6.急峻
頭が、痛くて仕方がない。後ろの席でオセロに興じる二人の会話が僕を苛んでやまない。
「縁ちゃ~ん。でへへぇ、保健体育は好き?」
聞くだけで鳥肌が立ちそうな気色悪い声を出すのはやっぱり中郷。しかし、その相手が一番の問題であった。
「保健体育は好きな方ですね、体を動かすのはやっぱり気分が良いです。中郷さんもですか?」
特に怯んだ様子もなく飄々と応じる問題の彼女。信じがたいことに会話が成立してしまっている。なぜだ。
「う、うん。実はそうなんだよ。相性が良いね、ふけけけ……」
「そうかもしれませんね」
授業も四つ目が終わった昼休み。僕はいまだ鳴りやまない頭痛に食欲を無くし、頭を抱えて自席でどうにか現実をやり過ごしていた。しかし、それでもすぐ後ろの席での会話は聞こえてくるわけで、いっこうに頭痛が鳴りやむ気配は無い。
転校生は不運なことに問題の席に座らせられると、その後の時間のことごとくを中郷に占領されている。普通、こんな田舎の高校であるからにして、彼女は周りの生徒に囲まれそうなものである。しかし、誰も彼も側にヤツがいるからにして近づけないでいるらしい。不憫だ。
「ふふふ、中郷さんは面白い人ですね。最初机が濡れていたときはこれからどうなるものかと思いましたけど。どうやら杞憂だったようです」
「あれか! あれはだな、そう! あれは砂漠を転々とするサー・バク族の歓迎を意味する慣習でだな……」
しかし、どういうことか彼女は押されるどころかヤツをコントロールしているようにも聞こえる。しかし、あぁ頭が痛い。
「桐谷、全くどうしたんだ? 朝は良かったのに、これでは昨日より悪化しているようだぞ?」
前方からの声、佐田浜だ。少し顔を上げても彼女の顔を視界に入れる事はないだろう。数刻ぶりに顔を上げる。軽い貧血で視界がぐらついた。
「僕は大丈夫だよ……」
「全然大丈夫じゃないよな」
彼は強い顔で言うと、視線をさっと僕の後方に向ける。そして僕にしか聞こえないような小声で耳打ちした。
「行方さんか?」
「……」
しばらくして、僕の無言を肯定と受けとったらしい彼は「そうか」と、短く呟いた。
「深くは詮索しないが……。誰でも良いから話してしまう方が案外楽になる。事情を共有できる奴ならなおベストだ。気負いすぎないようにしろよ?」
そう言うと彼は僕の返答を待たずして、後ろ手を振って去っていった。
「あぁああーーっ! また負けた! オセロ強すぎるだろ縁ちゃん!」
「ふふふ、何で毎回白一色になるんでしょう。ほんと、面白い人」
しかし、彼女は一体何者なのか。限りなくいつかの彼女に近しいこの転校生に、僕はどう接すれば良いのか。まず、第一に彼女は僕を知っているのか──
確かめなくてはいけない、そう思った。
しかし、彼女について知ることに対して言い知れぬ不安が胸に去来する。その結果が望まない未来に進路を繋げてしまうような、そんな漠然とした不安が。けれども、今の居心地の悪さを放置したままにするのは何にも代え難い苦痛だった。
僕はスマホを取り出すとRINEを立ち上げ、一つしかない連絡先へメッセージを送った。
『放課後いつもの場所で』
∦
「だ~か~ら、アレは何なんですか有一君!」
「何って言われても、あれが中郷だし……」
放課後になって教室を足早に後にした僕は、いつも夢路さんとの待ち合わせに使われている場所にいた。校舎からはコンクリートの塀で死角になり、町の方からは急斜面と木々が視界を妨げる、設備の配管やら機械やらが密集した、まず一般的高校生活では訪れるはずがないであろう場所である。
相変わらず堆積した落ち葉は掃除された形跡が無く、錆びついた配管や機械はそのままで、この場所がいかに人から忘れられているかを体現しているようだった。
僕がそこに着いたときには既に夢路さんはそこにいて、なぜかすこぶる機嫌が悪かった。
「本当に迷惑してるんですよ。アレが側にいるせいで転校生の情報がまるっきり入ってこないじゃないですか! 切込み隊長の敦子ちゃんは匙をなげ、陽動班のカズちんは沈黙し、終いには強襲班の霧島さんまで雲隠れする始末。こんな話題性のある情報が放課後まで一切入ってこないなんて、情報部始まって以来のピンチなんですよ!」
「だからなんでそれを僕に言うのさ」
「アレは有一君の担当でしょう?」
「いや、だからそんな担当は無いからね……」
僕がそう言うと夢路さんは一歩引いて、どこか苛立ち気味に話題を変えた。
「で、わたしを呼び出した要件はなんですか? せっかくゆかりちゃんが転校してきたんだから、二人でよろしくやっていたら良いじゃないですか」
「その行方さんの件で聞きたいことがあるんだ」
彼女は鳩が豆鉄砲でも食らったかのように目を丸くする。
「なんで、ですか? 大体ゆかりちゃんの事は有一君の方が良く知っているはずじゃ……」
僕はそこで気付いた。夢路さんはあの事故が起こる以前に小学校から転校しているのだ。事故の結果を知らなくても何もおかしくない。そして、この異常事態に気付いていないことも。
僕は唇は固く結び、拳を握り閉めた。そして顔を上げる。きっと、いつか避けては通れぬ事実だった。
「彼女──行方 夕香里は、五年前に死んでいるはずなんだ」
風が吹いて、木々がざわざわと音を立てる。彼女は少しも動じず、ただ信じられないとばかりに短く息を漏らした。その目は正面を向いていながら、どこか遠くを見ているようだった。
「あの転校生は何者なのか、それが知りたいんだ」
僕のその問いで我に返ったのか、ハッとして元の調子で喋りだした。
「ちょ、ちょっと待って下さい! ゆかりちゃんが死んでる? でもあの転校生はゆかりちゃんそのものじゃないですか! 訳が分かりません!」
「訳が分からないのは僕もだよ」
「本当に、死んでるんですか」
「本当だ」
皮肉にも僕は断言することができる。嫌な汗が握った拳に溜まる。
しばらくしてやっと状況を理解してくれたのか、彼女は一息つき、口を開いた。
「……にわかには信じられませんが、有一君が言うならそうなんでしょう。でもさっきも言いましたが、確かな情報はありませんよ。主にアレのせいで」
「う~ん。小学校の時と変わったところとか、違和感とか無い?」
「小学校の時とですか……」
夢路さんは腕組みして考えだした。僕も彼女とは同クラスだったが、“ゆかりちゃん”と彼女が話していたような記憶は無かった。しかし、別の目線でなら僕の知らない一面を知っているかもしれないと思った。
「分かりませんね。そもそもわたしとゆかりちゃんはそんな特別仲が良い訳ではありませんでしたし。大体、あの頃のわたしは図書室に引っ込んでいる根暗やろうでしたからねぇ。親交事体少ないんですよ」
「そう……」
「有一君は何かあったんですか?」
「名前の漢字が違うくらいかなぁ」
「え? そうなんですか。漢字までは覚えきれてませんでしたね……。けどそれだったら双子とかは考えられません?」
「いや、それは無いよ。彼女に姉妹がいるとか聞いたこと無いし、むしろ羨ましがっていたくらいだから。大体同じ読みの双子ってややこしすぎるでしょ」
「それもそうですねぇ。じゃあソックリさん……にしては符合する事柄が多すぎるし……親戚、でも同じ名前にはしないか……ああああああっ! 何者なんですか彼女!」
「夢路さんでも分からないか……」
この異常事態についていつも通りの対応をしていた夢路さんに期待はあったのだが、結局のところ転校生の正体について収穫は無いに等しかった。
「……分からない? わたしが? 情報部のわたしが?」
スッ、とそれまで頭を抱えて絶叫していたのが嘘になるような、冷めたトーンで彼女は口にした。キッと強い目を僕に向ける。
「ええ、ええ、調べますよもちろん徹底的に。それは欠くこと無いよう完璧に。経歴から趣味嗜好、スリーサイズまで完全に網羅してみせましょうとも、それが情報部というものです」
彼女は何かに取り付かれたかのように、まくしたてる。どうやら彼女の何かに火を点けてしまったようだ。しかし、その気になってくれたのは有難いことこの上ない。
「しかし、調べるにあたって一つお願いがあります」
夢路さんは不意打ち気味に僕の前に指を突き付けた。その有無をも言わせない迫力に僕は少し後ろずさる。一体どんな無理難題を突き付けられるのだろうか……。
「彼女に纏わりついているアレをどうにかしてください!」
「……」
僕は思わずため息を吐いて、空を仰ぐのだった。
∦∦
「今日はここまでか……」
そう時計を見上げ一人呟いて、シャーペンを片付ける。現在時刻は午前二時を過ぎたところ。特別に今日の勉強は内容を増やして、教科書の模写に取り組んだつもりだったが、結局あっという間に時間が過ぎてしまっていた。これ以上は待ちわびた眠気のおかげで続けられそうにも無い。
一通り片付けや就寝前の身支度を済ませて、お茶を一杯飲む。爽快感が体を冷やすと同時に、思考の片隅に遠ざけていた考えたくなかった現実が頭の中を占拠し始めた。
彼女は一体何者なのか。なぜ、僕のクラスに転校してきたのか、なぜ、あんなにも死んだはずの夕香里ちゃんに似ているのか。
何度も繰り返し反芻した疑問。判断するには圧倒的に情報が足りないのは分かり切ってはいるが、それでも一つの有り得ない可能性がそれを振り切ろうとする僕を徹底的に追い詰める。
彼女は夕香里ちゃんなのではないか──?
違う、有り得ない。僕は何より彼女が死んだのを知っている、見ている、感じている。あの冷めた体温を、助からない血の海を、止まった呼吸を確かに覚えている。
僕は隠れるように布団に蹲る。電気はどうにも消せそうに無い。
『──なぜ、わたしをたすけてくれなかったの?』
実際には聞いた事が無い声が頭に反響する。あぁ、今夜もなのか。
止めてくれ、と祈るがどうしようもなくその声は永遠と鼓膜の方から聞こえ、ぐるぐると脳内をかき回し続ける。頭を抱えてひたすらに苦しみ続けた結果、僕は漠然としたまま避けていた、非現実的な考えを思考の片隅でまとめ上げてしまう。
彼女は僕に復讐をするために現れたのではないか──と。




