後編 最強の悪役令嬢
搦め手最強に対抗できる最強
「じゅ、じゅじゅじゅ、ジュリエット・アームストロング。こ、コニャックを……じゃなくて、婚約を、その、アレだ。ハハハ……破棄しゅる!」
高らか……と呼ぶにはかなり格好悪い、ギリギリの精神状態であることがよくわかる叫びがとある夜会で上がった。
ここはさる小国にて、貴族が集う王家主催のパーティ会場。高貴な身分の客人が集まる華やかなパーティなのだ。
そんな場所で、突然の婚約破棄宣言。威勢のなさはともかく、大問題である。
そんな大問題を起こした男の名は、フランク・シュワルツ。この国の王太子であり、若手貴族の中で最高位の権威を持つ男だ。
その後ろに控えているのは、ローズマリー・ベース男爵令嬢。本来このパーティに参加することすらできない爵位の低い家の産まれながら、今回は『王太子の新しい婚約者』という名目で連れてこられ、王太子の強権を使って無理矢理ねじ込んだ美少女である。
このローズマリー、本来ならば『事前に細工しておいた自身への暗殺未遂の犯人としてジュリエットを王太子に告発させ、有責100%の王太子に少しでも正当性を与え、その後は自身の弁論術で場を掌握する』という計画を立てていた悪女である。
とにかく『王太子と仲がいいというだけで顔も知らない貴族令嬢を殺そうとした危険人物であり、王太子の婚約者には相応しくない』の一点でごり押し、恥知らずな浮気宣言を義憤に駆られた暴走ということにすり替えることで王太子側の非を可能な限り軽減しようという腹だ。
とにかくこの場を乗り切り王太子の婚約者ジュリエットを失脚させ、籠絡した王太子をフリーにする。その後、自らは適当な侯爵家の養女にでもしてもらって王家の婚約者としては低すぎる家柄を補完、後は王太子と正式に婚約して次期王妃の椅子を手に入れる……というのが計画の全貌である。
正直に言って、ローズマリーとしてもあまり実行に移したい計画では無かった。王太子が突然とち狂ってこのパーティで婚約破棄宣言をするなどと言い出さなければ、もっと入念な根回しと情報収集を行ってから動きたかったのが本音だ。
それでも、ローズマリーは短い時間でできる裏工作は全力で行った。王太子との出会いから二週間も経っていないのに、もうこんなところまで来てしまっていたのだ。
あらゆる魅了術と工作術を会得したスーパー悪女、ヒロインの座を得るためならば労力を惜しまないハイスペック令嬢ローズマリーは、あと一歩で勝利できるところまできていたのだ。
今日初めて、王太子の婚約者、ジュリエットの姿を見るその瞬間までは。
「フランク様……それは、本気ですか?」
フランク王太子の宣言を聞いたジュリエットは、悲しそう……あるいは冷え冷えとした声を出した。
出会って三分も会話すれば相手の嗜好や性格を大体把握できる分析力を持つローズマリーを持ってして、その声に含まれている感情の真意を掴むことはできない。
学び舎にも通っていないジュリエットの姿をローズマリーが見たのは今が始めてだ。何故か肖像画の一つも存在せず、容姿を尋ねても誰一人としてまともに回答しない謎の令嬢。
判明したのは、王太子と同年代でありながらも既に一人前の大人として国に仕え働いていることと、武門の家系であるアームストロング公爵家の令嬢であることのみ。
そんな彼女を評価するならば、まず、顔は美しいと言えるだろう。金髪をクルクルと巻いているその顔は、流石は貴族のご令嬢であると納得できるだけの美貌を持っていた。こんがりと日焼けした肌は令嬢らしくないが、男女問わず武芸を学ぶアームストロングの人間ならばおかしな事では無い。
しかし、多くの人間は、ジュリエットを見てそんなことを気にすることはないだろう。
彼女には、もっと強烈に人の目を引きつける特徴があるのだ。
(な、なんてことなの……。これは、これでは、勝ち目が無い……!)
ローズマリーの当初の予定では、恐怖に怯えて涙を浮かべる健気なか弱い令嬢スタイルで行くつもりだった。そういう演技を行うことで、周囲の同情を煽るつもりだったのだ。
しかし、そんな演技をする必要はもはやなくなってしまった。演技などしなくとも、ローズマリーは目の前の令嬢……ジュリエットを前に、産まれて初めて感じる『勝てない』という恐怖の感情に抗えなくなってしまったのだ。
その切れ長で鋭い眼光に射貫かれれば、数多の勇者が死を覚悟するだろう。
300キログラム程度のものでは負荷にすらならないだろうその腕を差し出されれば、自然と跪いて許しを請うだろう。
もし自分に向かって歩いてくるその姿を見れば、辞世の句が頭に浮かぶことだろう。
もしこの女に敵意を向けられれば、自ら死を選ぶことだろう。
そう――ジュリエット・アームストロングは、圧倒的な筋肉であった。
二メートル……否、もしかしたら三メートルにも届くかも知れない巨体の上に、令嬢の頭がちょこんと乗っている出来の悪い合成写真のような風貌を見れば、誰しもが怯えること間違いなし。
パッツンパッツンに伸びきったドレスだったんだろう布きれ越しに、くっきりと鍛え上げられた筋肉のラインが見えている。
もしかしたら豊かだったのかも知れない胸元は大胸筋に制圧され、ちょっと気合いを入れればあっさりとドレスなどはじけ飛ぶことは確実。
その圧倒的覇気、圧倒的筋肉を前にすれば、彼女を敵に回そうなどと考える愚か者など自殺志願者以外にいるはずがなかった。
「……何故、なのですか? なぜ私との婚約を……?」
(これは嘆いているの? 怒っているの? ダメ、全身の感覚が痺れて……)
言葉だけ聞いていれば、突然理不尽な宣告をされて傷ついているご令嬢の台詞だ。
だが、実際には筋肉だ。ローズマリーには、その発言の全てが『貴様、死ぬか?』というドスの利いたものに変換されて聞こえていた。
「わ、わわわ、私は、このマリーが、好きになったのだ。し、真実の、愛を見つけたのだ! だだだ、だから、その、き、キミとは、結婚できない!」
恐怖でガチガチと歯をぶつけながらも、フランク王太子は言ってやったぞこの野郎と何かをやりきった男の顔をしていた。
ローズマリーは、ふざけんなと思った。王子様と身分違いの恋をしたヒロインが立ち向かうべきは、身分だけは高い性格極悪の悪役令嬢であるべきだ。可憐にして華麗なる悪女の戦いは優雅な頭脳戦であるべきだ。
断じて、魔王すらひれ伏すであろう筋肉魔神の相手ではないのだ。悪役令嬢と筋肉魔神……一文字もあってねぇじゃねぇかと叫びながら今すぐ逃げ出したかった。
「……貴女は?」
ギロリ、と擬音がつきそうな勢いで、眼球だけがローズマリーに向けられた。
その圧力で、ローズマリーは自らの心臓が一瞬停止したことを感じた。恐怖のあまり、これ以上の恐怖を感じるくらいならばと身体が死を受け入れたのだ。
しかし、ローズマリーの鋼の精神は、その恐怖を跳ね返し、生命活動を再開する。この程度で、自らの野望を死なせることなどしないと。
「……初めまして、ジュリエット様。私、ベース男爵の娘のローズマリーと申します」
ローズマリーは持っている手札の中で、もっとも高貴な礼節を持つ令嬢、というカードを選択した。
並の相手ならば、所作の一つで魅了することも可能。淑女の理想とでもいうべき仮面。ローズマリーが培ってきた数多くの仮面の中でも、正攻法では最強の仮面である。
そんなローズマリーに、周囲の貴族たちから感嘆の声が上がった。
もっとも、それはローズマリーの美しさや所作に対するものではなく、あの二足歩行する戦略兵器、無敵令嬢ジュリエットを前に自然な仕草で言葉を紡いだ胆力に対してのものだったが。
「これはご丁寧に。私はジュリエット・アームストロングと申します。以後よろしく……と言いたいところですが、どうもそういうわけにはいかないようですね」
怯えを見せなかったローズマリーに、ジュリエットは感心したように名乗り返した。
このジュリエットを前にして、このように自然体で礼を取ることができる者は非常に希少なのだ。
ジュリエットを前にすれば、大体の人間はその場で気を失う。偶に根性がある益荒男でも、根源の恐怖を引き出すジュリエットの筋肉の波動――筋圧に負け、精々がローズマリーの隣で震えている男のような有様になるのだ。
このように会話を楽しめる相手など、何年ぶりか……と、ジュリエットはニヤリと笑うのだった。
……なお、その笑みを見たギャラリーの半分は意識を失った。
「さて……何でも、貴女は私の婚約者と恋仲にある、というお話でしたが?」
「はい……申し訳ありません。ですが、私は自分の気持ちに逆らえないのです」
一方、ローズマリーは事前に用意していた策の全てが無になったことを理解していた。
自分で自分の腕を斬りつけてまで作り出した、刺客に襲われたという事実。しかし、並の貴族令嬢が相手ならば必殺の一撃の策になり得ても、このジュリエットだけには通用しない。
筆跡を真似、証拠を作った。そんなものに意味などない。このジュリエットならば、自分を殺すのに一々刺客など雇わず自分でやると、この令嬢を見れば千人中千人が答えることだろう。
そして、もし刺客がジュリエット自身であるならば、ローズマリーが生きているはずが無い。ナイフなど不要、拳の一撃で全身が蒸発してそれでお終いなのは自明の理だ。
(印象操作、裏工作、誘惑、魅了……どんな小細工を行っても、武力一つでひっくり返すジョーカー……クッ、最悪の相手ね)
ローズマリーは確信する。このジュリエットの言葉に逆らえる者などいない。仮にジュリエット自身が望んでいなくとも、周りが勝手に忖度して彼女の望みを叶えようとするだろう。
魅力という武器で同じようなことをやっているローズマリーにはそれがよくわかっており、下手な小細工で貶めることは逆効果以外のなにものでも無い。
ローズマリーが得意とする武器は、ジュリエットには何も役に立たないのだ。
ペンは剣よりも強し、しかし筋肉はそれより強いのである。
かといって、美しさ重視で自らを磨いてきたローズマリーでは、筋肉という土俵で戦うこともできない。裏工作のために穏行術も学んでいるローズマリーだが、筋肉を付けすぎると外見に出てしまう。そのため、身体能力という意味では精々が子爵家に侵入して誰にも知られずに行動できる程度のレベルであり、公爵家や王城クラスの警備が相手では通用しないというところが限界だったのである。
華奢な令嬢に見える程度の脂肪で誤魔化せる範囲までにしなければいけなかった関係上、彼女が身につけたのは極限まで無駄がないように独学で絞った筋肉のみ。戦闘力では護身術として身につけた柔術を駆使しても並の騎士の一人や二人ならば問題なく倒せる程度であり、このジュリエットには到底通用しないだろう。
槍を一振りすれば百の兵をなぎ倒し、二振りすれば千の騎士を蹂躙し、三振りすれば国が滅ぶと謳われ、あまりの非現実的さ故に情報が市勢に下りてこない武神。それが相手では、到底勝負にすらなりえなかった。
「……本当に、愛していると?」
「はい。私は、フランク様を慕っております」
とにかく、ローズマリーにジュリエットをどうにかするような手札は存在しない。
僅かでも機嫌を損ねれば、小指一本掠っただけで絶命必死。ならば、武力が介入する余地の無い正攻法も正攻法……暴力の届かない領域、愛の力に賭けるしか無かった。
そう、フランク――の後ろにある地位と権力への愛に。
「なるほど……決心は固いようですわね」
普通にこの状況で愛を語っても、身の程知らずの脳みそお花畑としか思われないだろう。
だが、この言葉は他でも無いジュリエット・アームストロングを前に、しかも彼女の婚約者に対しての発言なのだ。
そこに、観衆は深い愛を感じた。今世で叶わぬのならば、せめてあの世で結ばれよう……的なあれを感じ取ったのである。
愛の証明は、百の言葉よりも一の行動。百の行動よりも唯一無二の筋肉なのである。
「……フランク様? 彼女はこのように覚悟を示しましたが、貴方はどうなのですか?」
ジュリエットはあくまでも冷静に、自らの婚約者に語りかける。
先ほどローズマリーが必死に耐えた眼光が向けられ、膝を突いて胸を押さえてはいるが、何とか一命は取り留めたらしい。
「私とフランク様との婚約は、互いの家の合意によるもの。まさか、それを貴方の一存で覆せるとは、思っておりませんわよね……?」
ジュリエットの言葉は、風貌に見合わず至極常識的なものであった。
ローズマリーもそう思ったから事前にあのような工作を行ったのだが、さてどうするのかと王太子を見つめる。正直なところ、既にローズマリーに必勝の策は無いので、後はこの王太子にかかっているのだ。いざとなったとき、逃亡するための囮込みで。
すると――フランク王太子は、何故か恐怖に引きつったままにやりと笑うのだった。
「あ、ああ! そういえばそうだった! こ、こんなことをすれば私の地位も怪しいなぁー。これは廃嫡されてしまうな! となれば、もう公爵令嬢であるジュリエットと婚約を続けることはできないな! ほら、こんな大問題起こしたわけだし!」
王太子は、事前に暗記してきたかのような棒読みで、とにかく早口に台詞を言い切った。
恐ろしいほどにあっさりと自分の非を認め、その末路まで受け入れている、ある意味殊勝な言葉を。
もちろん、それを素直に受け止める馬鹿はいない。
(こ、この男……最初からこの筋肉魔神との婚約解消が本命だったのね!?)
ローズマリーは確信した。まだほとんど何も仕掛けていない段階から超スピードで陥落した守備力の低さ、仮にも次期国王として教育を受けているにも関わらず公衆の面前で婚約破棄宣言などという常識の無い行動。それらの真意は、婚約破棄、それも今の地位の全てを捨ててでも婚約者を捨てたい、あるいは捨てられたいという捨て身の作戦だったということを。
(本人に嫌いだから別れてなんて言葉が通用する身分では無いから、私を用意したのね!? 相手が嫌いだからなんて言っても『政略結婚なんてそんなもの』でお終いであることを理解し、婚約関係を強引に破壊できるほどの非礼を重ねる――それが真の目的!)
ローズマリーは、恐ろしいほどチョロい男だと見下していた評価を内心で改める。
考えてみれば、突貫工事で捏造したローズマリー襲撃事件。あれも、このジュリエットの存在を知っている王太子ならばその裏に気がつかないはずがない。
恐らくは、真実を知った上での強行。まさか地位も名誉も、場合によっては命すら失いかねない計画を実行に移すとは、目的が全力で後ろ向きだが確かに王としての教育を受けてきた胆力の持ち主であるとローズマリーはフランクのプロファイルを修正するのだった。
そう、フランク王太子には、そこまでする理由があるのだ。
婚約者が怖すぎる、という深刻な理由が。
(クッ……! オーラだけで心臓止まりそうになる相手が隣に座っている生活を送るくらいなら、ここで殺された方がマシだ! 俺を生け贄にした親父も兄弟もついでに皆死んじまえ!)
フランク王太子は、世界を呪って筋肉神の審判を待った。後は、ジュリエットがどうするかだけなのだ。
……そもそも、フランクとジュリエットの婚約が結ばれたのは、十年以上も前のこと。まだお互いに物心ついたばかりの幼児であったころだ。
その当時は、ジュリエットも普通の子供であった。令嬢らしく華奢で、今の面影など欠片もない、未来の王妃に選ばれるだけの器量を持った普通の令嬢だったのだ。
それが変わったのは、とある日にフランクが格好をつけて『騎士団を見せてやるよ!』とジュリエットを誘ったときからだった。
その当時のフランクは、婚約者に自分の凄さを自慢する程度の気持ちだった。将来は自分の剣となる騎士団を見せつけ、王様は凄いだろうと自慢したいだけだったのだ。
しかし、ジュリエットの視点は一味違った。
(……美しき、筋肉)
ジュリエットはフランクの想像を遙かに超えて騎士団に夢中になってしまった。
まだ幼いという理由で、アームストロング家の人間であっても訓練を開始していなかった影響も大きいだろう。元々屈強な父に強い憧れを持っていたジュリエットは、騎士団を見ることで更に筋肉への憧れを増してしまった。今はぷにぷにの自分の身体を、いずれはあの領域へ、そしてその先へと向かわせてみせるのだと。
それ以来、寝ても覚めても筋肉筋肉。男の価値は顔でも地位でも財産でもなく筋肉のみ。自分の価値もおしゃれだの美貌だの知恵だのではなく筋肉なのだ。
いつしか筋肉の躍動を感じられないと眠ることすらできなくなっていったジュリエットは、訓練解禁以来ひたすら自らの肉体をイジメ続けた。
だが、ジュリエットは行き詰まった。このままでは理想の筋肉を作れない……限界に達しても人類最高峰の筋肉になるだけで、人間の範囲で収まるレベルにしか到達しないと、自分の限界に挫折したのだ。
そんなとき、ジュリエットは奇跡の出会いを果たした。偶々通りかかった元騎士を名乗る旅人の、筋肉評論家として既に一流の領域に立っていたジュリエットの眼からして『至高』の一言である美と実用性を兼ね備えた筋肉に出会い、弟子入り志願してしまったのだ。
その旅人は戸惑ったらしいが『ちょっと異次元に嫁との家族旅行に来ただけだからあんまり時間取れないよ?』とよくわからないことを言いながらも指導してくれたらしい。
婚約者であるフランク・シュワルツとその旅人の家名が似ていたなどの縁もあってすっかり懐いたジュリエットは、旅人の『嫁は嫁で優秀な子供を見つけたからちょっと仕込むって言うから時間ができた』と言って、更に念入りな指導をしてくれた。
その結果――ジュリエットは、人間の限界を超えた。既に旅立ってしまった師の領域には届かずとも、父も騎士も遙かに超えた世界最大最強の筋力を手にしたのだ。
それで困ったのは、フランクである。
(え? なにこの化け物? 人間? コンヤクってなんだっけ?)
最近までちょっとがたいのイイ令嬢であった婚約者が、しばらく見ないうちに筋肉の怪物になっていたのだ。
こんなの嫌だと父王に訴えるも『今や彼女の武力は我が国に無くてはならないもの。何としてでも婚姻を行い生涯我が国に仕えさせるのだ!』と息子を怪物の嫁……ではなく婿として差し出す決定をしたのだ。気分は生け贄の乙女である。
何せ、その時点でジュリエットの戦闘力は万の軍勢にすら匹敵すると恐れられており、大国から見れば吹けば消えるような小国において、唯一無二の絶対的な戦力だったのである。そんなのがもし他国に渡れば国の終焉……何としてもジュリエットを国に留めようとするのは、王として当然の判断だろう。
(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬあんな威圧感に四六時中晒されたら心が死ぬ。心臓止まる)
だが、そんな理屈で心の平穏を捨てられないその後のフランクの人生は、あの手この手で婚約解消を行うことに費やされた。
婚約破棄への道を少しでも開拓するための知識を求めて勉学に励み、筋圧に少しでも対抗できるよう身体を鍛え、知略を巡らせるため汚い手段にも精通した。
そうやって、いつの間にか理想的な未来の王への道を歩みつつ、王子なのに『フランクに手を出すと武神に祟られる』と縁を持てるような高位貴族の令嬢から全力で避けられる毎日。関わりたくないと同性からも避けられる始末。
そりゃ現状から抜け出したいと思うだろう。
だが、もし罪を犯して自らを貶めるなんてことをしようものならば、いっそこの手で罪を精算してやろうとジュリエットの手により挽肉にされるのは明白。何とかして、罪人扱いするほどでは無いが婚約を続けることもできないラインを探す毎日だったのだ。
最終的に、国法を頭に叩き込んだ末、罪と罰のバランスを考えて何とか浮気で自分有責の婚約破棄をできないかと画策することになった。
しかし、高位貴族は筋肉帝王を知っているためそんな自殺に付き合うものはおらず、無敵筋肉要塞を知らない下位の貴族令嬢は王太子という身分を前に頭を下げるばかりでそこまで踏み込んでこない。
学び舎卒業と共に正式な婚姻が決まっていたフランクは、逃げても絶対に捕まること承知の上で逃げるかと自暴自棄になっていた。このままでは、毎日あの筋肉オーラに心臓を蝕まれる生活が始まってしまうと。
そんな時だ、上位貴族達の秘密――精神衛生上の理由で関わりたくない的な意味で――であるジュリエットの存在を知らない下位の令嬢でありながら、王太子であるフランクを相手に野心を燃やせる気骨ある救世主、美と智に優れるローズマリーが現れたのは。
「この件はすぐに父上に報告しよう! ああ、私は王太子失格の愚か者だとこの場の全ての貴族達が証明してしまうだろうから、きっと私は廃嫡だろうな!」
ローズマリーという口実を手に入れたフランクは、突っ走った。王子として絶対にあり得ないくらいの、色ボケ王子の汚名を確固たるものにするべくローズマリーに傾倒し、絶対に許されないため国庫の金にも手を付けた。そして、擁護できるような一分の隙も無くなるよう、失態を可能な限り大勢に見せた。途中からローズマリーの技に割と本気で魅了されていたのも事実なので、どんな弁護人が現れてもフランクの擁護などできまい。
もはや、言い訳などできるはずがない。ここまでやって王太子の身分が守れるはずが無いし、王太子で無いのならばジュリエットの婚約者としては不適格だ。
腹いせにジュリエットに殺されるのならば、その時はその時。天命であったと諦め、その時は自分を生け贄にした父王もついでに殺してくれないかと祈るばかりである。
そんな計略が、ここに完成したのだ。
……こうして、希代の悪女ローズマリーと、捨て身の王太子フランクの計略は最終局面を迎える。
残された最後のステップは、筋肉神の審判を残すのみ、である――
「……お話は、わかりました。では、一つだけ」
ゴクリと息を呑む音が聞こえてきた。
それが自分の物なのか、それとも隣のものなのか、はたまた観衆の者なのか。それはフランクにもローズマリーにもわからなかった。
「フランク様。……貴方には、筋肉が足りない!」
……は?
筋肉を誇張するマッスルポージングと共に放たれた言葉に、それ以外の感想を持てるものはいなかった。
いなかったが……この一言が自分の運命を決定したことを、フランクはまだ知らない……。
筋肉 is 最強
知力政治力魅力? 最後に物をいうのは筋力よ。
ごめんなさい、これがやりたかっただけです。