研究機関パーズ
研究機関『パーズ(PRDs)』は船である。
全長300メートル、全幅25メートルの大型船だ。
二十余りの研究室で構成されている。
大城戸博士はそのうちの一つの研究室を運営する教授である。大城戸研究室の助教は博士の妻の大城戸レイアであり、大城戸研究室には他にポスドク研究員と技術補佐員が一人ずついる。構成員4人の小さな研究室である。
大城戸研究室の居室。
「えいっ」
シンシアは、手のひらより少し大きなボールを、力一杯投げた。
ピンク色のリボンで結んだポニーテールが、ふわっとシンシアの頭上に浮かぶ。ボールはよろよろと飛び、二メートル先の床に落ちた。
さーべるちゃんはシンシアの周りを、くるっと一周し、ボールに向かって走り出す。ピョイピョイと軽快に走っていき、ボールを咥える。緑色のゴムボールが、うにっとへこんだ。
尻尾を振りながらシンシアの元に戻って来たさーべるちゃんは、咥えていたボールをシンシアに渡す。そして、シンシアはそれをまた投げる。
シンシアの遊び場は研究室の居室の一角である。
机が並ぶ研究室の居室の奥に、シンシアとさーべるちゃんが遊ぶための場所が設けてある。畳が四畳敷かれた和風のスペースだ。シンシアとさーべるちゃんはいつもここで遊んでいるのだ。畳の上を元気に、裸足で駆け回っている。
「お腹すいたねぇ、さーべるちゃん。パパとママのところに行こうか」
ボールを咥えて戻って来たさーべるちゃんの口からゴムボールを受け取り、左手でさーべるちゃんの頭を撫でる。
「バウ」とさーべるちゃんが吠える。嬉しそうに尻尾を大きく揺らす。
大城戸研究室の実験室内には大きな水槽がある。
4年前に全ての海洋生物が消失してしまった時、世界中の研究者はこぞって海洋生物を作る研究を開始した。この4年の間に、構造が比較的簡単な一部の藻類やプランクトンが作製された。
大城戸博士も、研究の傍に、陸上にある植物をゲノム編集し、海水中で育つ植物を独自に作り出した。
それを研究室の水槽の中で育てているのだ。博士が作製したのは海中でも育つチューリップとヒヤシンスである。もともと水耕栽培が可能であった球根の種類だったので、海水耐性を持たせるだけで比較的簡単に海中栽培が可能になった。
「ねぇ、パパぁ。お腹すいたぁ」」
シンシアは博士の背中に飛びつく。博士は実験室の実験机の前で実験中である。右手にピペットマンを持ち、左手の遠心チューブに液体を入れるところであった。
「おおっと、シンシア。もう少しで終わるからちょっと待ってね」
博士はシンシアを背中に乗せたまま作業を続ける。
「パパァ。何しているの?」
シンシアは、博士の背中に乗りながら、宙に浮いた両足をバタバタさせる。
「んーとね、今度は新しい動物でも作ろうと思ってね。今、クラゲを作ろうとしているんだ」
博士は背中に乗っかっているシンシアをもう少し上に持ち上げて、そのまま立ち上がった。シンシアをおんぶしたまま、右に移動し、遠心チューブを遠心機にセットした。
大城戸博士は今、動物の人工合成に取り組んでいる。
全ての海洋生物は消失してしまったが、ゲノム情報などのデータベース上の情報は残っている。博士は人工的に合成したDNAをつなぎ合わせてベニクラゲの全長ゲノムDNAを作製しているのである。
「そうなの、すごいねぇ。動物まで作れちゃうんだパパは。わたしが作った生物たちはみーんな、わたしと一緒に消えちゃったけど、同じものを作れるなんて。わたしと同じ力を手に入れているんだ。本当にすごいねぇ」
シンシアは博士の背中から、博士の顔を覗き込む。
「あはは。まぁ、僕は、陸の動物を改造しているだけだからね。何もないゼロから作り出したシンシアの方がすごいよ。ははは」
博士は右手を頭の後ろに回し、シンシアの頭を撫でる。
シンシアがポセイドンの生まれ変わりであることも、ポセイドンと一緒に全ての海洋生物が消失してしまったことも、シンシアから聞かされている。シンシアは海洋生物を作り出す能力を失ってしまったと言っているため、その事実確認はできない。しかし一方で、シンシアの海水を操る能力は科学的に説明できないため、シンシアが海神ポセイドンであったと信じざるを得ない。
「よし、これで終わり。ママのところに行こうか」
博士は、遠心チューブを冷凍庫にしまった。