二十二
片腕がなくてその傷口にぐるぐると包帯が巻かれていても、誰もが彼が誰かすぐに分かった。
店の中に押し入ろうとする彼、ホクトをガイが押し返している。
「ホクトさん!」
思わず階段を下りてこようとするコナツを、アケビが一喝した。
「部屋にいな!」
その命令を聞けるわけもなく、かといって逆らう勇気もなく、コナツ、ヒサメ、サユキ、アサヒは階段の上で立ち止まる。階下では取っ組み合いが始まったようだった。だが片腕のないホクトに勝ち目はなさそうである。
上背があってがっしりしたガイよりも、更に長身で逞しいホクト。その端正な顔は半分が包帯に覆われていた。
「開店時間がまだだよ、帰った帰った。」
「ホタルがいなくなったと聞いた!ホタルはどこに行ったんだ?」
戦場から戻ってすぐの足でここに来たのだろう、ホクトは薄汚れて見えた。医者が止めるのも聞かずに来たらしく、顔色も悪い。
「ホタルは処分したよ。」
その言葉にアケビに飛び掛ろうとしたホクトを、ガイが押さえ込む。床に顎を擦り付けられて、ホクトは低く唸った。獣のような唸り声を上げるホクトの顎に、アケビは自分のつま先を当てる。
「あんたのせいで人形一体失ったんだ。こっちは慰謝料払ってもらいたいくらいだよ。」
顎を反らせて傲慢に言い放つアケビに、ホクトが歯を剥いた。まばらに髭の生えたホクトの顔。目は落ち窪み、かつての面影もない。それでも迫力のある美形に見えるのは、彼の本性が顔に表れるからだろうか。
「どこへやった!処分するくらいなら、俺が買い上げる!」
床に押さえつけられてぎりぎりと歯軋りをするホクトに、アケビは冷たく言い放つ。
「あんたにやるくらいなら、あたしが殺すよ。」
あの細い首に手をやって、じわじわと締めていくのはどれ程に悲しく愉しいだろう。
うっとりと自分の手を見つめるアケビの横をすり抜けて、サユキが階段を走り下りてきた。サユキの登場にガイの手が緩む隙を見て、ホクトは体勢をひっくり返す。ようやく立ち上がったホクトに、サユキは言った。
「ホタルは精肉所に売られました。もう半月も前のことです。」
平静なサユキの顔に、ホクトは目を見開いた。
「本当に……?」
片方しかない手でサユキの肩を掴んで問いかけるホクトに、サユキは重々しく頷く。
しばしの沈黙。
サユキの目をまじまじと覗き込んでいたホクトは、がっくりと肩を落として踵を返した。
この食糧難の時代、人間が精肉所に売られることなど珍しくはない。人形ならば尚更だろう。
ホクトが立ち去ったのを見計らって、アケビがサユキの頭をなでた。サユキは暗い表情でそれを受けていた。
ヴィラからホタルに食事を渡す役を請け負って、サユキが地下の階段を下りていく。突き当たりの鍵のかかったドアノブに鍵を差し込み、扉を開けると、部屋の隅の小さな寝台にホタルが腰掛けていた。
食事の乗ったお盆を小さなテーブルに乗せて、前の食事のお盆を取り上げると、それはほとんど手付かずで残っていた。
痩せ細ったホタルは薄汚れて、消え入りそうに儚くなっている。その油染みた髪を手ですいて、サユキはホタルの頬に手をやった。
「あの人が来たよ。」
ガラス玉のようだったホタルの目に、光が宿る。その光の激しさにサユキは眉を顰めた。
「無事でしたか?」
かすれた問いかけに、サユキは首を振る。
「腕が一本なくなって顔も半分包帯に覆われていました。」
サユキの言葉にホタルが息を呑み、両手で顔を覆った。ホタルの口から嗚咽が零れる。
「嬉しいの?悲しいの?」
突き放すように冷たく問いかけたサユキに、ホタルはただ首を振った。涙が手を伝って肘に零れ落ちる。
「もう来ませんよ。ホタルは死んだって言っいました。」
冷たいサユキの言葉に、ホタルはばっと顔を上げた。そして、痩せた顔の中で零れ落ちそうなほど大きな目を見開く。
睨み付けるホタルの視線を軽くかわし、突っ立っているサユキの前で、ホタルは徐々に力を抜いていった。
そう、会えるはずなどなかったのだと、悟って。
「店長に伝えてください。早く、殺してと。」
そう言ったホタルの目は、もう何も見ていなかった。
絶望の深淵に落ちかけたホタル。
その髪をサユキはもう一度いとおしそうに撫でた。




