月と海
シンシアと博士は、パーズの屋上展望台にいた。
初夏の涼しい海風が、太平洋からそよそよと吹いている夜のことだ。
まだ光が灯るサンディエゴの街全体を、満月の光が、さらに明るくしていた。
港に停泊中の研究機関パーズからも、レイアの入院している病院が見える。まだポツポツと明かりの点いている病院の真上に、満月が明るく輝いている。
2人は手すりにもたれ、街を眺めている。満月は、2人を照らし、2人の後ろに影を作っていた。
「もうすぐだな。もうすぐ、シンシアもお姉ちゃんだぞ」
博士が遠くを見つめながら、声を出す。
シンシアは、手すりでブラブラと遊んでいる。
「うーん。そうだね」
シンシアはうなずく。
「シンシアが産まれた時は、すごかったもんなぁ。あれから4年かぁ。色々と落ち着いてはきたけど。結局、原因も何もわかっていないからね」
博士は、言う。
シンシアが産まれてからもう4年以上が経つ。
シンシアが産まれた時は、海から生物がいなくなった騒動の真っ只中だった。食料の問題、漁業の問題など、海と海の生物に関する現場はもちろん、至る所で大きな混乱が生じていた。
「そんな混乱の最中だったからだよ。どんな時にでも『月』のように、いつもそばにいてほしいと言う理由で、『シンシア』という名前をつけたんだよ」
博士は、シンシアに笑いかける。
シンシアは、まだ手すりにぶら下がっている。
「そしてさ、海に月と書いて『海月』でしょ。僕が、クラゲを一番に作りたかった、もう一つの理由がこれだよ」
博士の言葉に、シンシアは、博士の方に顔を向ける。
博士の横顔は、満月に照らされて、明るい。
「そうだったんだ。まぁ、混乱の最中にわたしが生まれたのは、当たり前なんだけどね。わたしのせいで、海の生物がみんないなくなっちゃったからね」
シンシアが言う。シンシアは、もの哀しそうな顔で、少しうつむいた。
「いやいや、海の生物がいなくなったのはシンシアのせいではないよ。まぁ、とりあえず、第一目標のクラゲも作ったし。シンシアのおかげで、魚も作れたし。ちょっとずつ。ちょっとずつ。海を元どおりにしていこうよ」
「でも、わたしがなんで消失したか。原因は、早く知りたい」
シンシアは、立ち上がり、博士をぐっと見つめる。
悔しさを堪えるように、ぎゅっと右手を握りしめた。
「それも、ちょっとずつ明らかにしていこうよ。研究と同じで、焦ってもいい結果は出ないよ。ゆっくりいこう」
博士は、しゃがみ、シンシアの頭の上に手を置く。すっと頭を滑らし、そのまま、シンシアに抱きつく。
「本当に、すまないな。わたしが海神ポセイドンから転生したばかりに迷惑をかけてしまって」
シンシアは小声で、呟いた。その小さな声は、博士の耳に入ってゆく。シンシアの口と博士の耳は、触れんばかりに近い。
シンシアの目の先には、満月が輝いている。
「いや、娘と二人で旅行ができるのは、父親としての最大の喜びさ。ニュージーランド旅行、楽しかったよ。それに、シンガポールで、シンシアが誘拐された時があっただろ。あの時、シンシアが海神ポセイドンだったからこそ、今、こうやって無事に生きていてくれるんだと思うと、海神ポセイドンの力を持っていてくれてよかったと思うよ」
博士は、シンシアの目を見て笑いかける。シンシアの目には満月が映っている。夜になり青さがわからなくなった青目に、黄色の丸が浮かんでいた。
「はは。そう言ってもらえると嬉しいよ」
シンシアは、照れ笑いを浮かべ、海の方に歩き出す。
屋上展望台は360度の方向が見渡せるのだ。反対側の方に行けば、海が見渡せる。
「ねぇ、わたしが、『月』だったら、次の赤ん坊の名前はどうなるの?」
シンシアが海の方に顔を向けたまま、言う。
「まだ、悩んでいるよ、赤ん坊になんて名前をつけるかは」
博士は、立ち上がった。博士の目の前には、満月によってできた影が、床の上に、長く、伸びていた。
「男の子なの? それとも、女の子?」
と、シンシアは聞く。
「まだ、わからないよ。産まれてからの楽しみだ。どちらにしろ、シンシアはお姉ちゃんになるんだよ」
現在の技術では、産まれる前に性別はわかる。しかし、産まれてからの楽しみのために、医者には聞かないでいた。
2人は、しばらく屋上展望台の上を散歩した。
月が照らす、明るい屋上展望台を、2人占めしていた。
海は静かで、何もない。波の音だけがこだましていた。満月が海に落とすパーズの影だけが、海に模様を作っていた。
同じ頃、レイアも病院の病室から、海を眺めていた。
大きくなったお腹を優しくさすりながら。
ついに明日、2人目が生まれます。ぜひブクマをしてお待ちください。




