変態という名の超英雄
うートイレトイレと、出来れば無人で、近くに監視カメラの無いトイレを探している僕は、都内のIT系ブラック企業に勤める営業職、いわゆる企業戦士ってやつだ。
ちょっと普通と違うのは、異世界から来た魔法使いって所かな、魔法使いといっても三十路童貞のことじゃない。この世の真理を探求し、森羅万象を操る本物の魔法使いだ。
ちょっとした古代遺跡の誤作動で、こことは違う異世界ジ・アースから、この日本へ飛ばされて来たんだ。
だが、そんなことは今はどうでもいい。
やっと見つけた公園の片隅のトイレ、もちろん無人で監視カメラも無さそうだ。僕は一目散にトイレに入ると、個室の中へと駆け込んだ。
良かった洋式だ。
僕はカバンをドアのフックにかけると、トイレの蓋を閉じ、おもむろに服を脱ぐと、蓋の上に置いていく。
スーツの下からは、逆三角形の筋肉美が飛び出した。
やってることは変態的だが、決して変態ではない。これには理由がある。
僕はパンツ一丁になると、カバンから衣装を取り出して、それに着替えていく。
アラミド繊維とやらで出来た白タイツの上下に赤い手袋、赤いブーメランパンツ、赤いマントを背に纏い、胸に輝く日輪に、白く切り抜かれたTの文字、頭にはビームでも放てそうな特殊ゴーグルを被る。こいつには顔を隠す意味もあるが、撮影や通信が出来る魔道具が組み込まれていて、非常に高価な品らしい。
傍目で見たら変態だが、あえて言うなら変態という名の超英雄だ。
そう僕は、趣味と実益を兼ねて人助けに勤しむ超能力系ユーチュバー超英雄チューバーマンだ!
と、忘れていた。
「【染色】」
最後に僕は、頭と足元へ向けて指を鳴らす。魔法の効果により、髪の毛は金髪に、履いていた靴は真っ赤に染まった。
「オッケーゴーグル」
音声認識によりゴーグル内の人工精霊が起動する。
こちらの機械に慣れていない僕にとって、音声で操作できるのはありがたい。
技術体系が違うとはいえ、異世界の技術も侮れない。中々高性能の人工精霊を創り上げるものだ。
「キミキミに通信」
人工精霊が相棒に電話を掛ける。
このゴーグルを使う場合、いつ撮影が始まってもいいように、お互いにコールサインを使い、言葉遣いにも気を遣うのがお約束だ。
トゥルルル……と、コールが鳴っている間に、さっきまで着ていた服をカバンの中へ詰め込み、マントの下に隠すように背負う。バックパックとしても使える2WAYのカバンである。
『モーニン?マグナム……』
8コール目辺りでやっと繋がった相棒は、眠そうな声で電話に出た。
マグナムとは、僕のコールサインである。
「ハロー、キミキミ。もう夕方に近いぞ、それよりも火災現場に遭遇した。
位置情報はモニター出来るな?
すでに火の手が上がっているが、消防はまだだ。
関係各所への連絡と、放送の準備を頼む」
『!オッケー、マグナム。四〇秒で支度するわ』
通信が切れると、僕はマントを翻し、威風堂々とトイレから歩み出る。
超英雄たる者、どんな時でも胸を張っておかねばならん。らしい。
特に最近はどこにいても他人の目を気にする必要があるとか……。エスエヌエスとか言われても、よくわからんです。
トイレを出て数歩、広い場所に出ると、僕は魔法を唱える。もちろん呪文は異世界で古代魔法語と呼ばれている言語なので、こちらの世界の住人には何を言っているか判らないだろう。
「風よ翼となりて疾く駆けよ【高速飛行】」
体がふわりと浮き上がり、上昇しつつ火災現場目指して急加速する。正確に測ったことはないが、最高速度になれば300~400kmは出る飛行魔法だ。
煙を頼りに10秒ほどで現場上空へと到達すると、ゆっくりと周囲を旋回しつつ、続いての魔法は、
「【生命探査】」
【生命探査】は生物用の広域探査魔法だ、自分を中心とした範囲内に生物いれば、方向が感じ取れる。反応の強さは距離や生命力の強さで変わるので、使いこなすには若干の慣れが必要だが、今の様に移動しながら使えば正確な位置を割り出せる。
火災が起きている建物の2階に、大小二つの反応が並んでいるのが判った。まだ生きていることは確かだが、動く様子はない。
僕は近くのマンションの屋上に降りると、相棒へ連絡を入れた。
「オッケーゴーグル。キミキミにテレビ通信」
今度はワンコールも待たずに、すぐに通信が繋がった。
「ハロー、マグナム。状況は?」
ゴーグルの片隅に、黄色いお面に白衣を着た相棒の姿が映る。
目玉焼きを模した放送時のコスプレ?って奴だ。茶色の長い髪がぼさぼさだが、身だしなみが面倒というわけではない。たぶん、きっと。
「ハロー、キミキミ。映像は届いているな?火災現場の近くのビルから見下ろしている。
被災した建物の2階に要救助者がおそらく2名、窓からは見えないが、動きがない、倒れているのかもしれない。
それから、まだ消防も警察も着いていない様だ。そろそろ帰省ラッシュの時間だから、巻き込まれて遅れているのかもな」
ゴーグルはテレビ通信にすることで、見聞きしている映像をキミキミへ伝達しているはずである。事件に遭遇した場合はそのままライブ放送に突入だ。
『それを言うなら帰宅ラッシュ……。オッケー、マグナム。突入していいか確認するわ、準備をしておいて』
通信をつなげたまま、キミキミは別の電話をかけ始めた。
というわけで、火災現場に飛び込むのにふさわしい魔法を使っておこう。持続時間の長いものだけだが。
「水よ無限の息吹となれ【水中呼吸】」
「火よ焔の楯となれ【火除け】」
【水中呼吸】は水中と銘打っておきながら、毒煙の中や、おそらく真空中でも呼吸が可能になる有効範囲の広い魔法だ。
そして【火除け】を使えば、たいまつの炎程度なら掴んでも平気な程度の火耐性が得られる。身に着けている衣服にも効果のある優れものだ。
どこぞの飲んだくれ種族の様に、燃えている鉄を掴めるほどではないが、住宅火災程度なら問題ない。
『ハロー、マグナム。放送を開始するけど、準備はいいかしら』
「オッケー、キミキミ。こちらは準備完了だ」
『じゃあ行くわよ、いつも通り説明と挨拶はアドリブでお願い。
3、2、1、キュー』
「ハロー、皆さん。正義の味方チューバーマンです。
チャンネルチューバーマンの緊急生放送を開始します。
初めての人に自己紹介すると、私の名前は超英雄チューバーマン、人助けが趣味の変態だ」
「映像で確認できるだろうか?いつものパトロール中に、住宅火災に遭遇した。
チューバーマンの超感覚によれば、住宅内に二名の要救助者が取り残されているようだ。
現在、関係各所へ連絡し、突入の許可を待っている」
いつもの挨拶と状況説明が終わった所で、タイミングよくキミキミからの指示が入る。
『ハロー、マグナム。許可が下りたわ。
第一目標、人命救助、
第二目標、火災の鎮圧を指示します。
作戦開始』
「オッケー、キミキミ。状況を開始する」
僕はビルの淵に足をかけて火災現場を眼下に捕える。状況的にさほど変化があるようには思えない。
「さて皆さん。キミキミ指令から許可が下りた。
今から眼下の住宅に突入を開始する。
ジェットコースターよりスリルは無いが、高所恐怖症の人は、目をつぶることをお勧めするよ」
【高速飛行】はとっくに切れていたため、心の中で【飛行】の魔法を発動させる。
撮影中は、魔法使いと悟られないように、魔法の発動は無詠唱で行うようにしている。
無詠唱の場合、消費魔力が増えたり、効果が弱くなったりするのだが、問題ない。
もちろん、ある程度の熟練者でなければ無詠唱で魔法を唱えることは出来ないが。
「それでは、チューバーマン、ゴー!」
僕はビルの上からひょいっと飛び降りると、姿勢を制御し、頭から真っ逆さまに落ちていく。
地表まで3メートルといったところで急減速、サービスの横捻り一回転を加えて2階のベランダへと降り立つ。
「さて、失礼する」
ガラス戸に手をかけ、力を入れてみるが、開かない。
「ロックされているね、非常時ゆえぶち破る」
『このチューバーマンは訓練されています。
一般の方は真似しないでください。
また、非常時以外は犯罪です』
主にTPO的に必要がある場面では、キミキミがナレーションやテロップを入れてくれる。
僕は右手袋に【硬質化】をかける。
こいつは物体を硬くする魔法で、普通の布でも鋼鉄で出来たチェインメイルみたいにカチカチさ。
もちろん布に使うと、柔軟さが失われて動きづらくなるので注意が必要だ。必要最低限の部位にしか使わないようにコントロールしたほうが良いだろう。
僕は続けて、正拳突きの構えを取る。
「こう見えてもカラテマスターを目指して、週二で道場に通っているんだ。
セイッ!」
ゴンッ!
と、計測器で150kgを出したこともある鉄拳は、無慈悲にはじかれた。
幸い【硬質化】のおかげで、手の方は無事である。
「防犯ガラスか、良いガラスを入れてるね。
防犯意識が高いのは結構なことだ」
コンコンとガラスをノックしながら、解説じみたつぶやきをする。
決してガラスをぶち破れなかったことが、恥ずかしかったからではない。
防犯ガラスというのは、特殊樹脂を板ガラスで挟み込んだ逸品で、鋼鉄製のハンマーでブン殴っても、何十回も殴らないと穴が開かないという、とても強靭なガラスである。
現に正拳の一撃で軽いヒビは入ったが、破れそうな様子はない。
「だが、こんな時は邪魔だね。
急いでいる。少し本気を出すとしよう」
コオオオオと、息吹で呼吸を整え、先程よりゆっくりと正拳突きを構えなおす。
『これは出るか、チューバーマン四十八の必殺技の一つ』
僕は心の中で【魔力鎧】を右手限定に発動し、続けて【瞬間剛力】を重ね掛けする。
【魔力鎧】により右手の周囲に魔力が集まり、魔法の鎧を形成していく。これは強度が強くなるほど輝きが増していく、文字通り魔力で出来た鎧だ。一点に集中すれば、グレートソードの一撃にだって耐えれるほどの強度が出るだろう。
【瞬間剛力】は、一瞬だが鬼神のごとき腕力を得られる魔法である。だが、肉体の強度が変わるわけではないので、そのまま殴れば手の方もぶっ壊れてしまう。
【魔力鎧】を使うのは、殴った反動から手を守るためである。
そして、超英雄の心得その一、必殺技は掛け声とともに放つべし。
「シャイニング・ナッコゥ!!」
ズドンと一撃!
魔力光の残像を残し、正拳が防犯ガラスを貫いた。
ガラス内の樹脂が手にまとわりつくが、ガラス戸のロックを解除し扉を開ける。
とたんに室内から煙が溢れて来る。ゴーグルはある程度密閉されているので、目に染みることはない。
「失礼する」
ひと声かけて、土足で上がり込む。非常時故致し方なし。
元いた国では土足が普通だったので、戸惑いは無い。逆に、未だに玄関で靴を脱ぎ忘れることがある。特にバリアフリーの場合とか……。ハハハ。
侵入した部屋は子供部屋の様だ、人影は無い。そのまま廊下へ出ると辺りは煙で充満し、視界が遮られるほどだった。
僕は【生命探査】を発動し、反応のある方へ急ぐ。
下り階段の手前に、女性と子供が倒れていた。
僕は慌てて駆け寄り声をかけてみる。
「大丈夫ですか奥さん」
「ゴホッ……助け、ゴホッゴホ……」
子供はぐったりとしているが、女性の方はまだ意識がある。
階段から熱風が上がってくる。2階にいた子供を助けに来たはいいが、熱さのせいで階段を下りることもできず、煙に巻かれ動けなくなったといった所か。
「奥さん、今から脱出します。煙を突っ切りますので、もうしばらく我慢してください」
僕は【怪力】の魔法を発動させて筋力を約二倍に強化すると、二人を持ち上げた。
いや、決してご婦人が重いというわけではない。流石に子供とはいえ合わせて二人分を持ち上るのは不安があり、安全マージンを多めにとったということにしておいてくれ。
侵入経路からそのままベランダに出て、飛び上がる。【飛行】の効果は残っており、目の前の道路にゆっくりと着地した。
「誰か手を貸してください!」
僕は見物人へ向けて声をかける。
この後は火を消す必要があり、二人を介抱する時間はない。
「はるちゃん!ゆうちゃん!」
遠巻きに様子をうかがっていた見物人から、一人のご婦人が駆け寄って来てくれた。
近所のおばちゃんかあるいは親族か、どうやら知り合いの様である。
東京の人間は冷たいと言うが、近所付き合いはやっておくもんである。
「すみませんご婦人、だいぶ煙を吸っているようです。救急車が来たら乗せてあげて下さい。
私は消火活動に当たりますので」
「は、はい」
ご婦人には、強い戸惑いの色が見えるが、いつものことである。
「ハロー、キミキミ。要救助者二名の救出が完了した。これより消火活動に移行する」
『オッケー、マグナム。作戦を継続せよ』
僕は立ち上がるとキミキミに一報を入れて、再び空へと飛びあがる。
表に回ると、出火元の部屋だろう。炎が噴き出している窓と、窓めがけ放水を行っているホース持ちの方が一人。法被を着ているため消防団か?自警団の方が到着し、消火活動を開始している様だ。
僕は放水している人の隣に降りて話しかける。
「ちょっとよろしいですか、ご主人」
「は?」
消防団の方は、突然降って沸いた全身白タイツのムキムキマッチョに驚いたのか、明後日の方向に水を飛ばしながらかたまってしまった。
「私は超英雄チューバーマン、人助けが趣味の変態です」
パワーワードにより、発言内容に説得力を持たせるテクニック、考えたのはキミキミだ。
消防団の方はしばし茫然としていたが、すぐに復活すると、ホースを構え直し、放水を再開し始める。
「見ての通り今は忙しいんだ、遊びならよそでやれ」
「そう、問題のあの火災だが、消してもいいかね?」
炎が噴き出している窓を、二本の指で示し確認を取る。
「素人が手を出すんじゃない!第一そんなこと出来るのか!?」
「出来る出来ないかではなく、やるか、やらないかだ」
「何とかできるのなら、とっととやりやがれってんだ!」
「任せてくれ」
僕の筋肉の様にキレッキレである。おちょくっているわけではないが、プロ相手に言質は取った。お互いに邪魔にならないように二歩ほど離れる。
「セイ!ヤア!ハァッ!」
気合い入れも兼ねて、視聴者サービスに軽い演武を行うと、右手を前に突き出して手のひらを上にする。
「お前何やってやがる?邪魔するならどっかいってくれ」
「邪魔をしているわけではないので、少し我慢していてもらおう。なに、十秒もかからんさ」
周囲の空気が炎の勢いに逆らい掌の上に集まっていく。風の渦の中心には氷の球が現れて、ゆっくりと回転しながら大きく成長していく。
【爆裂氷球弾】圧縮空気の弾核を細かな氷で包んだ、要するにフワフワかき氷で作った爆弾だ。
一般住宅の一室程度の火災であれば、この魔法一発で消化が可能だ。もちろん検証の結果である。
この活動を始めたころ、ワンランク上の《吹雪】の魔法を使ったことがあるが、威力が強すぎて家屋に損害を出してしまった。保険が下りないとかなんとか……。キミキミはお詫びにチョコレートをいくつか包んだと言っていたな、確かにあれは美味い。元の世界でもカカオっぽい植物は存在したが、発明されていなかったお菓子だ。今日は買って帰ろう。
異世界の消火活動では、【消火】という効果範囲内の火を消すその物ズバリな魔法も使われるのだが、効果が切れると再発火する可能性があることや、なにより超能力っぽくないので人目のある所では使えない。それに、地味だし。
宣言通り十秒もかからずに、氷の球が西瓜の様に大きくなる。
『これは、チューバーマン四十八の必殺技の一つ』
「ブリザーーード・インパルスッ!!」
僕は掛け声と共に、氷球に両手掌底を叩き込む。掌底を上下に合わせた有名な型だ。
打ち出された氷球は、過たず窓に飛び込むと氷の爆発を起こし、窓からは冷気と氷の粒が粉雪のように吹き出した。
「なんじゃこりゃー!」
消防団の方の絶叫、少なくないやじ馬からは歓声が聞こえてくる。
「初期消火としてはこれで十分でしょう。残り火の始末は任せもよろしいですね、ご主人?」
表面的には火が消えても、火種が内部に残っている場合がある。防ぐには丹念な放水と、現場の調査をする必要がある。そういうのはプロに任せたほうが良い。
「お、おいあんた……」
「これでも勤務中に抜け出してきたもので、すぐに戻らなければならないのですよ」
消防団の方が何か言おうとするのを遮り、言い訳をする。まあ、仕事に戻るかどうかは微妙な時間だが、社会人なら判ってくれるだろう。
遠くからはサイレンの音が聞こえてくる。本音としては、このまま現場にいては国家権力やマスコミに捕まってしまう。特に職務質問は面倒臭い。
「それでは失礼する」
「お、おい! うおおおおお!?」
僕が別れの挨拶をして飛び上がると、消防団の方は魂消たようだ。来た時に空を飛んでいたのは見ていなかったらしい。
僕は上昇しつつ、被災した家屋の反対側に回ってみる。救出した親子は腰を下ろしており、子供の意識も戻っている様だ。あ、子供がこっちに気が付いた。
僕は軽く手を振ってやると、一旦視線を切る為に、近くのマンションの裏へ回り込んでから屋上へと昇った。
そして、火災現場を眼下に収めてから、キミキミへと連絡する。
「ハロー、キミキミ。作戦目標を達成した。次の指示を頼む」
『オッケー、マグナム、作戦目標の完遂を確認したわ。撤収を許可します』
キミキミからは返事と共に手書きのカンペで、『終わりの挨拶、巻きで』との指示が、巻きで行けと言うのは、いつものポージングをするなということである。まあ、あれはカメラに取られていないと意味が無いしな。
「さて皆さん、お別れの時間がやってまいりました。
今回の活動では、チューバーマンと消防団の方の活躍により、被害が最小限に抑えられたと思います。
チャンネルチューバーマンでは今回の様な事件や事故だけでなく、週末に超能力実験などの番組を放送しています。
興味のある方は、この辺りにあるボタンからチャンネル登録をお願いします」
僕は視界の右下に手をかざし、ぐるぐるとなぞる。
「それでは皆さん、次に会うのは出来れば平和的な内容であることを祈って、シーユーネクストタイム。
バイバイ」
僕は二本の指を振り別れの合図とした。
『……はい、カットオオオ、おつかれー』
「お疲れ様」
ねぎらいの言葉もせわしなく、キミキミとの通話が切れる。恐らく週末の放送に乗せるために動画編集を行うのだろう。
「さて、撤収っと、【姿隠し】」
僕は念のため魔法で姿を消してから、空を飛び公園のトイレへと戻る。着替えを済ませ時刻を確認すると十七時半、うちの会社は十八時終業なので、今から会社に戻っていたら確実に定時を過ぎる。
僕は会社携帯を取り出すと、自社の営業部に電話を掛けた。
『お待たせいたしました。株式会社5Wの森田が承ります』
3コールで電話に出たのは、事務員の森田恵さん、だいぶ年下だが先輩にあたる社員さんだ。
「お疲れ様です。営業の大井ですが、チーフいますか?」
『大井クン?お疲れ様、半家主任ね、席にはいないわね、さっきまでいたんだけど……、
スケジュールは在籍になっているから、休憩にでも行ったんじゃないかなー』
上司の呼び出しを頼んだが、いないらしい。うちの会社では定時後に30分の休憩時間という名の残業代が付かない時間帯があるのだが、チーフこと半家主任は、定時少し前から休憩に行き、そのまま一時間近く返ってこないという駄目な休憩の取り方をよくする困った男だった。
「今から会社に戻っても定時を過ぎるので、今日は直帰します。日報は明日の朝提出すると、伝えて欲しいのですが」
『え~あたしが連絡するんですか~』
とたんに不機嫌になる事務員、口頭で伝えたらグチグチ言われるのは間違いないので、誰も会話したくないだろう。
「僕の行先表を退社にして、チーフの机に伝言を貼るだけでいいですから……」
『ところで、会社の近くにオムライスのお店が出来たんですけど、ランチもやってるんですよ~。
行ってみたくないですか?』
脈絡のない話、つまりは奢れと言うことである。
異世界に来て早一年、その程度の機微は学んでいる。
「そうですね、高くなければ行ってみたいですね」
『一,五〇〇円は高いですかね?』
高いよ!と一刀のもとに切り捨てたいところだが、そうもいかない。
「ははは、すこし高いですが、行ってみたいですね」
値段に釘を刺しつつ、奢ることは承諾する。しかし、OLのランチって高過ぎぃ。男の2倍以上とは……。
『じゃあ、スケジュール変更して付箋張っておきますね~。お疲れ様でした』
「お疲れ様です恵サン。失礼します」
ふうっと一息。今度は私物の携帯を取り出して、美希へと電話を掛ける。
『おはよう筋肉』
「だから夕方だってば」
『シッテルヨ、オキテルヨ』
「声色が怪しいが、まあいいや。今から帰るけど、夕飯は何かリクエストがあるかい?」
帰り道に安売りスーパーがあるため、食材が調達しやすい。ちなみに僕は作る人だ。
『カレー?』
「カレーの種類については、リクエストはある?」
『二日目がおいしいカレーでお願いします』
また難しい注文を……。
「それじゃあ、ごはんは炊いておいてくれる?もちろん麦飯で。そう、麦が一合、米が二合で、水は三合の線きっかりでいいよ」
カレーには麦飯、そこは譲れない。
『わかった炊いておくよ』
「一時間半後ぐらいで帰るから、じゃあね~」
僕は電話を切ると車を取りに駐車場へと向かう。駐車場代経費で落ちるといいなぁ。