7.ナツノとマドカも異世界へ <零日目—中編—>
街は往来する人々で賑わいを見せていた。
果物や衣類を売る露店や店が立ち並び、その奥には集合住宅が並んでいる。
「…………仕方ない。現実を受け止めよう。えーと」
バイクを止めたμは、これまでのことを振り返る。
ネットでナツノと知り合ったのが3日前。
昨日、ナツノとマドカちゃんと直接会って、魔法を知った。
そして今日、異世界に飛ばされた。
「どゆこと!!? 受け止めきれない!!!」
あまりの急展開。
3日前、パンツを望まなければ……。
「まさかマドカちゃんのパンツ写真を対価に、こんなことになるなんて……」
もしも等価交換が成り立つというのなら、それほどの価値があの写真にあったということだ。
μは、王城と思しき坂の上にそびえ立つ城へと続く石階段に腰掛け、考える。
ナツノが探している赤髪の男、あの人が路地裏の焼け跡の辺りを見つめていたけれど、もしかして、あの焼け跡、転移の跡だったりするのか?
だとしたら、赤髪の男はこの世界にいるということだ。
すぐさま、μはライダージャケットからスマホを取り出す。
ナツノから、心配する内容のメールが数件届いていた。
心配ありがとう、ナツノ。こっちもナツノの探し人の手がかりを見つけたぞ。
メールを打つ。内容はこうだ。
『ナツノが探している赤髪の男がどこにいるのか分かったかもしれない』
ピロリン
『今すぐ場所を教えて』
……思えば、どう伝えればいいのかわからない。
この世界にいるかもしれないと教えたところで、ここがどこかわからない。言葉にできない。
仕方ないので、これまでの経緯を説明したメールを送る。
ピロリン
『その魔法陣と詠唱を教えて。すぐにそっちに行くわ』
「え、来てくれるんだ!」
正直、心細かった。
ナツノなら魔法の知識もある。この世界から現実世界に帰る方法も知っているはずだ。と、μの心に期待が芽生えた。
* * *
その期待は、一時間後、無残にも綺麗さっぱり、摘み取られるのである。
「うわあ、獣さんが沢山いる〜。あの耳の長い人ってエルフかな??」と感動してマドカは辺りを見回している。
「え、帰り方? 私、知らないわよ。μさんが先にここに来たんだから、知っているんじゃないの?」
「知るわけないだろーーー! 私はこの間、魔法の存在を知ったんだぞ!」
「ナ、ナツノちゃん、帰れるって言ってたよね? 言ってたよね?」
キョロキョロしていたマドカが、今度は薙刀を抱くようにしてオロオロしだす。
「マドカ、私たちは切っても切れない関係よね?」
「そ、そうだけど……あうう」
「大丈夫よ、2人とも。あのバカを見つければ、帰れるわ」
ナツノは腰に手を当てて自信満々に言う。
これで3人は『赤髪の失踪者』を探さなければいけなくなったのだった。
「それより、日が暮れてしまう前に、宿を探しましょう」
「金ねえぞ」
「このお金使えないよね? やっぱり」
マドカが財布を開く。
もちろん、この世界で千円札など紙切れに等しい。つまり一文無し。
「これに価値はあるかしら? 一応、ダイヤなんだけれど」
ナツノが自分の耳に触れる。そこに飾られたイヤリングが揺れ、きらりと光る。
大粒のダイヤが3つ連なっている。
「うわあ、高そう。売るの? 勿体無い……」
「野宿はいやでしょ? お気に入りだけれど、家に帰ることができれば、似たようなのが沢山あるからいいわ。貴金属を扱っているお店に行きましょう」
どこともしれない異世界で野宿なんて、女の子なら誰でも嫌なのは当たり前。
3人は、宝石や貴金属を扱う店の前に立つ。
「ここね」
中に入ると、店内に色とりどりのアクセサリが飾られていた。
カウンター越しに店主が、珍妙な格好をしている3人をじっと見つめた。
ナツノは足首まで隠す丈の長い白いワンピース、ウェストを絞める長くて黒い帯がアクセント。
マドカは、学校の制服。半袖丈の白いシャツに、ネクタイ、そして色のついたスカート。
μはというと、上下ともに黒のライダージャケット&パンツ。
変なのが来た、というのが店主の素直な感想。
「これ、引き取ってくれるかしら?」
店主に、あらかじめ外しておいた片耳分のイヤリングを差し出す。
「んー、これはー……。って、なんだこの細やかな細工は! それにこの透明度と輝き!!! お、王族にも売れそうな……。よし、これでどうだ?」
イヤリングの価値がかなりのものなのか、金貨銀貨、数十枚を出す。
貨幣価値がわからないナツノは、それで手を打つ。
革袋に入れられたお金を受け取る。
「ありがとう。さ、行きましょう」
実はかなりの金持ちになった3人は、店を出て通りを歩く。
「とりあえず、金は手に入ったな」
「これで宿に泊まれるね。それにご飯も!」
「そうね。それより、ここは日差しも強いし、どこかでお茶しながら、今後のことを考えましょう」
その時。
ナツノの手から、お金が入った革袋がなくなった。
「え!?」
3人の前を背丈の低い、猫姿の人が人ごみの中へと走り去っていく。
無一文 → 金持ち → 無一文。
「マドカ、お金、盗まれた! 追って!」
「ええ!?」
猫人間を追いかける。
μは人ごみの中をバイクで追いかけることを諦めて、「これ預かってて!」と近くの店にバイクを預けて先に行った2人の後ろを追いかける。
「ふふん、甘い甘い」
犯人が革袋の中をちらりと覗き、
「ちょ、ええ! すごい大金! やりい」
迫ってくる3人に振り返る。
「ち、アイスブレッド!」
3人に向けた手のひらに魔法陣が浮かび、氷の礫を撃ち出す。
「魔法!? やっぱりそういう世界よね。――契約に従い、私を守りなさい!」
首にかけたリングを指にはめ、エメラルド色の障壁を展開。
魔法で打ち出された氷の礫から、身を守る。
「そっちがそうなら、マドカ、剣に力を! 行って!」
「う、うん」
同じエメラルドの光がマドカを包む。
マドカが次の一歩を踏み出した瞬間。
土煙が立ち、ナツノとμの前からマドカが消えた。
一瞬で、30m先の犯人に追いつく。
「って、疾っ!」
その速さに周りがどよめく。
驚いている猫人間の腕をがっちりと掴み、
「大事なものなの、返して」
猫人間がマドカの持つ薙刀を見る。
刃の部分には布が巻かれているが、刀剣や槍の類であることは、この世界の住人にはわかる。
それにマドカの体から、魔力が溢れ出ている。
こ、殺される。
「す、すいませんでしたーー!」
素直にお金の入った革袋を差し出すと、猫人間は脱兎のごとく逃げていった。
マドカが2人と合流する。
「マドカって、あんなに速かったかしら?」
「じ、自分でも驚いたよー。なんか風みたいに動けたの」
「それ、きっと、この世界が魔法の力が濃密だからじゃないか? このあたり、すごいそういうので満たされてる感じに見えるぞ」
魔力への視認性が高いμは、マドカにまとわりついたエメラルドの光が、通常よりも濃いことがわかるのだった。