襲い来る敵、前編
前回のあらすじ。研究所が停電になって、実験室のドアが開かなくなった。
美崎たちが実験室に閉じ込められている頃。同時刻の村長宅。
「このゴキブリ共めがァァアァ!」
「へっへぇーんだ! 老人は家で大人しくしてりゃあいんだよ~!」
「口の減らんガキじゃ! ったくわしの家のトイレットペーパーを返せ!! 親御さんに言いつけるぞ!!」
「やってみろジジィ!! 二度と尻を拭けなくしてやるからな!!」
村長は相変わらず子供達と戯れていた。「子供は国の宝だ」なんて言われるが関係無い。ゴキブリ扱いである。……どうやら買ってきたトイレットペーパーを丸ごと奪われたらしい。
「ター君、マズイよ……。ママに連絡でもされたら……」
「へっ! 大丈夫さ。あいつにそんな度胸無いだろ。第一なんて言い付けるんだ? お宅のお子さんが私に悪さをしますってか? ハハッ、確実に村長の株が下がるに決まってる!」
ター君こと、タカユキには一緒にイタズラ(やり過ぎだが……)をしている友達の言い分は理解できている。親に叱られるのは嫌だった。だけど、自分の家と直接的な関わりは無い村長が、イタズラをされたからと他所の子供の家まで出向き、親に言いつけるだろうか? それはつまり「自分では解決出来なかったから、言いつけに来たのですよ」と、自らの問題解決能力の低さをアピールするようなものだと、そう解釈する事は出来ないだろうか? それが村人の上に立ち、導く存在である長の場合、このまま役目や行政の権能を委ねているのは不適ではないか、他に適任が居るのではないか……そんな意見の温床に繋がるかもしれない。そこまでの腹案があったかどうかは分からないが、ター君は意外と悪知恵の働くタイプであり、もしも村長が自分ちの親に電話で文句を言ってきたり、直接家まで出向いたりするような事があれば、両親を言い包めて味方にし、反駁しようと思案していた。
村長としてもそんなつもりは毛頭無かったが、困窮しているのは事実であった。脅しに屈してそろそろ悪戯を止めて欲しかったのだった。
*
「よっしゃあ! 元気百倍!」
俺はウ○ダーを飲み終えた。ジャムおじ〇んやバ〇コさんが居なくても俺は元気を出すことが出来る。新しいカオを交換してもらう必要は無いのだ。そう、俺にはパンを焼いてくれる優しい女性も居なければ、気遣いの出来るおじさんも周りに居ない。盟友とも呼べる“カレー”や、食パンの形をした奴らも居ない。もう三十歳超えてるのに……。なぜだろう? 悲しい気持ちになってきた……。
「さて、仕方ない。行きますか……」
先に行ってしまった音無を追おうとしたが、意外に足が速いらしくて、もう既に見えなかった。
こういう時は無暗矢鱈と動かない方が良いというのに……。
「そうだ。おなかが空いたらイケないよね」
俺はウ○ダーを買い物袋から一つ取りだし、白衣のポケットに入れなおした。予備だ。居場所の分からない音無を探すよりも、先に研究所のスタッフを探して避難させた方が懸命だろう。それと並行して音無を探そうと考え、溶かした自動ドアの隙間から実験室を出て、月光が差し込む廊下を走り出した。
*
「バカ、お前これ縛ってんだろ。出せないよ」
「暗くてよく見えないんだよ」
「お! 俺は出せる~!」
「うわぁ、マジかよ」
「じゃあ。次お前だな」
「……革命!!」
「なんだと? 死ね、この野郎!」
「くっ! 俺の完璧なる黄金の方程式が……ッ! 崩されたァ~~ッ!」
この不穏な状況下、場違いな程に楽しげな声が聞こえてきた。―――俺がよく寝泊まりしている休憩所の方のようだ。俺は音源の方へと急いだ。
そういえば実験室に置いてきてしまったが、敵の狙いは修復しようとしている妖刀なのだろうか? それとも研究所自体? それとも……。そんなことを考えているうちに休憩所に到着した。
俺は勢いよくドアを開け放ち、中のスタッフに大声で言い聞かせる。こちらは手動式のドアの為、簡単に開ける事が出来た。
「大丈夫だったか! 早く正面入り口から出るんだ。避難してくれ!」
「! きゅ、きゅきゅ、急にどうしたんですか!?」
月明かりで暗い休憩室に、数名のスタッフが居た。突然の停電に狼狽していた訳ではなかったようだが……まごついたスタッフの一人が聞き返してきた。俺はごくり、と唾を呑んでから冷静に答える。
「……危ないかもしれない。ここに居ないスタッフにも逃げるよう、なるべく伝えてくれ!」
「マジッスか!? 別にただの停電なんじゃ……」
「いや、予備電源も入っていないんだ。意図的に魔法で電気の流れを妨害されているんだと思う。ただのイタズラならそれでいいんだけど……。研究所全域を支配するようなレベルの能力を持っているなんて、ちょっとイタズラにしては度が過ぎているとは思わないか?」
そう説明すると、ようやく事態を呑み込んだのか、真剣な表情に変わるスタッフたち。状況を察したらしい。目を丸くする彼らだったが、手に持っているのはトランプの手札やマグカップだった。―――あのね……停電中に休憩所で、コイツらは紅茶を飲みながらトランプで大富豪をしていたのか!? 危機管理能力がゼロなんじゃないのか……? なんでウチのスタッフはこんな奴らしか居ないんだ。“おかしも”って知ってる?
「わ……分かりました。じゃあ俺達はさきに逃げます!」
「うん。よろしく頼んだ。―――いや、オイ! トランプは置いて行ってもいいだろッ!!」
その場に居たスタッフ五人中の五人が手札を大事そうに持って行った。最後に部屋を出て行ったやつが、「ジョーカーを二枚持っているのがバレるといけないので!」と叫びながら消えていった。今バレただろ……。
まぁいい。次だ。―――そうして俺は誰がどこに居残っていたかを思い出しながら、次々とスタッフを逃がしていった。いくら停電中とはいえ、月明かりのおかげで完全な真っ暗闇ではない。そのためスタッフも把握できたし、大きな問題は無かった。
「よしっ! さっきので全員かな……。」
季節が夏季である事もそうだが、空調が止まった為、研究所内は蒸し暑かった。腕で額の汗を拭う。
なぜ俺がこんなにも必死にスタッフを逃がすのか。それは、単にこの研究所の責任者であるということもあるが、スタッフの殆どが魔法を使えないから、という点が行動の根幹にはあった。使える人も居るが、大した能力は持ち合わせていない。この人為的な停電は予備電力すらも使用不能に陥れている。かなり大がかりな魔法だと思う。そんなことをしている奴を相手に、素人が応戦できるとは到底思えない。管理人としての判断は、人命優先が当然の義務だろう。
予備の電源は研究所とは別の場所から引っ張っている。しかも複数だ。俺や村長がこういう事態を全く警戒していなかった訳ではない。そんな中、気取られることもなくそれらを同時に使えなくするには、それなりの準備や時間が要る筈だ。大きな魔法には当然ながら大きなエネルギーが必要なのだから。それだけの力を持つ相手が攻めてきたのかもしれない……それが俺の憂慮だった。
ブブブブ…… ブブブブ……
振動音で、はっとした。―――違う電マじゃない! 携帯のマナーモードだ。……誰だこんな非常事態に。俺は乱雑に携帯を取り出し、画面を確認してみた。すると長谷部君からだった。
「もしもし長谷部君?」
「せ、先生どうなってんですかコレ!? 急に停電になったかと思えば変な奴らがうろついているんです……!」
電話の相手は長谷部だった。こそこそと話す長谷部に対して、受話器越しに向こうの状況が何となく伝わってきた。複数の人の声が聞こえるが、おそらく敵だと思われる。
「変な奴ら……? おそらく実験を邪魔しようとしている連中だよ。君も実験に携わっていることが知れると面倒なことになるかもしれないな……」
「えっ、こ、殺されちゃうんですかね? と言うか、先生は大丈夫なんですか……?」
「俺は大丈夫。そうだな……。そっちはとりあえず見つからないように逃げてくれ。いざとなったらこちらは何とかするから。心配無用だよ」
「そうですか……。じゃあ、お言葉に甘えて逃げさせてもらいます……!!」
俺は一旦電話を切ると、受付に向かいながら携帯の電話帳から村長の名前を探していた。こういう時、頼りになるのはまず村長しか居ないと思ったからだ。相手が“組織”の人間だったら尚更だろう。
が、計算外の事態が起きた。先程は通話できたのに、携帯電話が繋がらないのだ。電源はついているが、電波が届かない様子。外に出たら通じるかも、と思い外へと向かった。それから矢継ぎ早に電話をかける。
長谷部くんはああ見えてもやる時はやる奴だ、と思う……。それに例え負傷したとしても、長谷部君なら問題ない。笑って済ませられる。避難しているかどうか分からないのは、あと音無だけだ。だけどスタッフが慌てて出ていく姿を見て、おそらく一緒に逃げただろう。……そう願いたい。
プルルル… プルルル…
「あい。なんじゃ? 今忙しいんじゃが……」
「あ、あのですね、村長。研究所の方が大変なことになってまして……」
「わしの方が大変だっつーのッ!! 切るぞ!!」
「逆ギレ!?」
なんと通話が途絶えてしまった。研究所の入り口まで来たら無事に携帯が使えたのだが、これでは意味が無い。電話越しに枝だのエンピツだの子供の声がした。そして最後、村長の憤怒の一喝が聞こえた。ここは是非、もしものことを考えて助っ人を呼びたかったのだが、……え~? 肝心な時に本当に頼りにならないな、あのジジイ。
「俺一人で守るのか。……イヤだなぁ。そもそも勝てるのか?」
―――いや、そもそもまだ敵と決まったわけでも無いし。……いや、でも村長の家に「修復実験を止めないと大変なことになる」みたいな内容の脅迫状が届いていたってこの前言ってたし……。
「はぁ……」
俺は大きな溜め息を吐いた。
研究所は出入り口が一つしかない。受付に向かってくるまでに、特に怪しい気配も無かった。ということは、おそらく停電の犯人は研究所の外に居る。もしも中に居て、その上で狙いが俺だった場合、俺がスタッフを探している時に闇に紛れて幾らでも奇襲を仕掛けてこれただろう。だがして来なかった。と言う事は恐らく外に居るのだ。入り口を見張って居れば侵入されることもない、か。
受付は既に、もぬけの殻になっていた。みんな無事に避難したようだ。トランプをしていた5人のスタッフもちゃんと逃げたらしい。―――そういや、停電になってから割と時間が経過しているのにも関わらず、あっちは何も仕掛けて来ないな……。もしかして俺が外に出て来るのを待っているのか? ……ははっ、まさかね。
とりあえず研究所の玄関を、外からは入れないように施錠しておいた。辺りはすっかり暗く、夏の生ぬるい夜風が体を通り過ぎていった。林は不気味に風で蠢いており、そんな薄暗闇の中、草を踏み鳴らして誰かがこちらに近づいてくるのを感じた。体格からして……男だろうか?
「こんばんは……」
月明かりで人物の顔面が照らされた。相手は男だった。挨拶されたが、デートのお誘いって感じではない。停電の犯人だろうか? 黒い礼服を着用しており、総髪や佇まいからは理智的に見えるのだが、どこか凶暴そうな印象を受けた。彫が深い顔で、眉は剃られており――だが暗くてあまりよくは見えない。
「こんばんは。いやぁ、夜だってのに暑いですね。参っちゃいますね」
俺はとりあえず軽い挨拶を吹っ掛けてみた。
「美崎先生。やっと出て来ましたね?」
無視か。しかも俺の事を知っているご様子。
「私は待つのが苦手なタイプなのに、全然研究所から出てきてくれないから、疲れちゃいましたよ」
「……そうですか。俺はデートとかで待つタイプです。待ち合わせの一時間前には到着しています」
本当はデートなんて、生まれてこのかた一度もしたことが無いけどな!!
「そうですか。随分とお早いんですね。さぞ、楽しみだったのでしょう」
あれ? 食い付いて来たな。まあいいか。問題はこいつがどこの誰で、ウチに何の用があるか、だ。
俺が問うと、男はゆっくりと頷いた。その表情はうっすらと笑っているように見えた。男は顔を上げると、俺に向かって悠然と話し始める。
「遠まわしなのは嫌いだ。―――美崎先生、実験を止めてくれませんか?」
「出来ません」
俺は間髪いれずに、そう答えた。以前答えを出したように、俺はこの実験を止めるつもりは一ミリも無いのだ。
「……もしや、村長さんに送った脅迫状は読んでいない?」
「村長からその話は聞いています。でも、止められません。大事な実験ですから」
「……そうですか。なら、仕方ありませんよね?」
男は困ったように肩を竦めてみせると、凶悪そうな笑みを浮かべた。そんな男に向かって俺がこの停電はお前の仕業なのか、と尋ねると
「いいえ。ですが、私たちの仕業ですよ」
美崎は初めから答えの分かっている問題を、相手に一応尋ねてみた。確証が欲しかったのだ。「停電」と言っただけで通じるのだから、相手はその団体の一員で間違いないのだろう。それに何か電気系統の魔法を操作しているようにも見えなかった。別のヤツが居るのだと思われる。
「“組織”ってヤツですか。……ということはあなた方、ウチの研究所の敵、ってことで良いんですよね?」
「勿論!! ちなみに言いますとね。実験を中止してくれない場合、力ずくで中止させていいって上からの命令なんですよ! この言葉の意味、分かりますよね?」
――殺し合うって事ですよ、と男は付け加えた。どうやら話し合いで解決出来る範疇を超えたようだ。残念ながら敵さんもヤル気満満のようだし。
「最初からこうしてりゃあ良かったんですよ! ほら、死んでください!!」
「なっ、包丁!?」
男が刃物を片手に、踏み込んで来た。包丁というか刀に近い。マグロを解体する特別な包丁を知っているだろうか。アレに近い感じだ。
「私の名前はハウル! 組織のしがない下っ端です!!」
距離を保とうと後ずさる俺に対し、敵が走って一気に間合いを詰めてきた。恐ろしくて仕方がないが、戦うしかないようだ……!!
「美崎先生! あなた確か鍛冶屋の息子でしたよね!」
俺は慌てて魔法を詠唱した。右手を一気に高温にしていく。摂氏何千度という温度の右手を振りまわして軽く脅せば、相手も降参してくれるかもしれない。……しかしながら相手は俺の素性を知っているみたいだ。俺が使う魔法もバレているだろう。
「ちょ、ちょっと待って! 魔法を使っての暴力行為は法律で禁止されてるだろ!!」
「Magical Lowのことですか……? 知るかァ!!」
先程まで包丁っぽい外見だった刃物だが、ハウルの咆哮と共に形状が変わった。大きな槍のように変形させた包丁を俺へ目掛けて一直線に突き刺してきたのだった。それを半身になってかわす。動きはそんなに素早くない、が一発喰らえば重傷だろう。縦から横から斬撃を繰り出してくる。俺も慌てて避けるのだが……しんどい。三十代になんでこんな瞬発力を要する動きをさせるんだ、神様!
「ってゆうか、今気付いたけどお前は……ッ!!」
肉薄した相手の顔を見て、俺はハッとした。何故ならこのハウルとか言う男の顔に見覚えがあったからだ。――――商店街でウ○ダーを買ってスーパーを出る時に、俺は男とぶつかりそうになった。あの時の男だ! ぶつかりそうになった俺を凝視していたのは、大量にウィダーを買い込んだ変態を奇異の目で見ていたのもあるだろうが、俺というターゲットを確認していたのだろう。
「く、このやろ……ッ!」
包丁を掴んで、温度変化魔法による高熱で溶かしてやろうと思ったが俺は慌てて手を引っ込めた。
「ふふふふ……。そうですよ、やめた方がいい。包丁が溶けるのが先か、あなたの手が切れるのが先か。どっちでしょうかねェ?」
……そうなのだ。俺が使うこの温度変化魔法にはいくつかの欠点がある。―――欠点その一、それは時間差だ。熱が伝わるまで若干のラグがあるのだ。普通に使う分には問題ないが、この場合、熱が伝わって溶けるよりも、包丁が皮膚を切り裂く方が早ければ最悪だ。残念ながら試す勇気は無い。それにあの包丁、形状が変わった事から何らかのカラクリがあると見た。魔法が施されている訳で、その切れ味ももしかしたら格段に上昇している可能性だってある。温度変化魔法を用いて高熱を手から出す際は、手に硬化魔法を掛ける場合が多い。少なくとも俺は硬化させているのだが、相手も得物も素性が分からないのに、賭けに出るのは愚策だと判断していた。
俺は包丁を諦めて、相手の腕を掴むことにした。人の皮膚を火傷させるなんて気が引けるが、緊急事態だ。仕方がない。相手の包丁は重いらしく、動きは相変わらず鈍重だった。俺はうまく敵の斬撃をかわしてタイミングを掴み、敵の腕を掴みにかかった!
「喰らえ!! 熱血キャッチ!!」
「何!?」
……。
………あれ?
勝気な笑みを浮かべながらの一撃だったのだが、ハウルがダメージを受けた素振りは無かった。するとハウルはニヤリと、不敵な笑みを浮かべたのだった。
「……なーんて。硬化魔法は自分だけの専売特許だとでも? こちらも皮膚硬化させれば、熱なんて問題無いんですよオォ!!」
―――温度変化魔法の欠点その二。なんてことは無い。それは弱点の多さだ。熱の防ぎ方なんていくらでもある。耐熱性を上げたり、冷やしたり、熱を吸収したりとこの魔法は弱点が多いのだ。何てことだろう。我が家自慢の魔法が……。
「くっ……」
「どうしたんですかァ! 避けるだけじゃ勝てませんよォ!!」
「あ、あなた方の目的は何ですか? 俺ですか、妖刀ですか! それとも研究所ですか!!」
ハアハアと息を切らしながら寸での所で攻撃をかわし、俺は聞いてみた。
「良いでしょう! 教えてあげますよ!―――我々の目的はね」
「目的は!?」
「……全部! どれでもいいんですよ! どれか一つでも壊せれば任務は成功なんですから!!」
……なるほど。ということはこちらの実験続行不可能が相手の目的か。言われてみればそうだよな。実験をやめろ、と言って襲撃に来ているのだから。まずいなぁ。―――そういえば音無は逃げたのだろうか。もしかしたらまだ研究所内に居るかもしれない。心配だ。
よし……さっさと終わらせて、音無を探しに急ぐか。
「鍛冶屋の魔法なんて、その温度変化魔法だけ!! どうするんですかァ? 美崎先生!」
「ぐっ……、確かに俺が唯一誇れる魔法なんて温度変化の魔法だけさ!」
趨勢を悟ったのか、ハウルは最早戦いを楽しんでいるようだった。だが実は、俺にも余裕があった。本気なんて出していない。相手を殺してしまう……そんな事に対して俺は逡巡していたのだが、覚悟を決めて白衣の袖をまくりあげた。
「先生が何も出来ず、これで終わりだと言うのなら、私がウィダーのようにしてあげますよ!! 次に会うときはコンビニの棚だァ!!」
「いくらコンビニに何でもあるからって、人の肉体なんか棚に置いてないだろ!!」
斬新な決め台詞を残しながら、包丁をギラつかせてハウルが猛然と走ってきた。俺は縦方向に振りおろされた斬撃を身を翻して避け、ハウルの腕をガシッっと握った。
「……誇れる魔法は確かに少ない。でもね」
「また温度変化魔法ですか。ワンパターンだと飽きられますよ?」
「俺は魔法が大得意なんだよ。ハウルさん」
「? 何を得意げに。私のデータだとあなた、ウ○ダーが大好きな鍛冶屋の次男としか―――ガハッ!?」
俺がハウルの腕を掴んで何かを詠唱した瞬間、ハウルの動きが停止した。次の瞬間、ハウルは呻き声を上げると、悶え苦しみ、膝から崩れ落ちる。が、包丁を地面へと突き刺し、片膝を着いた状態で何とか止まった。何をされたか想像も出来ないハウルが、忌々しげにこちらを見やる。それに対し、俺も口を開く。
「言っただろ。“誇れる魔法は”と。――――誰かを傷つける魔法なんて誇れたものじゃない。魔法は世の為、人の為に使役されるべきものだ!」
俺は半ばドヤ顔で言い放った。一方、ハウルは身悶えしながら、倒れてなるものかと歯を食い縛っていた。大粒の脂汗を垂らし、やがて握りしめていた包丁がドスン、と彼の手から地面へと倒れ落ちた。
「その包丁……」
包丁が落ちた時の、振動がこちらに伝わるほどの地響き。落下音からすると、相当な重量のもののようだ。コイツは俺の温度変化魔法の対策として、魔法で皮膚硬化を持続させながら腕力強化も行っていたようだ。それなりに魔法が得意なのだろう。厄介なヤツだ。斬撃のスピードは得物の重量ゆえに遅かったが、それでも相手次第では勝敗は分からなかった。俺ならば倒せると油断していたのかもしれない。
「魔法で水流を操作した。日常で最も一般的な魔法の一つだ。それこそ料理、洗濯。何にでも使える恐ろしい魔法だよ」
「クソ……! こ、の……私が!!」
「そしてこの魔法は、極めれば人間の体を流れる水分も操ることが出来る。人体の約七十パーセントは水だ。身体の七割をいじくられて、死なないわけが無いだろ?」
「死ぬッ!? 私は死ぬのか!? グハッ、嫌だ!!」
そう、俺は水を操作する魔法を使ったのだ。そう種明かしをすると、ハウルは口を必死にパクパクさせながら、今にも息途絶えそうであった。か細い声で「命だけは!」と懇願するハウルに、俺は声を和らげ語りかける。
「どうしようかなぁ? 今ここで何が起こっているのか教えてくれたら助けてあげてもいいんだけどなぁ」
「ぐふっ……そんな! ただ研究所を襲撃して、実験が続けられなくなるようにしろと命令を受けただけなんだ! それ以外のことは何も知らない!!」
「……アンタ以外の他にも敵が居るんだよな? そいつらは何をしている? 何を狙っているんだ?」
「それは……詳しくは聞かされていない! ただ、研究所襲撃を実行するのは他にも居る、らしい…」
「そうなのか……」
「もういいだろ! 喋ったぞ!! 助けてくれ、苦しいん、だ……!!」
「いや、そう言われても……」
「な……!?」
「胃の中身を少し掻き回しただけだから……。死なないよ」
勿論俺は相手を殺すつもりなどない。そもそも、暴力行為は法律によって禁止されている。破った場合、厳格に処罰される。だが今回は仕方が無かった。やらなければ殺されていたのだから。
しかし、あそこまで弱らせる必要はあったのだろうかと思い直し、やはり俺は気分が悪くなった。
「や……」
ハウルが何か呟いた。―――「や」ってなんだろう? ここは潔く「殺れ!」だろうか? どっかの女騎士みたいに「くっ、殺せ!」とか言われたらどうしよう。セオリー通りに脱がさなければならないのだろうか。
「や?」
声が小さくて良く聞こえなかったので、俺聞き返した。
「や……、優しい……」
「!?」
ハウルが力を振り絞って口から出した言葉は、まさかの「優しい」だった。―――なんだ……? と言うか、こいつ、妙に頬が赤くないか?
「今のは、命がけの戦いだった。強者が勝ち、弱者は殺されても文句が言えないというのに。なんて優しいんだ……。私は……私を支えてくれる、伴侶と呼べるような人間が現れるのを待っていたんだ……。そう!! あなたのような慈愛に満ち溢れた人間ををををを!!」
「うわっ!! 寄るな変態!! 泣きながら足にしがみつくな! 気持ち悪い!!」
「さあ!! 私と一つにッ!!」
「何だ一つって!! 合体しろってか!? ……くっ! 離れろォ!! 死ね、ボケ!」
「ぐァ!!」
俺は思わずハウルを蹴り飛ばした。後半「死ね」とか言っちゃったけど、本心じゃないからね……?
「ぐ、ぐふっ!? この蹴り! ダイナミックだけど痛くない……!? み、美崎先生もしかして」
「……分かった、もう喋るな。神に祈る時間をやるから。三秒で充分だよな?」
「……エ、SMにも精通しているとみた……」
「遺言は今のでいいか?」
「何を! そういうことでしたら、さぁ! 早く!! 私めに贖罪の機会を! 蹴り飛ばしてください!!」
さっきまでの苦しそうな様子はどうしたのか、と聞きたくなる程にハウルは活き活きとしていた。そして徐に尻をこちらに向けたのだった。一瞬、もしかしたら俺をこの場に留めさせる為の時間稼ぎなのか、とも思ったが頭に血が上ってしまい、うまく思考がまとまらなかった。
「なんだそのポーズは! 新種の命乞いか!」
「さぁ、美崎先生!!」
俺はそこら辺に生えていた樹木を一つ、高熱にした右手で溶かして切断すると、こいつのケツに向けてブッ刺してやった。さっきまで恍惚の表情だったが、痛々しい声を張り上げて、ハウルは倒れた……。
俺は心底恐怖に震えていた。まさか命がけの対戦相手が変態だったとは……。危険だ、植えておこう。杉と一緒に大きく育つといいな。
―――よしっ。こんなもんで良いだろう。観察日記をつけなきゃな。
○月×日
「美崎先生これは何ていうプレイですか!? すみません私そういうの良く分からなくて……。」という声がする。安心しろ、俺も知らない。
○月△日
「美崎先生! 放置ですか!!」という声がする。杉が枯れてきた。
○月□日
「美崎先生~……。アレ? ねえ、美崎さん?」という声がする。雑草が生えてきたなぁ。
×月☆日
声がしなくなった。草がたくさん生えてきた。
おっと、いかんいかん……。ヘンな妄想をしていたようだ。
魔法は使うとエネルギーを消耗する。簡単に言い換えれば「疲れる」、ということで間違いないだろう。使用したエネルギー量に見合った分の、魔法が発動し、疲れる。言い換えれば、魔法を発動するにはそれ相応のエネルギーが必要になる。この世界は等価交換法則の元に成り立っているので、釣り合わない魔法は使用する事が出来ないのだ。酸素が燃焼して二酸化炭素に変わるように、無から有を生み出せないように、世界は等式のバランスで成り立っている。それは魔法も同じだ。
俺は白衣のポケットからさっきしまった予備のウ○ダーを取り出し、十秒で飲み干した。さっきいくつか魔法を使った。それに敵の攻撃を避けるのにかなり疲労が溜まってしまったからな。俺がウ○ダーを飲むのは、魔法に必要なエネルギーを補給しているからだ。尤も、ウ○ダーだけで完全に回復する事など不可能なのだが。
「……あれ?」
俺はハウルの方を見た。ふと目を離していた刹那。脇に落ちていた包丁が忽然と姿を消していたのだった。ハウルが何かした様子は無い。―――効力がきれて消滅したのか……?
ようやく本編……。文字数がどんどん増える……。