9.不在
一年ほど前のことである。
人生で初めてコンビニに行った時を思い出す。それはいつもの夕食分の宅配弁当が、設備のトラブルだかなんだかで配達が出来なくなった日のことだった。
一日くらい飯を抜いてもどうと言うことはない、と高をくくっていたのだが、夜も十時を回るとどうもこうもいかない。根気の続かない自分に腹がたったが、仕方なく非常用の一万円札をポケットに入れて近くに最近できたという、コンビニに向かったのだ。
コンビニに若者が夜遅くに行くのは一般的だという、どこで仕入れたわからない常識(後で補導の対象と知った)が僕を後押ししていたが、実際に店内に入ってみるともぬけのからで拍子抜けした。来客を告げるチャイムと、それに応じる店員の堂の入った挨拶に少し狼狽えながら、目当ての弁当を買おうと狭い店内をさまよったのを覚えている。
店内は狭いながらも商品の数は非常に多く、文房具の品揃えには驚いたものだ。最終的に奥の棚に弁当があるのに行き当たると、手頃な弁当を選び、レジカウンターに運んで行ったのである。が、どう声をかけたら良いのかが分からない。なにせ、初めてということもあって、そういう儀礼作法には疎かった。
素直にお願いしますというべきか、いや、こんばんはとあいさつか? それはおかしい。そもそもこっちは客なのだ喋る必要があるのだろうか? それもどうかと思う、努めて普通に普通に喋るんだ、しかし普通が分からない。そもそも、商品をおいて何も喋らない僕は、もうおかしいやつだと見られているに違いない──。
手に嫌な汗が滲む。喉が渇く。空腹を訴えていた胃がねじ切れそうな悲鳴を上げる。
やきもきしている内に弁当は会計の段階にまで進んでいたらしく、店員がこちらの様子を不審に見ていることに気づく。僕は慌てて一万円札をカウンターに置いた。しかし、店員は「あの、温めますか?」と聞いてくる。僕はどうやら聞き逃していたらしい。
そこで気付いた僕は、ひどく恥ずかしくて惨めで情けなくなって、気づくとコンビニから逃走していた。もう、空腹とか、一万円とかどうでもよくなっていたのだ。
現在の心境はそれを振り返った時の状況と酷く似通っている。つまり──
「僕は何をしているんだ……」
現在地は取波根市唯一のショッピングモール“ジャスト”。久々に入った店内は今振り返ると、今時エスカレーターも碌になく、天井の低さや専門店の少なさも相まって古き良き時代を象徴しているように思えた。
僕としては実に数年ぶりの入店となるが、だからといって買い物をしに来たのではない。かと言ってウインドウショッピングが趣味な訳でもない。
では、なぜこんなところにいるのか。
思えばあと一歩、転校生を見かけた時に流れるように話しかけることができれば、こんな余計な苦労はしなくて済んだはずだった。しかし、その一歩がどうしても踏み出せない。
結果、付かず離れず一定の間隔を維持したままこんなところまで付いてきてしまった。我ながら中途半端にもほどがある。
当の転校生はショッピングモール内のブティックや本屋、雑貨屋などの数少ない専門店を一時間と二十分ほど散策し、自販機でブドウ味のアイスを買って小休止。そして現在はトイレに入って五分が経過している。そして、僕は付近の紳士服売り場のベンチに腰かけて、マネキンの陰からトイレの入り口を映している鏡を窺っていた。
これではまるで、変質者かストーカーの様じゃないか。いや、どっちも同じか……。
僕は何をしたいのか、転校生に対してどう向きあったらいいのか、こんな馬鹿馬鹿しい時間を過ごしている際中にも答えを出せないでいる。いや、むしろ答えを出しにくくしているような気さえする。
幸い転校生には気づかれてはいない様であるが、これからどうしたものか。状況が好転して不意に二人だけが密閉空間に押し込められるとか、無いか。大体それは好転と言わない、僕にとっての処刑だ。だったらこのまま帰るか? しかし、帰ったところで後悔するのは分かっている。けれども何を後悔するのか、何をすれば良いのか分からない──。
ふと、視界の隅に置いていた鏡に転校生の姿がチラついた。僕は止めればいいのに、と独り言ちながらも腰を上げ、その姿を追いかけた。
転校生がエレベータ横にある階段幅の広い階段を下るのを確認する。ここは3Fだから行き先は2Fか1F。エレベーターを使っても良いが、それだと階層を間違えて見失う可能性がある上、なにより鉢合わせの可能性がある。それだけは避けなくてはいけない。ならば、障害物が少ないというリスクはあるが、階段で行ったほうが得策だろう。
階段を2Fまで降りて、手すりの隙間から転校生が2Fに向かわなかったことを確認する。だとすれば残す1Fが目的地のはずだ。
そうやって階段を下って行くと、転校生はまっすぐエントランスへ向かい外に出ていく。どうやらショッピングモールの用事は終わっていたらしい。見失わぬよう、追いかける。外は遮蔽物が少ないので、距離を長めにとることにする。
やがて、ショッピングモールを出てから数十分。数日前に訪れた、あの公園を通り過ぎようとした時。不意に声をかけられる。
「そこの君、こんにちは。ちょっと、話をきかせてもらってもいいかな?」
後ろから肩を掴まれる。終わった、と体中の血の気が引いていくのが如実に感じられた。
絶望感に震えながら、ゆっくりと後ろを振り向くとそこには──コートを着た不審者がいた。
「え?」
ぼろぼろのくすんだコート、伸び放題の髭と髪、頬はこけているがその体は大きく、筋肉質。その目は暗く濁っているようでいて、芯はぶれずにこちらをまっすぐ見据えていた。
「あの、どちら様?」
「ははははは! 驚かせてしまったようで失礼御免! そんな俺は根無し草のただの旅ガラス。何も持ち得ていないが心だけはいつまでも一人前のつもりだ。だから君も俺のことはジョン、と気軽に呼んでくれ!」
やばい、思いっきり絡まれている。早く逃げなくては、と頭が警告を発するが、肩をすごい力で捕まれていて動けない。
そして周囲に人は、いない。
「まぁまぁ、慌てるな少年。俺も大概だが、急いては事を仕損じる。だからここはゆっくり穏便に会話をしようじゃぁないか」
「なんなんですか、一体……」
仕方なくこの不審者に従うことにする。こうなっては無謀な反抗は無意味だろう。
「さて、少年。これはそんな旅ガラスから一言。あのストーカー行為はひでぇ、傍から見ていてみすぼらしいったらありゃしない」
それは、あなたの方では? という喉元まで出かかった言葉をどうにか飲み込む。それより、この人、なんで気づいているんだ?
「そもそも、尾行の仕方がなってねぇ。感情が表情に出すぎている。内にとどめている内はまだ良いが、外に出た感情は匂うからな。“早く気付いてほしい、でも気付かないで欲しい”って女々しい感情が駄々洩れだったぞ」
「え?」
なんだ、この人……。
「まず、彼女には感づかれているとみて間違いないだろう。残念ながら、な」
「そ、そんなはずは……」
「OK。では相手の寄った店と順番を聞こうじゃないか。それで大体説明がつく」
あきらかな不審者に話すのは全くの不本意であったが、バレているという事実については、何が何でも否定しておきたかった。結果、求められたまま話してしまう。
「……ブティックに最初によって、その次もブティックにはしご。その後は雑貨屋によって、またブティックに。最後に本屋によって、自販機コーナーで休憩してからトイレによって帰ったという感じですが」
僕の話を聞き終えた不審者はますます顔をしかめる。
「うわぁ……。君は自分が恥ずかしいと思わないのか?」
だから、それはあなたの方が……! いや、確かにこの件についてはやりすぎているのは事実。他人のことをとやかく言えない。恥ずべきは自分だ。
「結論から言うと完全にバレている。しかも酷いことに最初の店、もしくはジャストに入る前から感づかれていた可能性がある」
「それは無いはずです。だってその段階で気付いていたら、こんなに長い時間いるはずないじゃないですか」
「いや、気付いているのは誰かにつけられているということ。長い時間いたのはそこが人込みとう安全地帯という色が強いからだな。大体、順番がおかしいと思わなったか?
ブティックをはしごするのは分かるが雑貨屋を経由はなかなかしない。ジャンルからいって位置が離れているからだ。
そして、共通する項目は鏡かショーウインドウ。つまり、そこで君の姿が行く先々でみつかるものだから疑念は確信に変わり、本屋で本を読むふりをしながら対策を考え、君の姿がチラついて落ち着かないので休憩し、近くのトイレへ駆け込んだ。
そして、これは推測だが、最後のトイレが1Fじゃなかったのだとしたら彼女はエレベーターではなくて階段を使ったはず。なぜならストーカーとの密室は絶対に嫌だからさ」
いや、まさか、そんな。
「けど、そんな素振りは全然……」
「そりゃそうだろう。相手からすれば気づいたことに気づかれたら何をされたか分かったもんじゃないからな。ま、今ならまだ引き返せるから、とにかくその特殊嗜好だけは止めとくんだな」
「特殊嗜好って、そもそも僕はただ──」
それを認めるのは酷く嫌だったので、そこに至るまでの今日の朝からの経緯を話して弁解を図る。
すると、あろうことか不審者は腹の中身が出るんじゃないかというほどに笑い出した。
「──ひっ、ひひひひ、止めろ、俺を笑い殺す気か、お前。いやいや、それにしても青い、青過ぎる! 全く幸運だったな少年! 俺が留めなかったら今頃、お前の思想より青い服を着た集団に囲まれて詰問されて恥ずかしさに死にたくなって、さらに青くなっていいただろうからな! 主に顔が! ははははは!」
既に、死ぬほど恥ずかしいのですが、それは……
その後、数分ほど散々笑い続けた後、居住まいを正した不審者は飄々と口にした。
「ま、そんな純情な少年にはアドバイスを、だ。散々俺が言った後だが、まだ彼女を諦めるには早い」
「何をいまさら……」
「よくよく考えてみろ、こんな考えもできる。なぜ、感づいているのにジャストから長い間尾行させて、こんな人気のない公園にまできたんだと思う? これはもしかすると彼女もその気があるかも知れないってことなんだぜ?」
「まさか」
それは、有り得ない。だってまだ転校生とは会話をしていない。もし、そうだとするならば、転校生は──。
「俺が言えることは、こんな半端な愛情表現は止めにして、どんとぶつかって白黒はっきりしろってことだ。どっちみち気付かれてんだから、早く言ってしまわないと手遅れになるぜ?」
「それは……」
「あぁ、言いたいことは分かる。ダメだったときが怖いんだろ。けど、告白っていうのはそんなもんだ、生きるか死ぬかの両極端しかないから、どっちも強調されてしまうのさ。どの道、次に会った時が分水嶺。せいぜい腹括っておくんだなストーカー少年」
「ストーカー少年……」
不名誉すぎる……。それに僕は恋をしているわけじゃ無いし、大体なんで大人は全部そっち方面に持っていきたがるんだ。
「思いつめて何しでかすか分からないところがお似合いだよ。じゃあな、時間とらせて済まなかった」
そう、片手を上げて颯爽と去っていく不審者。もしかするとこの人は僕を気遣って引き留めてくれていたのかもしれない。けど、少しの僕の名誉のため、これだけは訂正させてもらおう。
「僕は、ストーカー少年じゃありません。桐谷有一です」
不審者が振り返リ見える、その顔はどこか困惑の色があった。が、一瞬で曇りは晴れ、笑顔になると快活な声を出し。
「俺はジョン・ドゥ。グッバイ!」
結局、不審者は不審者のまま、公園の茂みに消えていったのだった。




