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夢宵人形館  作者: 秋月真鳥
本編
23/36

二十二

 片腕がなくてその傷口にぐるぐると包帯が巻かれていても、誰もが彼が誰かすぐに分かった。

 店の中に押し入ろうとする彼、ホクトをガイが押し返している。

「ホクトさん!」

 思わず階段を下りてこようとするコナツを、アケビが一喝した。

「部屋にいな!」

 その命令を聞けるわけもなく、かといって逆らう勇気もなく、コナツ、ヒサメ、サユキ、アサヒは階段の上で立ち止まる。階下では取っ組み合いが始まったようだった。だが片腕のないホクトに勝ち目はなさそうである。

 上背があってがっしりしたガイよりも、更に長身で逞しいホクト。その端正な顔は半分が包帯に覆われていた。

「開店時間がまだだよ、帰った帰った。」

「ホタルがいなくなったと聞いた!ホタルはどこに行ったんだ?」

 戦場から戻ってすぐの足でここに来たのだろう、ホクトは薄汚れて見えた。医者が止めるのも聞かずに来たらしく、顔色も悪い。

「ホタルは処分したよ。」

 その言葉にアケビに飛び掛ろうとしたホクトを、ガイが押さえ込む。床に顎を擦り付けられて、ホクトは低く唸った。獣のような唸り声を上げるホクトの顎に、アケビは自分のつま先を当てる。

「あんたのせいで人形一体失ったんだ。こっちは慰謝料払ってもらいたいくらいだよ。」

 顎を反らせて傲慢に言い放つアケビに、ホクトが歯を剥いた。まばらに髭の生えたホクトの顔。目は落ち窪み、かつての面影もない。それでも迫力のある美形に見えるのは、彼の本性が顔に表れるからだろうか。

「どこへやった!処分するくらいなら、俺が買い上げる!」

 床に押さえつけられてぎりぎりと歯軋りをするホクトに、アケビは冷たく言い放つ。

「あんたにやるくらいなら、あたしが殺すよ。」

 あの細い首に手をやって、じわじわと締めていくのはどれ程に悲しく愉しいだろう。

 うっとりと自分の手を見つめるアケビの横をすり抜けて、サユキが階段を走り下りてきた。サユキの登場にガイの手が緩む隙を見て、ホクトは体勢をひっくり返す。ようやく立ち上がったホクトに、サユキは言った。


「ホタルは精肉所に売られました。もう半月も前のことです。」


 平静なサユキの顔に、ホクトは目を見開いた。

「本当に……?」

 片方しかない手でサユキの肩を掴んで問いかけるホクトに、サユキは重々しく頷く。

 しばしの沈黙。

 サユキの目をまじまじと覗き込んでいたホクトは、がっくりと肩を落として踵を返した。

 この食糧難の時代、人間が精肉所に売られることなど珍しくはない。人形ならば尚更だろう。

 ホクトが立ち去ったのを見計らって、アケビがサユキの頭をなでた。サユキは暗い表情でそれを受けていた。



 ヴィラからホタルに食事を渡す役を請け負って、サユキが地下の階段を下りていく。突き当たりの鍵のかかったドアノブに鍵を差し込み、扉を開けると、部屋の隅の小さな寝台にホタルが腰掛けていた。

 食事の乗ったお盆を小さなテーブルに乗せて、前の食事のお盆を取り上げると、それはほとんど手付かずで残っていた。

 痩せ細ったホタルは薄汚れて、消え入りそうに儚くなっている。その油染みた髪を手ですいて、サユキはホタルの頬に手をやった。

「あの人が来たよ。」

 ガラス玉のようだったホタルの目に、光が宿る。その光の激しさにサユキは眉を顰めた。

「無事でしたか?」

 かすれた問いかけに、サユキは首を振る。

「腕が一本なくなって顔も半分包帯に覆われていました。」

 サユキの言葉にホタルが息を呑み、両手で顔を覆った。ホタルの口から嗚咽が零れる。

「嬉しいの?悲しいの?」

 突き放すように冷たく問いかけたサユキに、ホタルはただ首を振った。涙が手を伝って肘に零れ落ちる。

「もう来ませんよ。ホタルは死んだって言っいました。」

 冷たいサユキの言葉に、ホタルはばっと顔を上げた。そして、痩せた顔の中で零れ落ちそうなほど大きな目を見開く。

 睨み付けるホタルの視線を軽くかわし、突っ立っているサユキの前で、ホタルは徐々に力を抜いていった。

 そう、会えるはずなどなかったのだと、悟って。


「店長に伝えてください。早く、殺してと。」


 そう言ったホタルの目は、もう何も見ていなかった。

 絶望の深淵に落ちかけたホタル。

 その髪をサユキはもう一度いとおしそうに撫でた。

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