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今日は明日の昨日より  作者: 森林中野
第一章 Clover
7/11

7.接触


 かつて学校がここまで遠く感じた日は無いだろう。


「怠い……」 


 昨日から増して刺すような日差しと、脳を揺さぶられるような不快感と怠さに、一歩踏み出すことに対しひどい倦怠感を覚えて数十分。現在登板中のこの坂道も、心のどこかで理不尽な刑罰を受けているような感覚が湧いてくる上に、全く進んでいる気にならない。いつもより早めに家を出たはずではあるが、なんだかんだ昨日と同じくらいで結構ぎりぎりだったりする始末だ。


「あれ、桐谷君? どうしたの……って、うわっ顔色悪っ!」


 後ろから、声をかけられてのっそりと振り向くと、狼狽えて数歩後退する柊さんがいた。


「朝からあいさつだね、柊さん……」

「どうしたの、ホラーもかくやってクマの黒さだけど」

「いや、いつもは寝られるんだけどね……あはは」

「いや理由になってないし……、保健室行った方が良いんじゃない?」


 保健室か、ベッドで寝るしかできないなら授業を受けていた方がましだな。それに夢路さんとの約束があるからには休む訳にはいかない。


「ところで、中郷見た?」


 そう中郷を引き付けること、吐き気がするが、それが今の僕の至上命題だ。早めに教室に入って待ち伏せる予定が大いに狂ってしまったが、幸いこの時間ならまだ通学途中のはずである。


「アイツ? アイツなら通学路の途中で猛スピードで走って行ったのを見かけたけど」

「……つまり、今教室にいるのか」


 危惧していた最悪の事態になってしまった。それだけは避けたかったのだ。


「アイツがどうかしたの?」

「いや、ちょっと面倒なことになったね……」


 中郷が教室で転校生と既に話していた場合。僕はどうしたらいいのだろうか……。


 怪訝そうに僕の表情を窺う柊さんに、「独り言だよ」と言うとまた一段と保健室に行くように勧められた。それは転じて魅力的な提案に思えたが、大丈夫とだけ伝えると昇降口で柊さんと別れ、問題の教室へと急いだ。


 教室の前までやっとの思いで辿り着くと、この教室には珍しい人物が扉の前に立っていた。


「何やってくれてるんですか、遅すぎますって有一君……」


 心なしかげっそりして見える夢路さんだった。彼女の目線につられて廊下の窓から教室内を窺うとそこには──トランプに興じる問題の二人の姿があった。お互いの手にある大量の手札のなんと優雅で無粋で絶望的なことか。


「いや、僕なりに急いだつもりではあるんだけどね。ごめん」


 夢路さんは一つ咳払いをして、視線を窓から僕に向ける。


「朝からはもう無理ですが、次の休み時間からは引き付け、お願いしますよ?」

「それなんだけど、ごめん、出来ないと思う」


 僕がそう言うと、夢路さんはなんで? と首を傾げた。我ながら女々しい理由だが、僕にとっては死活問題であるからに言わねばなるまい。


「彼女が側にいるから……アイツだけを引きはがすのは難しい」

「あー、そう言うことですか。なるほどなるほど。はぁ」


 夢路さんはどこかひどく納得してくれたらしく何度も頷いた。


「ちなみにどこからが無理ってあります? 作戦立案のため参考に聞いても大丈夫ですか?」

「見るだけならまだできそうだけど、話したり、目を合わせるのは無理だと思う」

「はぁ、全くこれは難儀ですねぇ……」

 

 夢路さんはしばらく腕を組んで考え、予鈴が鳴ると同時に顔を上げる。 


「仕方ありません。本当~に不本意ではありますが、プランCで行くことにしましょう」 

「プランC……なにそれ?」


 僕が問いかけると夢路さんは得意げに、胸を張る。


「ふふふ、それはですねぇ。まずはじめにわたしが突撃して二人の間に隙を作ります。そして、わたしが掻き回している内に有一君はアイツの相手をして引き離すようにして下さい」


 なるほど、それならまだどうにかなりそうである。


「分かったよ。けど大丈夫? 少しの間とは言え中郷と対峙することになるけど」

「えぇ、覚悟はしてますよ。けど、ダメですね。アイツと相対するって分かってしまうと自然と自律神経がおかしくなってくるのが分かります。凄い精神的負荷です。嫌な汗が止まりませんね……」

「ごめん、僕が不甲斐ないばかりに」

「仕方ないですよ。デリケートな問題ですからね、下手に近づいて取り返しがつかなくなるより、わたしが動いた方がよっぽど増しですからね」


 自分のことのように言ってくれる夢路さんには感謝するしかない。


「ありがとう夢路さん」

「えへへ、どういたしまして」

「それで、時間なんだけど……」


 もう、見並先生が廊下の奥から歩いてきているのが見えた。


「あ、あぁ! ナイスですよ有一君。作戦決行は昼休み開始直後。昼食を狙いましょう! 時間がないようなのでわたしはこれで、では!」


 夢路さんは駆け足で自分の教室に戻っていった。

 さて、気が重いままで全く快復する気配がないが、自分の教室に入るとするか……。





 ──昼休み。


 昼休みのチャイムがなって3分と経たない内に、教室の扉が不意に大袈裟な音をたてて開いた。教室中の視線が集中する中、そこに佇むのはやっぱり夢路さんだった。


「ゆっかりちゃ~ん! 元気してますか~!」


 開口一番に数年来の友人並みにフレンドリー感を出した挨拶。これでは誰もがこの二人がすでに知り合いなのだと勘違いするだろう。

 一方相手方はというと、今日も不憫に中郷と昼食を囲もうとしていたらしく、不意をつかれたようで、動揺が感じられる。もちろん、背後からだが。


「え、えーと、あなたは……誰?」


 少し目眩がした。


「わたしは2年E組の夢路志穂! よろしくですよ!」

「はい、よろしくお願いします……?」

「よろしく~」


 さすが夢路さん。物怖じせずに元気で真っ直ぐ、それでいてぶれないファーストコンタクト。それは純粋で無垢で、一片の悪意も感じさせない強迫に近い好意の押し付けであって、そう易々と無下にする事は初対面では難しいだろう。友達百人を自称しているだけはある。

 立ち上がりは上場。しかし、どうだろう。そろそろ中郷からのアプローチを躱し、いなす必要性が出てくる。僕の出番はそこからだ……。

 考えていると、中郷の席が動くような音がする。いよいよ、か。


「ゆかりちゃ~ん。今日の弁当は何弁当? 俺は昨日と同じで海苔だけ弁当!」


 ストレートに割り込んだ!


「そ、そう言えば、ゆかりちゃんってどこ校から来たんですか?」


 無視して攻めた!


「そんなおろおろしないで早く弁当食べようよ、冷めちゃうじゃん」


 その弁当は既に冷めてるのでは……?


「え、えーと?」


 完全にどうしていいか分からなくなっている転校生。全くもって不憫で仕方がない。


「あー! もうっ! 外で一緒にお昼しながらにしましょう!」


 転校生の手を取り、有無を言わさずに教室の外に誘導する夢路さん。


「なっ、弁当食べるなら俺も一緒させてくれぇ~! あの玉子焼きが忘れられないだ~!」 


そして、それを追いかけようとする中郷。僕はすっと中郷の前に身を差し出し、進路を塞いだ。


「待ってよ、中郷。今日は僕と一緒に食べない?」

「嫌だ」


 なん、だと……


「ほら、今日は僕、フライ弁当なんだ。中郷は海苔だけ弁当のおかずが欲しいんだよね? 食欲無くてそんなに食えないから、好きなの持ってって良いよ」


 今日の日替わり弁当が当たりで良かった。茶色い系大好きな中郷なら釣れたも同然だろう。


「嫌だ」


 ……はい?


「な、ぜ?」

「その弁当には愛が足りん」


 ………………愛?


「はい?」

「そうだ、愛。覚えておくんだ有一。最高のスパイスは愛だということをな」


 香辛料なの? 


「刺激的だね……」

「そうだ分かるじゃないかさすが有一! あの味を知ってしまったら、つい食べなくちゃと舌がうずいて、うずいてうずいて仕方なくってだぁぁーーーー!」


 会話の途中でいきなり宙に向かって叫びだす中郷。悲しいかな、もう見慣れた光景だった。


「うん、そうだね」

「食べなくっちゃ!」

「うん、そうだね」


 昼飯をね。


「頭がおかしくなりそうだぜ!」

「うん、そうだね」


 僕がね……。


「あははははははははっ!!」

「うん、そうだね……じゃあ食べようか弁当」


 僕はすっと弁当を差し出した。


「ふけけっけけけけけっ!」


 中郷は顎を上げて奇声を発しながら、両手を翼を広げるようなポーズで固定すると、その体勢のまま陸上部並みの全速力で教室を走り去って行った。


「しまった……」


 身の危険を感じて思わず後ずさってしまったのがいけなかった。一瞬の油断がとんでもない怪物を解き放ってしまった。

 僕は後を追おうと廊下に身を投げ出すが、すでに中郷の姿はなく、どっちの方向に走っていったのかも検討がつかない。そして、そもそもあの二人がどこに行ったのかも分からない。つまり、動きようがなかった。


 仕方なく、現在の状況をRINEで夢路さんに伝えることにする。と、程なくして返事が返ってきた。


『鍵のかかっている場所に居るので安心してください!』


 さすが、夢路さん。安全策は万全だったようである。なぜ、鍵のかかっている場所に入れたかは聞かないで置くのが花だろう。なによりこれ以上、面倒事に首を突っ込みたくない。


「さて……」


 周囲がまた騒がしくなる前に昼飯を平らげておくとしよう。



∦∦




「この学校、屋上が開放されているんですね~。このオーシャンビューだったら納得です」


 転校生はわたしが開けた屋上の扉を抜けると、屋上のコンクリートを軽やかに歩きながら、そう口にした。


「いや、普通は施錠されているんですよ。ここ」


 わたしは目線を地平線に固定し、屋上に出る。扉を後ろ手に閉め、流れるように鍵をかけた。


「え? だったらなんで私達入れたんですか?」

「ふ……。それは、わたしがいるから、です」

 

 とても学校の合い鍵を作ってコレクションしてるとか言えないですよねぇ……。

 わたしが転校生に話したところでスマホが振動した。有一君からのRINEだった。


『中郷を押さえきれなかった。奇声を上げてどっかに走っていった。申し訳ない』


「あちゃー……」

「どうしたんですか?」

「いやいや、ゆかりちゃんが気にする事じゃないですよ」

 

 出来れば話し終わるまで教室に縫い付けておいて欲しかったのですが、仕方ないでしょう。アレ相手にこれだけ持たせれたならば上出来を通り越して勲章ものですし。幸い、人気を気にしておあつらえ向きの屋上を選択したので、安全性はそれなりに保証されています。結果オーライです。

 わたしは有一君にRINEを返す。内容は彼が変に気を使わないよう簡便に済ませる。 


「ま、そんな事より。取羽根はどうですか? ゆかりちゃん。案外さびれて何もないところでしょ?」


 とりあえず、わたしはわたしの状況を開始する。この転校生が彼女かどうか、はっきりさせるのは会話ができれば訳もないことです。だいたい、もう結果は出てるようなものでしょう。


 正直、わたしはこのゆかりちゃんに対しては懐かしい、というよりは目新しい転校生として、興味を惹かれている部分が大きい。有一君は“ゆかりちゃん”に対して並々ならぬ興味があるようで、そこら辺は全く変わってしまった今でもぶれて無いようです。全く一途で、羨ましい限りです。

 しかしこの転校生。そんな彼が言う分には死んでなければおかしい、と言うじゃあありませんか。

 

「いえいえ、そんな事ないですよ? 国内有数の景勝地を傍に生活を営む事ができる、って素晴らしい事だと思うんです」

「産まれ育った身としては有り難みが薄いですねぇ。どっちかって言うと、野鳥とか虫とかの温床になってるっていう負のイメージが強いというか……」 


 だいたい、有一君はすぐ側にいるこの転校生を避けているようです。それでいて興味は尽きないものだから、わたしが彼の頼みでこうやって橋渡しみたいな事をして……。はぁ、何やってんでしょうかわたし。


「いやいや、自然も捨てたもんじゃありませんよ? ほら、見て下さい」


 そう言って転校生が指を指して示した先には、すかっり見慣れた海があった。まぁ、この学校は高台の上に建っているだけあって異様に見晴らしが良いのは事実です。海上の水平線が日差しに揺れて鋭く光っています。


「海ですか。確かに観光する分には打ってつけかもしれませんし、生活に必要なものではありますが、今となっては特別な感慨はありませんね……」


 そう、しみじみ語るわたしに転校生は『それは違います』と、言う。


「すぐ側にあるから感じるべきなんです。分からなくなっている時こそ実感すべきなんです。本当に大切なものとは、往々にして日常の片隅に埋もれてしまっているのですから」


 チクリ、と胸に微かな痛みが走る。それは閉まっているはずの過去を朧げに想起させる。

 わたしは転校生に目を向ける。転校生は嬉しそうに笑っている。日常会話の範疇、全く焦る必要はありません。むしろわたしはなんで焦っているのでしょうか。意味不明です、だって彼女は初対面で、知っているはずが無いのに。


「そんなものですかねぇ」

「そんなものですよ」


 転校生はあくまで無邪気に笑う。


「そして、後で気付いたところで二度とは戻らない」


 そうですよね、と転校生はこちらに向けた目線で語り掛けているように見えました。その目線を合わせると何故か全て見透かされてしまうような気がして──わたしは顔をそらした。

 

「ふふ、健気ですね」


 転校生は可笑しそうに笑う、その、内側を見透かされたような態度には不気味さを感じずにはいられなかった。


「あなた、一体何を知って──」


 ──バンバンッ!!


「「!?」」


 不意に、扉が大袈裟に叩かれる音がする。わたしと転校生はギョッとして扉の方向を凝視した。


「ゆかりちゃん! 俺だよ俺! 中郷! いなくてもいいから返事して! なぜなら完全に包囲されているからな! 本当だぞ!」


 思わず、二人目を合わせていました。

 

「どうします?」

「どうするもなにも、居留守ですよ! アレに割り込まれたら精神的に深刻なダメージを負います! 主にわたしが!」


 鍵のかかった扉が、がちゃがちゃとなり、聞こえる声はますます訳がわからなくなる。まるでちょっとしたホラー映画の様相です。


「いないの? いるの? どっちなんだぁー!!? はは、はははっ! ドアノブ回すのたッのしぃ~!」


 どこか深く悟った目をした転校生はゆっくりと頷きます。どうやら事態の深刻さを理解したようです。


「とりあえず、お昼にしましょうか」

「そうですね!」


 しばらく扉からの雑音がうるさく鳴っていましたが、やがて止み、晴天の陽の下その後の昼休みは穏やかに過ぎて行くのでした。




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