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回想その二

前回のあらすじ

回想。幼少期、美崎の家庭は温かく、幸せに包まれていた。

 父親と旅行の約束をした三日後。俺は傘をさして、雨の中家路へと走り続ける。その日は朝から雨が降り止まない。―――前日の天気予報では曇りのち晴れだったが、昼過ぎから天気が一変した。薄黒い雨雲が青空を併呑したかと思うと、地面を穿つほどの雨が降り始めたのだった。完璧な土砂降りにもほどがある。折り畳み傘を持っていて良かったけど……、と脳内で愚痴をこぼした。


「怒られるなぁ……。今日は夕飯を食べに行くから早く帰って来いって言ってたしなぁ」


 友達と遊んでいた所、思いのほか帰宅が遅くなったのだ。携帯電話はまだ持っておらず、家に連絡する事も出来なかったし、友達も携帯電話を持っていなかった。子供だけで遊んでいた訳だが……、同年代よりマセていた俺は、普段ならば時間の経過もそこそこ把握していて、親に迷惑を掛けるような事もあまり無いのだが、旅行と聞いたあの日から少々、いや、偶々不注意だったのかもしれない。


 走って来たせいで、傘をさしていたにも関わらずズブ濡れだった。自宅に辿り着き、折り畳み傘をしまう。家の中が濡れると母に怒られるので、傘は家の外壁に立て掛けておいた。


「た、ただいまー」


 恐る恐る扉を開けた。玄関で、俺を叱ろうと待ち構えているであろう母に怯えながらゆっくりと家の中に足を踏み入れたのだった。

 だがしかし、想像していた展開にはならなかった。何の言葉も返ってこない。こういう場合は母親が「遅い、どうして遅れた?」と説教を始めるのだが、出て来なかった。


「え、もう俺を置いてみんなで夕飯を食べに行っちゃったのかなぁ……。まさか、そりゃあ無いよ……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、廊下を歩いてリビングへと向かう。濡れて水分を含んだ靴下が廊下へと足跡を描いた。奇妙な静寂が支配した廊下を抜けて、俺は皆、帰りの遅い自分をおいて外出してしまったのだろうと考えていた。


「母さん? ……うわ、誰も居ないの……?」


 こっそりと戸を開けた隙間からリビングを見渡してみた。ソファに腰を下ろしている父さんや母さんの姿も無い。当然兄貴もそこには居なかった。

 そんな折、どこかでカランカラン、という物音が聞こえた。何か硬くて長いものが地面へと転がる音のような気がした。


 鍛冶場の方から聞こえた気がした。国に仕える父の仕事のお陰で、美崎邸は瀟洒ではあるが中々に広い土地を有していた。今居るリビングは母屋に当たり、父の鍛冶場は納屋を改造して拵えた場所だった。小さな庭を挟んで家の反対側にある。ここからの距離は遠くはなかった。


「あ、そうか、みんなで妖刀の見学でもしているんだな?」


 依頼の物品が出来上がったのだろうか。俺の帰りを待ってくれていたのかもしれない。


「俺を置いてみんなでずるいよなぁ、全く!」


 靴を履き直し、傘もささずに玄関から庭へと走り出た。子供にとって数秒濡れる程度、どうって事は無かった。ザァーという強い雨がまだ幼い俺の身体を打ちつける。鍛冶場の扉が開いているのが見え、やはり皆あそこに居るのだと、そう思った。


 俺は鍛冶場へとゆっくり入った。遅くなったことを怒られるかもしれないからだ。


「と、父さーん。ただいまー……」


 鍛冶場の外では雨の轟音が響いていて、それに掻き消されてしまうような小さい声だった。鍛冶場の電気は付いていた。と言っても、蛍光灯のような明るさではなく仄暗い、暗闇を照らす程度のものだ。夜間作業する時は、この照明とは別に投光器などを設置して光源を用意するのが、父のやり方だった。今は雨雲のお陰で殊更に部屋が暗澹としていた。


(暗いなぁ……)


 叱られる事に怯えていたが、少し冷静になって考えてみれば変だった。豪雨の中、大きく開かれた入り口。作業しているのに暗い。それに声の一つ、いや、物音の一つもしないなんて。もしかして本当に俺を置いてみんなで夕飯を食べに行っちゃったのかもしれない。


「あ、妖刀が出来上がってる……」


 作業台には完成品と思われる妖刀とやらが無造作に置いてあった。黒を基調としたその鞘や束。……装飾は殆ど無く、意匠も感じられない。なんだか荘厳、というか気味の悪さすら覚えるその長物は、ただ粛々と置かれているだけだった。

 そして妖刀から目線を離し、俺は作業台の奥、死角になっていて見えなかった小屋の奥の方へと目を移した。そこにはイスに座っている父の姿があった。その姿を発見し、黙っていたのは恐らく俺を驚かせようとしたのだろうと、そして他の二人はもしかしたら先に外食に行っているのではないかと、そう考えを巡らしながら、視線を合わせるのも気まずく、俺はまず遅刻した謝罪を口にしようと思った。


「な、なんだ父さん……遅くなっちゃってごめんなさ―――」


 怒られると思った。作業台がこの部屋の中央にあるので回り込むように、顔を伏せながら父さんの方へと近づいた。そこで何か、自分は壮絶な間違いを犯しているのではないか? という疑念を抱いた。そんなゾッとするような何か、違和感を覚えながら「……父さん?」と再度、静々と問い掛ける。そして

薄暗い小屋の中で、俺はゆっくりと何かを確かめるように、視線を下から上へと移していく。


 父の、首から上が無かったのだ。

 


 そこで一瞬思考が停止した。父と思われるその胴体は鮮血にまみれ、両腕はだらり、と垂直に床へと下ろされている。生気を感じないその指先から――否、雨音で気付かなかったが、イスの座面の四隅からも、ボタボタと大量の血液が床へと垂れていた。

 自分が何を見たのか理解が及ばず、それでも俺は恐怖で全身が冷たくなっていくのを感じた。そんな筈は無い、と思いつつも眼前では凄惨な光景が広がっている。人が死んでいる。そもそも父なのか? 唾をゴクリと飲み込んだ気がしたが、視界の端が徐々にブラックアウトし始め、聴覚が、周囲の音が遠ざかっていくのだけが分かった。心臓の鼓動もまるで壊れてしまったかのように速かった。

 何だよこれ……!? なんなんだよ……!?

 俺は両足がすくみ、ふらふらとしながら一歩後ろへと後ずさった。しかしその時、俺の右足に何かがぶつかったのだ。きっとそれは見てはいけない、と頭の中で警鐘が鳴り響いていたように感じたが、足元を――切断されて頭部だけになった、変わり果てた父の無惨な姿を見つけてしまった。血みどろの頭だけがごろりと転がっていたのだ。

 表情までは窺えなかったが、それは紛う事なき、自分の父親だった。俺はそれを理解した瞬間、胃袋の中身を嘔吐してしまった。地面へしゃがみ込み、そしていつの間にか自分が泣いている事に気付いた。心臓の鼓動だけがもの凄く鮮明に聞こえた。でもこれは夢のなのかもしれない、そんな思考が掠めはしたが、這い蹲った体勢で作業台の下をふと見やった時、ギリギリの所で抑え込んでいた心の何かが吹っ飛んでしまう。そこには無表情で動かなくなった兄貴と、それを庇うように抱え込んだ母の死体が倒れていた。鋭利な刃物で殺されたのか、血の滲んでいるその衣服ごと、華奢な体を袈裟懸けに切り捨てられて、裂けた肉の断面から赤黒い血をドロリと漏出しながら、絶命していた。

 仄暗い為良く分からなかったが、母は涙を流していたようだった。


 ア、ア…アア、アアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!


 言葉にならない声を上げながら、錯乱した俺の体が作業台にぶつかった。その拍子に妖刀が床へと転がり落ちる。カランカラン、という金属音を立てながら硬い地面へと落下した。音が小屋全体に鳴り響き、この頃になると、幼いながらも俺はやっと置かれた状況を理解したのだった。……みんなもう帰って来ないんだ、と。

 よく怒鳴っていたが本当はとても優しかった母も、いつも笑わせてくれた父も、バカだけど本当は大好きだった兄も、もう居ない。もう返ってこない。


「ア、アァ……。うっ……ぐ……」


 どうしたらいいのだろうか。それが全く分からずその場で咽び泣く事しか出来ない。みんなもう戻ってこない。これからどうすればいいのか。どう生きていけば良いのか。幼い俺にはどうすることも出来ず、ただひたすら涙を流し続けていた。様々な感情が渦巻き、押し潰し、頭の中がめちゃくちゃになった。


「うああぁぁぁああああッ!! あああぁぁぁあああぁぁあぁあッ!!」


「おい、坊主!! 何があった!?」


「うぅ……! うわあああぁぁぁ!!」


 俺の泣き叫ぶ声に気付いて、男が鍛冶場に転がり込んできた。たしかミシマっておじさんだった。でも駄目だ、頭が真っ白で何を喋ったらいいのか、分からない。なぜ皆死んでいるのか。俺はどうなるのか? 分からない。誰か、助けて……。


 *


 ミシマはおよその現状を推察すると、どうにかなってしまいそうなその少年、俺を抱き締めた。ただ、抱きしめることしか出来ない。何て言葉を言えばいいのか、ミシマにも分からなかったからだ。それでこの子のボロボロの心が少しでも落ち着いてくれれば……そう祈りながら抱き締めた。


 外は豪雨が降り続ける。悲惨な事件を洗い流してくれる訳でもないのに、ただ、ただ振り続ける。雨音は音だけを掻き消してくれていた―――嫌な雨だった。



 その事件が起きて、次に俺が目を覚ました時、視界に飛び込んできたのは白い天井だった。どれくらい経ったのだろうか。病院のベッドに寝かされていた事に俺は気が付いた。外ではまだ雨が降っている。病室の時計は夜の九時過ぎを指していた。


「起きたか坊主、大丈夫か?」


「おじさん……」


 ベッドのすぐ横ではミシマというおじさんが備え付けの椅子に腰掛けていた。白髪交じりの短髪で、口ひげを少しだけ生やした柔和な面持ちの中年だった。三十から四十歳ぐらいだろうか。村でもよく頼りにされている、人当たりの良い人だったと記憶している。どうやら俺が目覚めた時に誰も居なかったら不安になるだろうから、とずっと傍に居てくれたらしい。


「うっ……!」


 震え上がるような記憶がまた蘇って来た。首から上の無い父さん。胴体も小屋も全てが血まみれの、あの惨劇。俺は吐き気を催していた。

 そんな俺の、まだ小さな背中をミシマは摩った。ミシマ本人にもどうしたら良いのか分からなかった。医師たちには「ショックが大きいだろうから傍に居てあげてください」と言われたが、出来る事は殆ど無かった。


「坊主は、おじさんが来た後すぐに気を失ったんだ」


「……うん」


「で、おじさんがここまで運んできた」


「……うん。あの、おじさん……」


「? なんだ」


「夢……じゃないんですか?」


「……」


 当時の俺の目には生気が感じられなかったのだろう。虚空を見つめるその眼差しに気づき、ミシマは陰惨な気分を味わった。なんて酷い目に遭ったのだろう。恐かった筈だ。苦しかった筈だ。その心中は計り知れない。


 今は事件があった美崎家に警察が来ていろいろと捜査をしている。事件後、すぐに美崎家には村の野次馬が殺到し、ミシマは軽い事情聴取を受けたのだが、美崎を抱えて病院まで走っていったのだ。


「坊主、話せるか?」


「……うん」


 俺は別に心が空になった訳ではなかった。しかし、現実をうまく受け入れられずに不思議と悔しさとか悲しさとか不安、そういう感情が湧いてこなかった。―――そうか、現実だったのか。夢だったら良かったのに。

 俺はおじさんとこれからの事について話し合った。身寄りを失ったからだ。面倒を見てもらえるような人は居るのか、これからどうしたいのか、必要なことがあったら遠慮なく言いなさい、とミシマは言った。俺が親戚も居らず、行く宛てが無いことを言ったら、「じゃあウチに来るといい」と快く受け入れてくれた。その時のおじさんの表情はどこか複雑で、優しさや同情もあったのかもしれないが、もっと別の何かを感じさせるものだった。私がこの子を守る、という感じだろうか。強い意志のようなものを感じた。

 そこには、誰かが俺の命を狙っていて次は俺が殺されてしまうのではないか、という疑心と恐怖があった。


 *


 数週間後。子供が一人増えた三島家に、あの事件の時の妖刀が届けられた。はじめは警察が証拠品として押収していたのだが、「何らかの家族間トラブルで、父親が魔法で一家を惨殺。自らも自殺。外出中の次男は生き残った」という勝手な見解で片づけられた。当然、父さんはそんな人じゃないと俺は知っている。


「現場に落ちていたこの刀なのですが、事件とは特に関係が無いみたいです。……父親が死ぬ間際に完成させたものらしいので、せめてもの形見と思ってお子さんに……」


「そうですか……。わざわざありがとうございます」


 警察の人が玄関から出ていくと、刀を受け取ったミシマは俺の所に戻って来た。俺が一瞬、ギョッとしたように刀を見ると、そのまま無言で俺に刀を渡してきた。

 警察が事件との関与を否定したのは、刀に血が付着しておらず、使われた形跡も無い事、それから付近で怪しい人物の目撃情報も無かった事など(ただ、魔法を使用すればどうとでも偽装できそうだが)が理由である。俺は刀を受け取って、暫くそのまま呆然としていた。


「坊主はお留守番だ。俺はちょっと用事があるから出てくるな」


「……うん」


 扉の開く音が聞こえると、間もなくミシマの気配が無くなった。俺は我に返り、刀を眺める。


 妖刀。あの事件以来<三ツ首>なんて言われて、家族の死はその呪いによるものだという噂が絶えない。本当に呪いのせいなのだろうか。


「父さん……」


 あのイカれた殺人現場の中。周りを血で囲まれ、死体が転がる中で、ただ平然と横たわっていただけの刀を見ると、「こんな物があったから皆死んだのではないか」と無性に腹が立ち、怒りがこみ上げてきた。憎々しいのだ。


「お前を作ったから、父さんは死んだのか……?」


 ぎりぎりと歯噛みし、全身に力が入った。俺はスルリ、と妖刀を鞘から引き抜くと、無骨な持ち方で立ち上がった。


「こんな……ッ」


 俯いた俺の顔から涙がこぼれた。


「こんなものがあるから! こんなものがあるから皆死んだんだああぁ!!」


 両手で力強く妖刀を握りしめると、それを床へと振りおろした。何度も何度も、床へと打ち付けた。

「父さんも……! 母さんも……! 兄ちゃんも!! あああぁぁぁああ!!」


 言葉にならない何かを叫ぶと、渾身の力を込めて床に叩きつける。あっ、と思った時はもう既に遅かった。……刀身は真っ二つに折れていた。へし折れた先端は回転しながら宙を舞い、床に突き刺さったのだった。


 ――その顛末を、ミシマは扉の外でこっそり窺っていた。万が一自殺でも試みるならば、止めに入らねばと、部屋の外で身構えていた。刀身を抜いた時は少々焦ったが、本人がそうしたいなら、それで収まるのならばと、成り行きを見守る事しかできなかった。


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