十一
トーノの来訪を聞いて、呼ばれる前に椅子を立とうとしたコナツを、サユキが視線で留める。毎度のことながら長い長い注意事項を、トーノはまだ聞いている途中だろう。そんな最中にコナツが駆けてきたら、アケビは激怒しかねない。
「店長もいい年なんだから、頭に血が上らないようにしないと危ないぜ?」
そんな軽口を叩くアサヒの手を、サユキはぴしゃりと手で打った。アサヒは舌を出してサユキを睨む。
「アケビさんに対する侮辱は、アサヒでも許しませんよ?」
冷ややかな視線と共に告げられる挑戦の言葉に、珍しくアサヒは乗ってこなかった。それもそのはず、ヒサメがアサヒの袖を引っ張ったのだ。
ガラス窓の向こうから客や将来お客になるであろう人たちに見られていることを、最年長のアサヒが忘れるはずはない。アサヒが動けないと知って挑戦してくるサユキもサユキだが。
「コナツ~おいで~。」
何年経っても年をとらない不思議な女性、アケビの声に、コナツはぴょんと椅子から飛び降りた。
「いってらっしゃい。」
ホタルに声をかけられて、コナツは上気した頬もそのままに頷いて駆け出す。
待合室に駆け込むと、トーノはいつもの疲れた様子で気だるくコナツを待っていた。コナツはトーノの手を取る。
人形と客にとって、部屋までの道は特別なものである。
手を繋ぐもの、抱き上げるもの、後ろを付いてくるもの……客によって様々だが、コナツはトーノの手を握るのが好きだった。トーノの手を握っていると安心する。
お父さんみたい。
決して言ってはいけない言葉。自分にそんなものがいた時代をコナツは覚えていないし、今もそんなものがいるのかどうかすら知らない。それなのに、客や他の人形から聞きかじった知識で、それがどんなものか知った気になっている。
それは、サユキたち年長の人形達にすれば苦笑ものの認識なのだろうが、コナツは思ってはいけないと知りつつ、トーノのことをそんな風に思っていた。
「戦争が始まるらしいですね。」
コナツから切り出すと、トーノは小さく頷く。
「また景気が悪くなる。軍事産業は御の字みたいだがな。」
言いながら緩めたネクタイを受け取ってコナツはハンガーに引っ掛ける。
「軍人の客が多いからここも大変になるだろう?コナツは大丈夫か?」
頬をなでて問いかけられて、コナツはこっくりと頷いた。コナツの客に軍人はいない。軍人の客は扱いが難しいとかで、ホタルやサユキなど、扱いの上手い人形達に割り振られることになっていた。
「爆撃の弾がトーノさんを襲わないなら大丈夫です。」
それだけが心配だと告げると、トーノは明るく笑う。
「それはないよ。相手の国は爆撃機を持ってない。」
そんな国へ占領するように攻め込むのは何故なのか、コナツは分からなかった。大人たちはそれが分かるのだろうか。自分が人形でなければそれが分かるのだろうか。
「そういえば、アサヒちゃんが今年で廃棄だって話だね。コナツもそのうち廃棄されるのかな?」
そういう情報は一切漏らしていないはずなのに、どこから仕入れてきたのだと目の端を吊り上げると、トーノは蛇の道は蛇とだけ答えた。
「その件に関しては、僕は何も話せません。」
それが契約だから。
人形として自分の命に意味を与えてくれた店長との、絶対の約束。
決められた年月だけ人形はこの店に存在して、そして消えていく。
それはおよそ六年。
それが始まったばかりの自分と終わりつつあるアサヒと。
それが終わる頃には自分もアサヒのように存在しているだけで好かれるような人形になれるのだろうか。
その時にトーノは傍にいるのだろうか。
「僕を見てて下さいね。僕はきっと歴代一の人形になって見せるから。」
コナツが胸を張るのを見ずに、トーノは眠ってしまっていた。




