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【第6話】

 

 第6話です。

 クレイジー・キャンディデイトです。。


 コンコン コンコン


 軽やかでゆったりとしたその律動は、気遣いと余裕を感じさせる。


「お客さ~ん? お客さ~ん?」


 扉のノック音や小鳥のさえずりのような女性の声は、ヒーリングミュージック。


 コンコン コンコン


「お客さ~ん? 入ってますか?」


 ゴンゴン ゴンゴン


「すみませ~ん? そろそろ閉店の時間なんですが?」


 ドンドン ドンドン


「大丈夫ですか? カギ開けて下さい?」


 ドドドン ドドドン 


「大丈夫ですか? カギ開けますよ? いいですか?」


 悠々としていた彼女の声音(せいおん)(せわ)しない音に変わり始め、徐々に慌ただしく、そして荒々しくなる。

 

 世の中に溢れる音の全てが音楽ならば、居酒屋の女性従業員が叩くドアの音や、発する声は明らかに転調していた。

 いや転調というよりは、ヒーリングミュージックからクラシック音楽へジャンル自体が変化した。

 それらは本来、大多数の人間にとって耳心地の良い音楽である。

 ただし彼女が奏でている曲目は『天国と地獄』

 誰もが耳にすると、走りたい衝動に駆られる運動会の定番曲である。


 そう、彼女が奏でる全ての音は、確かに俺の耳に届いていた。

 しかし、俺は意識が朦朧(もうろう)としているのだろうか?ぼんやりとしていて、上手(うま)く目でものを(とら)えることが出来ない。

 それを補うように、俺の耳は器官として正常な働きを維持している。

 

 心地良いヒーリングミュージックから始まり、今現在は『天国と地獄』が鳴り響いている。



 ドドドン ドドドン



 そして閉店というゴールへ向けて、客である俺は居酒屋スタッフの彼女に、丁寧さを伴う威圧的な声援を送られ、ゴールテープを早く切るように()かされている。



 ドドドン ドドドン



 あなただけよ?ゴールしていないのは?と言わんばかりに…最下位の俺のために彼女は温情をかけてゴールテープを張り直し、ゴール前で待ち構えている。

 


 ドドドン ドドドン



 見守る観客も、競い合う走者も、誰一人いない運動場。

 そこで俺は『天国と地獄』に背中を押され、腕を振りながら懸命に走り、曲が止む前に彼女が持つゴールテープを切った。



 ドドドン ドドドン



「開けますよ? いいですか?」


 ゴール後、『天国と地獄』は余韻もなく消え去り、それを合図に俺の目は覚めた。(まぶた)を開けると、目の前には真っ白なトイレのドアがあり、俺は便座に腰を下ろしていた。


「ドア開けますよ?」

 

 いったい、ロックされている鍵穴がないドアを、どのようにして外側から開けるのだろうか?と俺は覚醒していない頭で漠然と考えていた。閉じ込められてしまった幼い子供や、病人の救出を想定して、作られているのかも知れない?きっと何か方法があるのだろう、と心の中で自己完結し、自分を納得させる。

 

 そして曲が止んだ静けさの中で、俺は応えた。

「はい…今、開けます」

「大丈夫ですか? お客さん?」

 おじさん…やっぱりビールは酒だよ!? そう(つぶや)き「大丈夫。ごめん ごめん」と言って俺はトイレのドアを開けた。

 ドアの前には男の生ビールを運んできた元気印の女性従業員が待ち構えていた。

 「お客さん?大丈夫ですか?もう閉店の時間ですので!?」

 どことなく彼女の表情は疲労が見て取れる。

「ごめんね?座って用を足してたら、ついウトウトしちゃって…最近の便座は温かいからさ」俺は小さな嘘をつく。

 数時間前まで溢れていた彼女の元気はどこへ行ってしまったのだろうか?そう思いながら女性従業員の手を見たが、ゴールテープは握られていなかった。

 やはり『天国と地獄』は俺の中でのみ流れていたようだ。

 

 もう少しですーー


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