十
スズオトが来た時のアケビの機嫌は、最高潮に悪くなる。ぴりぴりとした空気の中で、へらへらと笑いながらスズオトはヒサメとサユキに手を伸ばす。
人形はお客一人につき一体。
それがこの人形館での鉄則である。それなのに、スズオトがガラス窓のある大部屋まで入り込んで二人を連れて行くのを、アケビは悪態をつきながら見送るしかなかった。
スズオトは、アケビの兄弟らしかった。しかも、大きな借りがあるとかで、逆らうことが出来ない。
スズオトはサユキの部屋に二人を連れてきて、着替えをさせて、可愛いお揃いの漢服を着せて大いに愛でる。言葉少ないヒサメを膝に乗せ、言葉達者なサユキとチェスをするスズオト。持ち込み厳禁のはずのワインをグラスに注いで手の中で回しながらスズオトはヒサメに問いかけた。
「最近の客はどうだ?嫌なことはされてないかい?」
「スズオトさんにされることくらい嫌なことは、された覚えはありません。」
さらりと返すサユキに、スズオトはけらけらと笑う。
「お前はいいねぇ。実にいい。これだけ可愛がってもちっとも懐かないのが、たまらない。」
スズオトの物言いにサユキはため息をついた。普通の客の前ならば絶対にしない、うんざりした表情。それがスズオトの興味を更にそそるなど、サユキには分からない。
「ヒサメにはお土産がある。つけてごらん。」
青い石の首飾りを手渡されて、ヒサメはふるふると首を左右に振った。その眉間に寄った僅かな皺さえ、スズオトは楽しんでいる。
「いいから、つけなさい。」
命じられて渋々首に付けた青い石の首飾りは、豪奢すぎてヒサメの華奢な首には似合わなかった。それを知っていながら買い与えるスズオト。その石の輝きから、それが紛れもない値打ちものだと分かるからこそ、サユキはそれを付けさせられるヒサメをかわいそうに思った。
「近々大きな戦争があるからね、軍人達が通わなくなるだろう。他の客を開拓しないといけないな。特に、ホタルとかは。」
余計なお世話だと言いたいのをぐっとがまんして、サユキはチェスの駒を動かす。悔しいことに、チェスの腕では人形の中で一番のサユキでさえ、スズオトには一度も勝ったことがない。
「被害はこっちにも来そうですか?」
次打つ手に悩みながらのサユキの問いかけに、スズオトは軽く駒を動かして微笑む。
「いや、東の僻地でどんぱちやるだけだよ。こっちの勝ちが決まってるような戦争さ。」
それならば、ホタルの客は何故あんなに死ぬ死ぬ言うのだろうと、ヒサメが首を傾げた。
口に出さない問いかけに答えるように、スズオトはワインで喉を湿らせて語りだす。
「それでも、誰かが前線に出なきゃいけない。爆撃は味方も敵も見分けちゃくれない。多分、軍人が千は死ぬね。」
その中にホタルの客も入っているのかと思うと、ホタルが気の毒で、そんなことを笑顔で言うスズオトがサユキは憎くてならなかった。
「スズオトも、死ぬの?」
ぽつりと零したヒサメの言葉に、サユキは目を見張る。スズオトも驚いたようで目をまん丸にしていた。
「くくっ。これだからヒサメは嫌だな。鋭すぎる。」
一瞬だけ苦悩したような表情をしてから、スズオトは座って組んでいる足を組み替えながら、大げさに胸に手を当てて天井を仰ぎ見た。
「サユキとヒサメに冷たくされすぎて死んじゃうよ、おじさんは。」
芝居がかった仕草にヒサメは首をかしげ、サユキが辟易とした顔になる。
「人は死ぬんだよ。人形やアケビの妖怪ばばぁと違って。」
「あ、アケビさんになんてことを!」
思わず立ち上がってしまってから、サユキはしまったと顔を覆った。自分が誰を想っているかなど、誰にも知られてはいけないはずなのに。
それを追求してからかってくるかと思ったスズオトだったが、意外にもその話はそこで終わりになった。
「次来るまでにチェスの腕を磨くんだな。」
王手をとったスズオトはそう言い残して、飲みかけのワインもそのままに椅子から立ち上がった。習慣で上着掛けから上着を取り、手渡すサユキの頭を、スズオトはぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「優等生ばっかりしてるんじゃないぞ!たまにはわがまま言って客を困らせる小悪魔になってみろ。」
「あなたに対しては小悪魔じゃなくて、死神になりたいですよ。」
皮肉に皮肉で返すとスズオトはこの上なく愉快そうに高笑いした。のけぞって笑うスズオトの背中を、ヒサメが撫でる。
「また。」
短い送りの文句に、スズオトは笑顔で応えた。




