マングローブ林
マングローブ林が育っている。
真っ青に広がる海に、緑色が混じる。
マングローブの木々に当たる波は、バサバサと白い潮をあげている。
汽水域の生物は、海神ポセイドンと女神ガイアの合作である。ポセイドンが消失しても、植物が残っている海域もあるのだ。植物が生い茂ってはいるが、周りを泳いでいる生物はおらず、静かだ。
博士たち一行を乗せた研究船パーズは、シンガポールを出航し、ジャワ海を進行中だ。インドネシアの島々の間を抜けて、オーストラリアに向かう予定である。
インドネシアの島々には、マングローブ林が存在していた。
シンシアは、パーズの甲板からマングローブ林を眺めていた。
遮るもののない日差しは、シンシアとさーべるちゃんに、照りつける。シンシアは、髪を左右二つに結んで、ツインテールをしていた。髪を結ぶ緑色のリボンが、青々としている。
「わぁー、さーべるちゃん、見て。海の上に森があるんだよ。すごいでしょー。昔ね、わたしと、ガイアちゃんとで一緒に作ったんだよー。ガイアちゃんがちゃんと生きていてくれるから、あの森は無事なんだね」
シンシアは、さーべるちゃんの横にしゃがみ、遠くに見える森を指差す。
「バウ」
と、さーべるちゃんは吠える。
「そう、きっと彼女は無事なんだろうね。わたしにだけ、何かが起きたんだろうね」
シンシアは、憂いを帯びた青い目で、遠くの森を見つめていた。
海神ポセイドンが消失した理由は、自身でもわからない。
ただ、気がついたら消失していた。
最後の力を振り絞り、転生先を探し出した。
海洋生物学の研究者なら、自分が消失した原因を探すための手助けになると考え、大城戸博士の子どもとして、人間に転生した。しかし、すでに4年経つが、何も手がかりはない。
「まぁ、悩んでいたって仕方ない。よーし、さーべるちゃん、今日は、何して遊ぼっか?」
シンシアは立ち上がり、両手を大きくあげる。後ろに結んだツインテールが、バサッと宙を舞う。短いスカートも、ハラリと風になびく。
「バウ」
と、さーべるちゃんは吠えた。透き通った真っ黒な目で、シンシアを見つめる。
研究室では、博士はガラスビーカーを眺めていた。
先日、エビとベニクラゲを人工的に交配させたのだ。
と、言っても、細胞核を移植する作業が必要であった。数十回も細胞核移植操作をおこない、かなりの数の個体を作った。しかし、そのほとんどが失敗に終わっていた。
ビーカーの中には、一匹だけ、うまく発生している個体がいた。
その個体は、ゼリー状の透明な体をしたエビだった。まだ体長1cmほどの小ささであったが、エビのように足を持っており、懸命に足を動かし、ガラスビーカーの中を泳いでいる。
「ほう、可愛らしいな。シンシアにも見せてやろうか」
博士は口元に、大きく笑みを浮かべる。
博士が甲板に出ると、涼しい風が吹いた。
一瞬の爽やかさに心を癒されたが、目に突き刺さる日差しが、博士を現実に引き戻す。
博士は、目を細めた。
視線の先では、シンシアとさーべるちゃんが仲良く遊んでいる。追いかけっこでもしているのであろう。
「おーい、シンシア。さーべるちゃん。いいものができたんだよ」
博士は、右手に持っていたガラスビーカーを、大きく掲げる。
「あ、パパぁ」とシンシアは、博士の姿に気がつく。
「バウ」と、さーべるちゃんも吠える。
博士は、エビクラゲをシンシアに見せた。
「ヘーぇ、可愛いねぇ。パパが自分で作ったの?」
シンシアは、目をパチクリさせて、ガラスビーカーを覗く。
「そうだよ、エビとベニクラゲを合成したんだ。名付けて、エビクラゲってところかなぁ」
博士は、自身満々に答える。
「パパはすごいねぇ。ねぇ、さーべるちゃんもそう思うよね。」
さーべるちゃんは、「バウ」と吠えながら、ガラスビーカーの中のエビクラゲを眺めた。ガラスビーカーの中で、透明なエビクラゲが、太陽の光を、キラキラと反射する。
「あっ。遠くに見えるのは、マングローブ林だね。残っているんだね」
博士は、船の後ろに消え去っていくマングローブ林に気がついた。真っ青な海に緑の木々が沈みかけている。
「うん。ガイアちゃんとの合作だからね」
シンシアは頷く。目は、マングローブ林を見つめている。それは、少しずつ、遠くに消えていった。
「これもね、たくさん増やせれば、マングローブ林に放流したいんだけどね」
博士は、右手に持ったガラスビーカーを覗き込んだ。
その中では、エビクラゲが一匹、高速で足を動かし、泳いでいた。