言葉に詰まったサユキの体をアサヒがぎゅっと抱きしめてくれる。
「皆で幸せにならなくちゃ。」
誰一人かけることなく、幸せな未来に向かって生きていけるように。
この人形館は決して暗い牢獄ではないのだとアサヒは言う。
最初に出会ったときと同じ笑顔で。
「ホタルを、助けましょう。」
そして、サユキの心が決まった。




