回想その一
前回のあらすじ
鼻クソは何処かへ飛んで行った
……もとい、
『実験を中止しないと襲撃するぞ』という“組織”からの脅迫状が来ていた。
美崎は昔を思い出す。あれは楽しかった幼少の思い出と、その次に現れるのは幸福とは対極の、憎しみや苦しみ、悲しみ、そういった一切合切の感情。渾沌の坩堝。―――三十年前の事だ。
「父ちゃーん!! 仕事終わったらセ○クスしようぜ!」
「なに言ってんのお前!? そうか兄貴にけしかけられたんだなオイ? ったくあのガチホモめ。弟に同性愛を教えてどうすんだよ。魔法教えとけって言ったのに……」
「父ちゃん、顔赤いよ?」
「ばっ!! おめ違ぇよ!! 鍛冶場は暑いんだよ!」
……微睡みから覚醒した。美崎は村長宅で寝てしまっていたようだ。どれだけ時間が経ったのだろうか。壁の時計は夜六時過ぎを示しており、外はもうすぐ日没となる頃だ。どうやらかなり長い間、寝ていたらしい。美崎は「嫌な夢だ」と一言、吐き捨てた。
「……おはよう」
「え? ああ三島君……。お邪魔してます」
横にはなぜか村長の孫、三島君が居た。筋骨隆々のゴツイ男がミカンの皮を手で剥いている。例えるならそう、ゴリラがピーナッツを一粒ずつ食べているような感じだ。余談だが、ミカンではなくマンダリンというらしい。同じ柑橘系らしく、今の時期が食べごろなのだとか。先ほどコタツの上にあったミカンとは別の物だ。
三島君だが、研究所から帰って来ていたようである。
「お、起きたか。何時間も寝やがって、宿泊費を取るぞい?」
そんな美崎が居る居間へ、村長がケタケタと笑いながら入って来た。
「最近寝てないようじゃな」
「まぁ、あんまり寝てないですかね。実験も終局ですし」
居間の奥からは包丁のトントントンという夕飯を作っている音が聞こえる。三島家の誰かが夕飯を作っているらしい。―――しかしながら主婦では無さそうだ、と美崎は思う。というのも、包丁がまな板に当たる数回に一度の確率で
トントントンドォォオオォオォンッ!!
という猟奇的な音がするからだ。おそらく寝惚けているからだと思う。いや、そう思いたい。気にしたら負けだ、と美崎は脳内からその音を追いやった。
そんな夢うつつのところに村長が「ちょっと来い」と言った具合に手招きする。美崎は呼ばれるがままに後へとついて行った。
「なんですか?」
「いやなに。お前さん湯を沸かすの得意じゃろ。ぱぱっとやっちゃってくれんかのう」
*
どうやら風呂を沸かすのを手伝ってほしかったらしい。この世界では勿論、風呂はガスで沸かすのが常識なのだが、魔法を使っても沸かす事は出来る。特に断る理由もないので、俺は浴槽に張られた水に手を突っ込み、魔法を頭の中で詠唱した。ガス代の節約とかそんな理由だろうと考えていると、じわじわと水が温かくなっていくのだった。手を中心として、その周りでボコボコと水が沸騰している。そして暫くして湯が出来上がった。うん。我ながら丁度いい湯加減だ。
「ありがとよ、これでわしは悪ガキどもを狩りにいくことが出来るよ」
「またそんなこと言って。別にこれくらいお安いご用ですよ」
また子供に何かされたのか。反応すると逆効果だから相手にするのはやめた! ってこの前言ってたのに……。増長する一方じゃないのか?
「じゃあな! わしはこれで。ちょっとター君に用があるんじゃ。さすが元鍛冶屋の息子!」
俺の肩をぽん、と叩いて、村長は外へと去っていってしまった。
全くもってター君の安否が気にかかりますね……、村長。
さっき俺は水をお湯に変えた。あれは物体の温度を変化させる魔法なのだが。温度変化魔法―――それが俺の《唯一人に誇れる魔法》だ。実際に温度を測ったことはないが、大体の物質を溶かせるぐらいまでの高熱を作り出すことができる。これは生体エネルギーの生産と消費を一時的に異常な速度で繰り返すことで生体熱を急上昇させる、という原理らしいのだが、詳細は分かっていない。俺の場合、鍛冶屋で代々受け継いできた力が加わり、大気中の分子に働きかける事で振動させ、更に高熱を生み出している……とか何とか、父親が昔言っていたような気がする。残念ながら熱に耐えるために皮膚を魔法強化するのが大変で、効果範囲は体の一部分が限界である。手だけや足だけといった感じに。先ほど外を歩いていた時に実は使っていたのだが、体を冷やすなんて応用技も出来る。ああいう感じで体全体に薄く使うだけならば、広範囲に効果を及ぼす事も出来る。ちなみに俺は魔法にかなり詳しいのだが……今回はこの辺で割愛と行こう。
この魔法は鍛冶屋には必須の魔法である。刀を鍛えることに温度変化の魔法を用いるからだ。
ちなみにいくら俺が鍛冶屋の次男だからといってもこの魔法で妖刀を直すことは出来ない。刀鍛冶の仕方を教えてもらう前にみんな死んでしまったからだ。更に言えば、もともと長男である兄が継ぐ予定だったので、俺は全くのド素人なのである。だが何より、この刀は妖刀だ。そんな単純に直せる代物じゃあなかった。
俺は村長の家の、ぐちゃぐちゃに溶けた鈍器(電マ)を思い出した。アレも咄嗟にこの魔法を行使した結果なのだ。
*
「桜の木の枝の爺ちゃん~w」
「どうしたんだよ枝の爺ちゃん~ww」
「うるさいぞ不燃ゴミどもめえぇぇぇええ!!」
夜七時頃。老人と子供との青春追いかけっこが始まった。
「ったく何時だと思ってんだ……。ここは一つ良識ある大人として注意を―――」
俺はこたつから立ち上がると玄関に向かって歩き出したのだが
「なんだと枝チン!! もっぺん言ってみろこらぁぁぁ!!」
という子供の激怒する声が聞こえた。ター君だ。
「注意するのはやめておこうかな……」
面倒事は嫌いなので俺は居間に戻ってきたのだった。どれ、ここは一つ三島君と男子トークでも広げてみようではないか。え? 三十歳のおっさんが男子とか言うなって? いいじゃないか。男は幾つになったって子供なのだ。ちなみに三島君は中学か高校生くらいだった筈だ。
「そういや、三島君はよく研究所に遊びにくるよね。やっぱり研究所の方がいいのか?」
「家に居ると近所の子供がうるさいし落ち着けないし。……じいちゃんも子供相手に怒鳴り散らすし死にたくなる……」
く、暗い。三島君はどうしてそういう考えしか持てないんだ……。いや、でも村長の家って大変だとはつくづく思う。
「ところで先生の家って何屋……?」
「ん、鍛冶屋だったよ。今は何もないけど」
「じゃあ先生のうちって静かなんだ?」
「静かだよ。独りだからね」
俺はそう答えた。そんな話をする俺達の所に、ガラガラ、という玄関の開閉音が聞こえたかと思うと、村長が眉間にしわを寄せながら居間へとやってきた。
「美崎!! 今日はもう遅い! 帰って寝なさい。by、村長」
「え、もうそんな時間ですか?」
自分でbyとか言うなよ、トランクスからなんか出てんぞ、ジジィ……と内心でツッコミつつ、時計を見る。―――帰るか……。
「そうですね。じゃあ俺はそろそろ」
「うむ。気をつけて帰るんじゃぞ! ……な?」
少し言葉を強調して言われた気がした。意味深な村長の言葉だが、ああそうか、組織が研究所を襲撃するとか言ってたっけ。
「はい。じゃあ、三島君もまた今度!」
俺は「お邪魔しました」と一応、儀礼的に決まり文句を言って玄関の戸を閉めた。寡黙な三島君だが、こちらを一瞥するとサッと片手を挙げて会釈していた。クールだな……
元来た道を戻り、俺は研究所へと来ていた。もう既に警備員と夜勤の研究スタッフ数名しか居なかった。どうやら今朝ネリケシで男性器を作っていた少女、音無も家に帰ったようだ。―――兄と二人暮らしの家へ。そういえば家事の分担とか兄弟でしているのかな? 兄の名前は早馬だった筈だけど、実はほぼ会ったことが無いんだよね。年齢は音無より五歳ほど上だったと思う。かなり魔法が得意で、中学の時には世界的に表彰を受ける程のレベルだったって聞いた。って事は今は高校生なのかな。
小さめの一軒家で、細々と暮らしている、と音無から聞いたことがあった。母親は入院中、父親は不明なので村長や近隣の住民が手助けしているらしい。しかし音無の兄って粗暴で問題児だって聞いた事もあるような……?
「まあいいか。寝よう。ここんとこ睡眠不足だったしなあ」
研究所の廊下を通り、休憩所に入る。自分の家ではなく、俺はここで寝るつもりだ。
俺は自分の家が嫌いだった。三十年が経過した今でも、時折あの凄惨な記憶を思い出す。一家を失ったその事件現場に居れば、嫌でもその過去が脳裏を過るのだった。呪いを信じる訳ではないが、静謐で不気味な我が家に居るよりも、研究所の方が遥かに心地が良かった。一日の大半を研究所で過ごす事も多く、よくこの休憩室で寝泊まりしているのだが。スタッフから見たら迷惑な管理人だろう。休息を取ろうとしたのに所長が寝ていれば、気まずさを覚える者も居るだろうから。
「……そういや飯を食っていないんだよな」
村長の家で午睡してしまったので、すぐには寝付けないと思っていたが、その日の夜は存外あっさりと眠りに落ちたのだった。寝るには少々早い時間だったのだが、睡眠不足の俺にとって、それは些末な問題だった。夕飯も食していなかったが、備え付けのシャワー室で軽く湯を浴びると、ソファ式のベッドで眠りにつく。睡魔には勝てなかった。
*
三十年前のある日。その日は日曜日だったのを覚えている。幼稚園は休みで、小学校も休みだったので、エネルギーを持て余した二人の少年――兄弟は朝から元気一杯だった。リビングには大きめの四角い食卓と四人分のイス、それから絨毯が敷かれた空間には座卓と三人くらいが座れるソファ、テレビが設置されていた。
「母ちゃーーーん!! 洗濯が終わったらエッチ――ごほぁああ!!」
洗濯物を干していた母の元に兄が駆け寄ると、母親がアイアンクローを兄貴の顔面へと炸裂させた。無言で仕掛けた辺り、割と機嫌が悪いのかもしれない……かなり痛そうだった。何処から仕入れて来たのか知らないが、男児というものは下ネタが好きなのだ。それは兄貴も例外では無く、こうして時折口にしては制裁を受けるのである。
「あんた、それ以上言ってたら母さんがあんたの十二指腸を引きずり出してたからね!?」
「こ、こえええよおおぉおぉ! 俺の嫁が息子の臓物を引きずり出そうとしてるよおぉ!!」
「あんたも調子に乗らないで!!」
母親の怒号が飛んだ後、「あんたがそんなんだから増長するのよ!」と巻き添えを食らう父親。その一連の様子が可笑しくて、弟である俺は大笑いしていた。やっぱり愉快だ。喧騒に包まれた近所迷惑なやり取り。父母と兄、そして俺を含めた家族四人揃って、家の中でけたたましく騒ぎ立てるのは美崎家の日常なのである。そんな中、母親に殴られたのか頬をさすりながら、父親が「これが噂のドメスティックバイオレンスか……」と呟きつつも、俺と兄貴の前に向き直った。
「そうだ、お前ら。父さん新しい仕事依頼を引き受けたんだよ」
「父ちゃんそれどんな仕事?」
ソファに座りながら、父は煙草を吸い始める。そんな父に兄貴は目を輝かせながら詰め寄った。国に仕えるほどの仕事の腕を持つ父さんを兄貴は敬慕していた。そしてそれは俺も同じだった。「どうせまたロクでも無い内容なんじゃないの?」という母の厳しい一言が発せられたが、これは父親が安請け合いで、下らない仕事を引き受けてしまう事が多かったからだ。
「今回はすごいぞ! いやマジだから! 父さん今回はリアルな話だから! オイちょっと聞けって!!」
「あ、ごめん父ちゃん。聞いてなかった」
「ええと、お偉いさんの依頼でな。<魔剣>を作ってくれって」
「マケン?」
「ああ。ちなみに報酬は超ミラクルハイパー出してくれるってさ!! いや~参っちゃうよ。あ、でもアレだな……俺は刀専門だから、魔剣って言うよりは妖刀って感じかな。八ッハッハ!」
魔剣、妖刀……よくは分からないけど、どうやら今回、父さんは大きな仕事を引き受けたようだ。
「父ちゃんすげえ!」
「ハッハッハ! 当たり前だァ!」
俺の横ではバカな兄が喜色を浮かべて騒いでいた。それに同調するかのように父も豪快に笑う。兄は生まれるのが俺より早かっただけで、頭の中は未熟児も同然。胎児とほぼ変わらないだろう。かわいそうな兄貴。自分で言うのも何だが、俺の方がきっと大人だ。
「じゃあ父さんは早速だが、早く報酬が欲しいから刀をうち始めるわ」
「あ、俺も手伝うっ!」
仕事には真面目な父。すぐさま取り掛かるのだと言う。その後を無邪気そうに駆けていく兄貴。どうやら兄貴は鍛冶を手伝うようだ。まぁでもそろそろ父親の技をいろいろと覚えていかないとな。鍛冶屋を継ぐのは長男であるあいつだろうし。
「おい。我が息子の、2番目の方よ」
「なんだよ父さん、その呼び方」
「お前、今日は友達と遊ぶ約束があるとか、昨日言ってなかったか?」
「!」
父と兄のやり取りを呆けて眺めていた俺だが、最近交わした約束を失念していた事に思い至った。そうだ、今日は遊びにいくんだった……! 予定があるんだった!!
慌てて玄関へと向かい、靴を履く。忘れていたが今日は近所の友達と遊ぶ約束をしていたんだった。これでは兄貴の事をバカ呼ばわり出来ないじゃないか。
「……急がなきゃ! 行ってきまーす!」
「おう、気を付けてな~」
普通、大抵の子供なら遊ぶ日の約束なんて楽しみ過ぎて忘れないだろう。だが当時の俺はあまり感情が高ぶることなど無かったのだ。マセていたと言うか、まぁ魔法を独学で勉強する方が好きだったのだが。それゆえ一時、俺のあだ名が“冷酷なアンドロイド(略してアンドロ)”と揶揄される事もあった。いや、俺は機械じゃないから!!
「あ、そうだ」
「何だよ父さん! もう出なきゃ!」
「報酬を受け取ったら家族全員でどこか旅行に行こう。な?」
玄関扉を開いて駆け足で家を去ろうとすると、父さんに呼びとめられた。―――家族旅行。何だかちょっと嬉しい。みんなで旅行に行くなんて、あまり経験が無かったし。だからなのか、微々たるものだが、気分が高揚するのを感じた。俺は「うん!」と頷くと、友達の家へと向かって走り出した。
待ち合わせに遅れそうで焦燥に駆られながらも、旅行について思いを馳せる。どこへ行くのだろう? 何があるんだろう? 感情のデータをインプットされていない試作品アンドロイド(と友達に言われた俺)の心も、その言葉にはだいぶ魅了されていた。友達との遊びも楽しいかもしれないが、もしかしたら俺は、家族で出かける方が好きかもしれない。
――魔剣の製造を頼まれた父。軍事的意味合いで、核兵器や軍隊に並ぶ物、それはこの世界では魔法だろう。魔法文化が発達すれば、武器に魔法効果を付与しようと考える者が出るのは必然だった。それが強力なものならば尚更だろう。美崎家は代々国に仕える鍛冶師の家元であったのだが、魔法に対する知識等も優れた一族であった。当時の俺は知る由も無かっただろうが、そこで新たな武力となるような代替品、すなわち魔剣の作成を一任されたのだろう。魔剣、妖刀……これらは後世で魔法武器、略して<魔器>と呼ばれ、事物によっては一国を滅ぼす程の絶大な威力を秘めるようになる。それを巡ってまた色々な勢力が絡み合う事になるのだが……。
回想その二、に続く