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今日は明日の昨日より  作者: 森林中野
第一章 Clover
4/11

4.遭遇


 日は傾き、空は赤く染まる。吹き下ろしの冷たい山風に背中を押された僕は、どうにかあの日の事故現場を後にした。


 舗装され治された真新しいアスファルト。あの時には無かったレンガ調の歩行者専用通路。懐かしい公園には見慣れないベンチと遊具。ここに来るたび目にしては、どこか変わっていく風景に心が締め付けられる。


 ──あの日から、僕が間違えたその日から、すでに四年が過ぎた。


 すぐ側を車が風を裂いて走って行く。テールランプが赤く長い尾を引いた。


『もう少し発見が早ければ、あるいは……』

『二人もだよ? 近づいたらダメだって』

『この人殺し』

『近寄るなっ、犯罪者!』


『──なぜ、わたしをたすけてくれなかったの?』 


 点滅する街灯の影が、昏く長い列を成している。耐えきれずに目線を上げると、錆びたまま放置された看板が目に入った。今は無い、潰れた旅館のものだった。


 もしも約束を守っていたなら、もう数分数秒決心が早くできていたならば、違う僕と違う日々が今を生きていたはずなんだ。

 それはきっと彼女たちにとっても幸福な日々で、そんな日常が当たり前に訪れるものだと、誰も疑いすらしなかったはずなんだ。 

 なのに、それを壊した僕は一人のうのうと訪れなかった日々の続きを、当たり前のように過ごしている。こんなことが赦されるのか。


 帰路の途中にある分かれ道。いつもは通らない、帰路が遠のく古い道に体を向ける。しばらくして社会から切り離されたぼろぼろの廃墟たちが、僕を出迎えた。


 そう思うと、今朝の彼女は僕に忠告をしに来たのかもしれない。僕に当たり前の日常を送る資格など無いということを。

 浮かれすぎていたのかもしれないし、きっとどこかで手放すことを望んでいたのかもしれない。そんな僕に対する彼女なりのアプローチなのだ。『わたしをわすれないで』と。

 大丈夫、忘れることはしない。僕が忘れてしまったのだとしたら、あの輝いていた日々はそれこそ嘘になってしまう。どれだけ年月を経ようとも僕はきっと忘れはしない、させない。


 きっと思い出はいつまでも美しく輝いたままで、僕はそれを色褪せることなくいつまでも背負い続ける。それが、結局何も変わることのできなかった僕のできる、唯一つの贖罪だ。 


 ふと空を見上げるとそこは一面の闇だった。大分時間が過ぎてしまっていた。


「仕方が無いか、遠回りだからな」


 そう自嘲気味に呟いたのとほぼ同じくして、僕は廃墟の群れを抜けた。





 しばらく歩くと幹線道路に連絡する、線路を躱す地下道に差し掛かる。もともと人気の少ない道であるために、この時間帯の地下道は外の喧噪から切り離されたように冷たく、静かだった。

 人が四人も並べば一杯になりそうな横幅に、ところどころにチラついた蛍光灯、消されずに放置された落書きがあって、いかにこの地下道の扱いがぞんざいなものかを知らしめている。


 そんな地下道に反響する足音が僕の他に、もう一つ。


 正面に視線を移すと、サラリーマン風の男性が向かって歩いてきていた。

 年齢は三~四十代くらいで、くすんだフレームの眼鏡、やつれかけのスーツ、ほつれが目立つ鞄、光沢の無い腕時計をしきりに確認しながら歩いている。

 失礼ながらあまり、関わり合いにはなりたくないような出で立ちに思えた。

 こちらの考えていることが悟られないように、努めて平静を装いながらすれ違う、と、


 ドンッ、と肩がぶつかってしまう。


 なんで当たってしまうんだろうか、と思いながら謝ろうと相手側に振り向く──


 ──大きく拳を振りかぶった男の姿が目に飛び込んできた


「ごっ!? がぁっ!」


 頭が揺れて、肢体が痺れて、息が詰まる。

 嘔吐いてようやく、地面のコンクリートの冷たさを感じたところでやっと、殴られて転がっているという事実を知る。


 条件反射的に相手を見──


「ぐぉっ!?」


 骨が響き明滅する視界の状況をどうにか整理して、自分はどうやら腹を蹴られたらしい。なぜだ?


「がぁっ!!」


 二発。

 

「ごっ!!」


 三発。


「ぐぉっ!!」


 四発、五発、六、七八九──


 なぜ? なぜ蹴られる殴られる?

 考えが纏まらない、思考が覚束ない。

 分かるのは何度も蹴られる自分の体とそれに伴い体を走る痛みという名の電気信号が際限なく、いつまでも、どこまでも、永遠に、果てなく、絶え間なく、欠くことなく、継続的に、立て続けに、持続して、止めどなく、間断なく、切れ目なく、恒久的に、一貫して、容赦なく、矢継ぎ早に、途切れなくずっとずっとずっとずっとずっとずっと──



「はぁ、思考停止にはまだ早すぎると思うんだがねぇ、私は」


 鋭く、重い声が響いた。それと同時に鈍痛の原因も治まった。

 もやを集めるようにして意識を集中させる。かすむ視界に映るのは──


 女の子?


 小学生くらいの女の子が男の手首を締め上げている。男の表情は苦悶に歪み、対して女の子の表情はどこか冷めているように見える。

 なんだ、この光景は。おかしい、おかしすぎる。こんな目立つドレスを着た小学生みたいな女の子が大の大人を? 素手で?


「──ッ!」


 男は苦し気に舌を鳴らし、空いている方の手で懐からナイフとおぼしき刃物を取り出すと同時に少女の首筋を切りつける──


 そしてその直後、生温かくて赤い雨が、僕を濡らした。


「え?」


 倒れたのは、女の子。為す術もなくその凶刃に切り裂かれ、蛇口の壊れたホースのように血液をまき散らし、糸の切れた人形の如く崩れ落ちていた。


 そして、倒れるや否や間髪入れずに馬乗りになった男は女の子に対して何の躊躇もなくナイフを突き刺し続ける。

 とにかくナイフでメッタ刺し、特に頭部を重点的に。そこから胸の部分、心臓の辺りを執拗に。


 吹き出す血。溢れる血。広がる血溜まり。


 手を突っ込んで取り出した内臓を何度も握り潰しながら叫ぶ、その声にならない狂った笑いに空気が震えていた。


 断続的に続く水音、辺りに漂う生臭さ、反響する硬いものを削る鈍い音。


 繰り返される。

 

 繰り返される。


 ただただ、余りにも日常の感性から離れた異界めいた光景に、思考が、感情が、数歩前にある現実にどうやっても追いつかない。


 やがて、漂い始める生暖かい湿気に寒気を感じ、身震いした時。


 ──ぬらり、と動いた眼球と目が合った。


 そして、ソレは幽鬼のようにゆらゆらと、キラキラ光るナイフをぶら下げて、こちらに向かってゆっくり一歩。

 二歩。

 三歩、

 四歩──



「全く……、か弱い少女に何て酷いことをしてくれるんだ」


 僕は思わず目を見開いた。男の背後に立っているのは惨事に見舞われたはずの女の子で──。直前まで、ズタズタにされて、引き裂かれて、とても人の形を成せていなかったというのに。だというのに、だというのに、その身には傷ひとつ無く、いや、それどころかなぜ、衣服までもが()()()()()()()()()()()()()?  


 男は聞こえるはずのない冷たい声に即時に反応し、狂相を伴って振り返って──いなくなった。いや、消えた?


 完全に、消えた。一瞬で、それこそ瞬きよりも速く、跡形の一片も残さず消えてしまったのだ。それは、まるで夢でも見ていたかのような断絶だった。


「いやいや完全な手遅れだよ。焦って逃げるのなら、或いは罪悪感を感じているのならまだ別の処理方法があったというのに、あそこまでいたぶって酔っていたとは……。しかも反省の兆候すら微塵も無いし、終いには飽きたときた。あぁ、吐き気がする。もう泣きそう。こんな奴らばかり量産するものだから、いい加減に信条を曲げたくなるというものだよ、はぁ……」


 そして何事も無かったかのように佇み、独り言を捲し立てるのは無傷の女の子。

 ふと先の惨劇の場所に視線を移すが、何も、無い。何も違和感を感じない程度に“()()”──?


「……あぁ、理解しようとしなくて良い。その内馴染むものだからね」


 女の子がバツが悪そうな顔で近づいてくる。


 揺らめく髪は流れる銀色で、射抜く様な目は燃える紅色。整ったあどけない顔立ちに、時代錯誤な黒いドレスから覗く華奢な肢体はまるで水晶のよう。


 年季の入った蛍光灯の灯りが、かすんで見えるようだった。


 外国人? 小学生? いや、そもそも人なのか? とにかく違和感と体の痛みと膨大な情報量で意識が飛びそうになるが、とりあえず今やるべきことは──


「あなたは、いったい?」


「おおっと、名乗りはしないよ? なぜなら、私が今君の前にいるのは警告をするため、その一点に尽きるから。よって、無駄になるかもしれない縁を繋げる気は毛頭無いし、有り得ないな」


 僕の申し入れは即刻却下された。しかも構図的に僕を見下ろしている位置にある彼女は、ふん、と、得意気になってさらに続ける。


「そんな残念そうな顔をしなくても良い。それは、まぁ、こんな美少女に! 名前を訪ねて拒否されたのだから心中は穏やかではないことだろうが、どのみち時期に分からなくなることだ。許せ」


 そう区切ると彼女は改めて真面目な顔を作り、居住まいを正して向き直った。


「さて、これから告げる警告はひどくシンプルだが、君の行動次第では将来の展望を大きく変えるものになる」

「将来の、展望?」


 彼女の瞳が爛、と光る。


「そう、将来の展望。過不足のない未来、当たり前の明日。実に人間にとって至極単純な欲求からくるものだし、考えなくて済む方が素晴らしく平和的な事柄だよ。難しく考えなくても良いんだ。ただ、望むべきことは君がずっと頑なに通してきたアイデンティティーの範疇にあるのだから。今の君が、君らしくあり続ければそれで片付く、簡単な案件だよ」


 声が出ない。彼女が何が言いたいのか理解が追い付かない。

 そうやって困惑している僕の表情を見かねたらしい。彼女は視線を合わせて「いいかい?」と、合図した。


 そこでもう逃げられないことを理解する。


「君は明日、運命とも呼べる数奇な出会いを果たすことになるだろう。しかし、順当な人生を、平穏な日々を望むなら──」


 人形のような感情の無い顔で告げる。


「──そいつと関わるな」






 暗転

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